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韓国編 vol.2
到着
コロナ禍の渡航、到着後もやることはいっぱいあった。ソウル市内に出るために、公共交通機関であるメトロは使えず、タクシーのみの移動が認められていた。人生初の韓国でのひとりタクシー。時速150kmオーバー。何度か、"あ、これ死ぬな。"と不安に押しつぶされた頭が警笛を鳴らしていた。そんなデッドレースから生還した後、アパートで入居手続きをする。本来ならば、まず当日中にPCR検査を近くの病院で受けなければならないのだが、タクシーが病院に寄ってくれなかったため、次の日に行くことになった。
そして、この入居手続きの際に問題が発生する。なんと部屋にWi-Fiが通っていないというのだ。もちろん、Wi-Fi環境が整っていると謳われた物件を契約したため、大焦り。加えて、渡航日はなんと韓国の祝日で、韓国の電話番号付帯のSIMカードが開通できなかったのだ。Wi-Fiもない、電話も使えない、外にも出られない。四面楚歌。何より、生死を案じているであろう家族に一切連絡できないというのが、苦痛で仕方なかった。途方に暮れた私は、現実逃避のため、ダウンロードしてあったハイキューを見て、少し勇気をもらった。警察に見つかったら罰金の対象(コロナ禍の自宅待機中に外へ出ることが当時罰金の対象だった)になるが、構っていられないと外へと飛び出した。アテは何一つなかった。なんとなく駅に向かう途中で、地元の学生に話しかけられた。アンケートか何かを求められたため、今しかないと思い、自身の拙い韓国語で状況を説明した。完全に韓国人であると誤解されていたため、大いに驚かれたのだが、快く電話を貸してもらい、不動産会社に何とか電話をすることが出来た。まさに命の恩人だった。協力できることがあれば、なんでも協力したいと思い、アンケートにも応じたのだが、後日、宗教勧誘だったことが判明する。その話はまた追々していきたいと思っている。
何はともあれ、不動産会社の人が来てくれるということなので、心の安寧を取り戻し、アパートへ戻った。ちなみに、外出の一切を禁じられているので、もちろんスーパーマーケットになど行けない。全て日本から持ってきたもので1週間を乗り切らなければならなかった。部屋にあるものは、シンクと炊飯器と電子レンジ。持ってきたものは、大量の缶詰とインスタントラーメンとお米。果たして乗り切れるのだろうか。韓国に来て、最初に口にしたのは、電子レンジの中で暴発した鯖味噌の缶詰だった。
午後6時。アパートに到着してから6時間以上は経過している。しかし、待てども待てども、不動産会社の人が来ない。もしかしたら、動揺しすぎて情報を伝え間違えてしまったのではないか、と不安がよぎる。ぐるぐると頭の中で不安が巡る。夕飯の準備もする気が起きず、途方に暮れていたその時、前の部屋の人が外に出てきた気配がした。大事を取ってマスクを二重にし、紙に今の状況とWi-Fiの繋げ方を教えて欲しい旨を書いて、ご近所さんに助けを求めた。彼女はすぐに理解してくれて、ちょっと部屋で待っててと言い、自室に戻って行った。その後すぐに、ドアをノックする音がして、扉を開けるとお菓子を持った彼女がいた。"今日、ここに来たんだよね?よろしくね。"と言って、そのお菓子を手渡してくれた。その時、何かが弾け飛んで、涙が流れてきた。彼女の"ひとりで来たの?"という問いに、頷くことしか出来ずにいたが、"海外で家族と離れてひとりで暮らすの不安だよね、大丈夫だよ"と抱きしめてくれたのだった。恐らく、彼女も同じ状況だったのではないかとその時感じた。後日、日本から送られてきたお菓子などをたっぷり詰め込んだ袋を扉に下げておいた。真夜中に彼女の部屋の扉を叩く音や、彼女の部屋から聞こえてくる人の話し声に何度か睡眠を妨げられたりしたが、お礼のお菓子を楽しんでくれていたらいいなと今でも思っている。ちなみにその後、彼女の助けを以てしても、Wi-Fiを繋ぐことはできず、二人でなんやかんやしている内に不動産の人が来たため、事態は程なく収束していった。ようやく復活した電話には鬼のように通知が来ていた。すまん、家族。そして友達。
このようにして、1年弱の韓国生活の中で最も大変だった1日を初日に過ごしてしまったために、その後の生活にはほとんど困らなかったとか。
次の日、いよいよ語学堂での授業が始まった。フルリモートの授業であったが、自宅待機解除後1週間の内にかかったコロナの療養期や諸事情で日本に一時帰国した際に授業を受けることができたので、結果オーライ。