生成AI時代の事業:知識が不要になるのではなく、むしろ知識を持った人間の感度が重要になる
ブーム開始から、未だ1年程度でありながら、生成AIは仕事や学校、生活に定着しつつあります。このスピード感は、未来に希望を与えるものです。
30年前のインターネット、15年前のスマホが、その仕事や学校での定着まで数年~10年以上かかったことと比較すると、だいぶ早いですね。テクノロジーを活用することとしないこと、その差が歴然として、人の一生に大きく影響していることが、様々な事例とか、人の生き方を見る中で、気づきになっているのだと思います。
ただ、少し心配なこととして、生成AIがあれば、知識を詰め込まなくても、暗記とかしなくても、全てAIが取って代わるから、それらは全て無駄なこと、と考える風潮が生まれているのではということです。
その結果、知識獲得型の学習とか覚える事の価値は、当面は人気が衰えていくのかもしれません。資格の取得に向けた学習や、語学学習のための単語やフレーズの暗記など、する人が減っているのかもしれません。
けれど、生成AIと対話しながら作業をしていると、正確な知識との突合です。一度生成AIにアウトプットしてもらい、何か変だと思えば、再度やりなおしや、再度チェックの指示をして、再生成してもらうことは可能ですが、それは内容を日本語で理解するというレベルであれば十分に良いのですが、そのアウトプットそのものを、第三者に参照してもらうとか、経営判断の材料にする、となると人間によるチェックが不可欠と思っています。
具体的には、翻訳であれば、生成AIの解答と原文を照らし合わせてチェックし、まずは原文と訳文の突合(対応した訳文があるか、原文にない表現をした訳文が無いかなど)、単語の選び方の好みなど、人間が関わることで、完成していきます。
その際に、力を発揮するのが、人間の獲得している知識とか、感覚です。意訳しすぎとか、原文には存在していない訳文を発見して削除するとか(生成している?)、このような手間をかける仕事が、これから増加する可能性を感じています。
このように、今後生成AIの浸透とともに、役立ってくる、「人間による正確な知識の定着」という課題を解決するサービスを考えるのに良いタイミングではと、つらつらと考える週末です。