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ショートショート:「天才」

 森田雄二は、子供の頃から「天才」として名を馳せていた。日本でもトップクラスの進学校に進み、どの教科も優秀だったが、とくにセンター試験(共通テストの前身)の数学では、制限時間の3分の1の時間で満点を叩き出せるという特技を持っていた。子供時代に進学塾で受けた知能テストの結果は、なんとIQ(知能指数)180というものだった。彼はただの受験秀才ではなく、幅広い分野の知識を持った本物の天才であると、周囲の者も、そして自分自身も、疑うことがなかった。

 森田は当然のように現役で東京大学に進学し、心理学を専攻した。彼は、自らの優秀な頭脳を、人間の心という巨大なブラックボックスを解明することに使おうと考えたのだった。その後、彼は心理学の研究に励んで、博士課程まで進み、大学院時代に書いた論文が、学会で高い評価を受けたこともあった。

 博士課程をストレートで修了した森田は、自らが学んだ心理学の知見を社会に還元するべく、塾を開設した。その塾では子供の受験勉強のみならず、心理学の知見を活かしたビジネスパーソンのモチベーション向上や、パフォーマンス向上のための講座も扱っていた。森田は大学院生時代にすでに著作をいくつか世に出していたために、それなりの知名度があった。彼が塾を開くと、「森田に学びたい」という人たちからの問い合わせが、老若男女を問わず殺到した。

 森田の塾の出だしは上々だった。生徒たちは彼の講義を聞いて満足して帰っていったし、森田の独自の視点の勉強法や、自己啓発メソッドを進んで実践する者も多かった。生徒たちは森田の幅広い知見に感化され、彼が言うことを疑っていないようだった。また、仮に森田の言うことに疑念を呈する者がいても、森田は彼らを即座に論破することができた。

 しかし数年たっても、生徒たちの学業成績や、仕事でのパフォーマンスが向上することはなかった。森田は、長年かけて学んできた心理学の知見に基づいているはずの自らのメソッドに誤りがあるとは、信じられなかった。しかし、現に結果がまったく出ていなかったのである。講義中に森田が言うことに疑念を呈する者も増えていたが、森田の圧倒的な知識量をもってすれば、彼らを論破することは容易だった。だが、次第に塾の空気が悪くなり、森田も不機嫌になって、生徒につらくあたることが多くなっていった。

 そんなある日である。森田の生徒の一人だった高校生が、

「森田先生のような素晴らしい先生に教えてもらっても結果が出ないのは、自分の頭のできが悪いからなのだ。」

 と思い詰めて、電車に飛び込んで自殺してしまうという、大事件が起こった。実は、この事件に関しては、森田にも責任がないわけではなかった。事件の直前に、この生徒に「成績が上がらない」と相談された森田は、大勢の他の生徒たちが見ている前で、「君が正しく私の勉強法を実践しないからだ」と罵倒していたからである。

 「生徒を自殺させた」という評判が立ってしまった森田のもとからはどんどん人が離れていき、しまいには塾も倒産してしまった。森田は、自分が開発した勉強法や自己啓発メソッドがまったく現実的な効果を生み出さなかったということと、かつては自分を慕っていた者たちからあっさりと裏切られたということに対して、二重にショックを受けた。彼は精神を病み、精神科を受診することになった。

 精神科医は森田の訴えを聞き、知能テストを含めたいくつかの心理検査を森田に受検させた。そして後日、検査の結果を伝えるために、再び森田を呼び出した。

「先生、私は子供の頃から人一倍勉強が得意でしたし、IQが180ある天才だ、と言われたこともあります。塾で用いていたメソッドは、そんな私が実際に結果を出してきた努力のエッセンスと、学生時代に学んだ心理学のエッセンスを凝縮したもので、結果が出ないはずがないと思っていたのですが、このようなことになってしまいました。私は今、自分の人生のすべてを信じられないような気分です。そもそも、IQ180というのは本当だったのでしょうか?」

 そう問いかける森田に対して、精神科医は浮かない顔をしながら、

「いや、あなたの知能指数がずば抜けて高いことに間違いはないですよ。そもそもそうでもないと、東大の大学院にまで進むことはできませんからね。」

 と答えた。

「では、私の何が悪かったのでしょうか?やはり生徒の方に問題があったのでしょうか?」

 再びそう問いかけた森田に対する精神科医の答えは、以下のようなものだった。

「あれだけたくさん生徒さんがおられて、誰も結果が出なかったということは、やはりあなたの手法に問題があったのでしょうな。つまり、こういうことです。あなたはずば抜けて知能指数が高いから、受験なんか、デタラメをやっていても楽に突破できてしまった。そして、大学院時代に論文が評価を受けたのも、面白い着眼点と、あなたの情報処理能力が際立っていたことによるものだったのです。学会では、実世界で活かせるか否かは別として、それなりに筋の通った議論であれば、ユニークな考えが評価されるのでね。単刀直入に言いますと、あなたは、知能指数は高いが、それ以外の能力が、まったく欠如しているのです。」

「知能指数というのは、所詮は脳の情報処理能力を測るものに過ぎません。正しい判断をするためには、もちろん情報処理能力も大事だが、そもそものスタートの時点で間違えて、間違った方向に大量の情報処理をしてしまえば、結果もとんでもなく間違ったものになってしまいます。例えば極端な例ですが、「地球が平だ」という荒唐無稽なことでも、それを正当化するエビデンスのみを集めれば、それらしい論文が書けるはずです。しかしそれは、そもそもの着眼点が誤った、机上の空論に過ぎません。あなたが開発したメソッドも、そのような類のものだったということです。あなたは現実に即していない大量の情報処理をして、間違った方向に進んでいたのです。」

 ここまで聞いて唖然とした様子の森田をよそに、精神科医は以下のように続けた。

「現実の問題を知的に処理する能力を知能だとすると、人間の知能は、数字で測れるものばかりではないということです。そしてあなたの場合は、数字で測れない部分の知能、人はそれをカンとか読んでいますが、そういったものが、まったく欠如しているということです。先日受けてもらったいくつかの心理検査にも、そのことを示唆する結果が出ています。まあ、少なくともあなたは、現実世界で他人に影響を与えるような仕事は、避けた方がよいでしょうな。脳の情報処理能力やユニークな発想を生かせる仕事、例えば作家なんかは、向いているかもしれませんがね。」

 

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