バスキアの芸術的価値:ディオニュソス的狂気
現在六本木の森アーツセンターギャラリーで開催されているバスキア展にちなみ、バスキアの作品的価値について述べようと思います。
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バスキアと言えば、1980年代を代表するアーティストで、ポップアート市場でも最高ランクを叩き出す画家の一人である。
ではなぜそれほどまでに彼が評価されているのかと言えば、その答えは単縦で明快だ。
アンディ・ウォーホル に評価されたから。
これである。
ウォーホル と言えば、ポップアートという芸術の枠組みを気づいたモダンアートの巨匠である。
彼は黒い噂も絶えないが、1960~1980年代においてはニューヨーク画壇の中では彼の右に出るものはない言わば神のような存在で君臨し続けた。
しかし、彼の作品は「キャンベルのスープ缶」でもわかる通り、理性的で非常にわかりやすいメッセージを有している。
一方で、バスキアの作品を見てみよう。
まずその絵が何を示すのか。
描かれている物体が一体なんなのか?
どんな意味を持っているのか?
見ただけでは見当もつかない。
ある意味狂気である。
しかし、アートとは0から1を生み出す作業である。
そもそも「アート」とは「神に召されし所業」という意味がある。
この点で考えると、再現性はなく、そもそも理解不能の領域であるから、バスキアの作品はまさしくアートなのである。
バスキアの作品は一見「稚拙」に見えるし、まさにそうなのだろうが、むしろこの「稚拙さ」こそが狂気であり、我々の理解を超えるのである。
この点を見抜いたのかどうかはわからないし、彼が黒人であるという点の投資的観点のオッズ比に照らしたのかはわからないが、ウォーホル はバスキアをファクトリーのメンバーに迎え入れた。
ウォーホル とバスキア。
友人で同じファクトリーのメンバーでありながら、全く異なる作品性がそこに浮かび上がる。
フリードリッヒ・ニーチェの『悲劇の誕生』に照らして考えると、ウォーホル の「理性=アポロン的」と捉えられる。
一方、バスキアは「感性=ディオニュソス的」なのである。
このディオニュソス的精神と呼ばれる狂気こそ、バスキアの作品に内在する芸術的価値なのではないだろうか?