考えのスケールが大きい人ほど、大きな数字に直面することが多いのではないか。この疑問は、ある種の因果関係がありそうで、具体的な因果を明確にするのは難しい。しかし、視座を広げて考えるほど数字や数学が自然と入り込む感覚がある。
例えば、経営者は日々数字に囲まれている。コスト、売り上げ、利益といった項目に具体的な計算を施し、それが未来を予測するためのツールとなる。この時に扱う数はおそらく10^3から10^5程度の単位であることが多い。1000万円単位の収支や数万人の顧客数など、これらは特定の目標を描くための具体的な数字だ。
一方、ロケットを宇宙に打ち上げる国家規模のプロジェクトでは、さらにスケールが大きい。推進力や軌道計算には10^9や10^12といった桁数の数字が登場する。これは、計算が物理現象や地球規模の力学を扱うからにほかならない。大きな目標を掲げると、それに対応したスケールの数字が必要になるのは明らかだ。
対照的に、地方の片隅で暮らす人が生涯を終える場合、扱う数字のスケールは圧倒的に小さい。必要な数字は、年間の生活費や地域の人数といった単位にとどまる。日常の中で10^5以上の数字を必要とする機会は限られている。さらにいえば、その必要性を感じることも少ない。
数字のスケールと行動,視座,思考のスケールには、どうやら一種の相関があるように見える。
では、行動のスケールが大きいほど大きな数字に直面するという仮説を具体化してみる。
まず、日常的な例を考える。個人経営のカフェでは、1日の売り上げは平均2万円とする。これを1か月で見ると約60万円、1年では720万円程度になる。一方、チェーン展開するカフェの経営者は、1店舗あたりの売り上げが2万円/日だとして、10店舗なら20万円/日、年間売り上げは7,200万円に達する。数字のスケールは10倍に膨れ上がる。
さらに、国家規模の予算ではどうか。たとえば、日本の年間国家予算は約100兆円(10^14円)である。個人の生活費が年間300万円(10^6円)程度だとすると、数字のスケールはなんと10^8倍にもなる。国家の予算規模を考えなければならない立場では、個人が扱う数字では想像もつかない桁数が日常的に必要になる。
この相関関係をどう解釈すべきだろうか。仮に行動や思考のスケールを広げたいと考えるなら、数字に慣れる訓練が必要だろう。小さな数字だけを扱う日常では、スケールの大きい世界を理解するのは難しい。逆に、大きな数字を使い慣れた人は、自然と視座や行動の範囲が広がる可能性がある。
ここで重要なのは、行動が先にスケールを広げるのか、それとも数字を扱う力が先に育つのか、という因果関係の不明確さである。しかし一つ言えるのは、大きな目標や課題を設定することで自然と数字を必要とする局面が増えるということだ。したがって、目標設定そのものが数字への耐性を高め、さらなる行動のスケール拡大を後押しするかもしれない。
考えや行動のスケールと、扱う数字の大きさには明らかな関連性がある。経営者や科学者のように、視座を大きく持つ人々は自然と大きな数字を扱わざるを得なくなる。一方で、小さな範囲で生きる人々は、その必要性が少なく、大きな数字に接する機会も限られる。もしスケールを拡大したいのであれば、数字を扱う力を鍛え、日常的に大きな数字を意識する環境を作ることが有用だろう。この因果の循環は、目標と行動の関係を深く考える上で示唆的である。