ショートショート:「思い入れ」
「さあ、果たしてベジたんは、兵庫県産のトマト『フルティカ』と、北海道産の『桃太郎トマト』の違いを見分けることができるのでしょうか?」
番組の司会者の男性タレントが興奮気味に声を張り上げると、カメラの前に、目隠しをした男性が映し出された。その男性はテーブルに向かって腰掛け、テーブルの上には、トマトをのせた二つの皿が置かれている。目隠しをした男性は、まずは左手の皿に置かれたトマトに箸をつけ、ゆっくりと味わうように、それを嚙み締めた。
「ベジジ・・この独特の香りと水っ気のなさは、『桃太郎トマト』かな?でも、まだもう一つの方も食べてみないと何とも言えないな・・」
男性はそうつぶやいて、もう一方の皿のトマトにも手をつけた。母親が赤ちゃんのために食べ物をかみ砕いてやるように、今度も丁寧に噛み締める。
「・・うん、わかった。やっぱり甘さから言っても、さっきの方が『桃太郎トマト』で、こっちが『フルティカ』です!これで決まりです!」
次の瞬間、ドラムロールが鳴り響き、スタジオに緊張感が走る。少し間をあけて司会者が、
「正解です!」
と叫ぶと、スタジオは万雷の拍手に包まれた。この目隠しをしていた男性は(本名は不詳だが)「ベジたん」と呼ばれる男性タレントで、野菜に関して膨大な知識を持ち、野菜を一口食べただけで、その産地まで当てられるという特技を持っている。その個性的なキャラも相まってメディアの人気者で、さらにその野菜に関する知識は本物らしく、大学教授との対談本なども出版していた。
別に、普通の人からすれば、彼はただのテレビタレントに過ぎないのだろう。でも彼は、私にとっては個人的な思い入れ、しかも少し滑稽な思い入れがある対象で、今でも彼をテレビで見かけるたびに、笑いがこみあげてくるのを抑えられなくなる。これからその、私の彼に対する「個人的な思い入れ」について、少し話したいと思う。
私には姉がいて、姉は、少し前までレースクイーンをしていた。当時の姉はそれは綺麗で、芸能人などが集まる合コンの席に呼ばれることも、しばしばだったらしい。あるときには某国民的有名アスリートと知り合って、デートに誘われたこともあったそうだ。姉の交友関係はとても華やかで、男性との交際関係を切らしたことは、少なくともレースクイーンを続けていた期間は、なかったと思う。
さて、そんな姉は付き合った男性のうちの何人かを、実家に連れてきたことがあった。私は当時、実家には住んでいなかったのだが、そういう機会があるたびにミーハーの母親が、
「〇△さんがうちに来るのよ!あんたも帰ってきて、挨拶くらいしなさい!」
と言ってきたので、姉の交際相手のうちの何人かとは、私も顔を合わせることになった。単刀直入に言うと、その中の一人がベジたんだった。
彼は、メディアに出るときは牛乳瓶の底みたいなメガネをトレードマークにしていたのだが、私の実家に姉と一緒にやってきたときは、そのメガネをつけていなかった。メガネをつけていないとイケメンでも派手でも不細工でもなく、いたって普通の中年男性という感じだった。率直に言って、オーラもなかった。
「今日は、メガネをされていないんですね。」
と私が話しかけると、
「あれは、伊達メガネなので。」
と、意に介さない様子で素っ気なく答えた。その日は、両親と姉と私、そしてベジたんの五人で、実家で一緒に夕食を食べた。鍋を食べたのだが、酒が入りだすとベジたんはテレビで見ていたよりも饒舌になって、
「この白菜は~産ですね。」
とか、
「こんにゃくと里芋の食べ合わせは、美味しいだけではなくて、健康にも良いんですよ。」
とか、持ち前の野菜に関する蘊蓄を披露しだした。姉は、有名大学に通っていたくらい頭が良いから、その蘊蓄を「うんうん」と、苦にせずに聞いていたようだったけど、彼と食事をしていた三時間くらいの時間は、私にとっては少し苦痛だった。とにかく彼は、まるで躁状態みたいに、話を途切らすことがなかったのだ。
三時間もマシンガンのように話し続けて上機嫌になったのか、彼は食事を終えた後に、
「みなさんに、プレゼントがあります!」
と大声で言って、おもむろに横に置いていたリュックサックから、50cmくらい背丈の大きめのフィギュアを取り出し、その背中にすごい勢いで文字を書き始めた。よく見るとそのフィギュアはベジたんの姿かたちを模したもので、そこには、
「〇〇ちゃんのお父様、お母様、そして妹さん、本日は家にお邪魔して、楽しい時間をありがとうございました。鍋、とても美味しかったです。今度は、僕の家にみなさんを招待したいです。今後とも末永く、どうぞよろしくお願いします!」
と書かれていた。その字が汚かったとかではないし、メッセージの内容自体には真心がこもっていたのだが、私はつい、「普通の彼氏はこんなことをするだろうか?プレゼントがサイン付きのフィギュアって・・・。有名人って、やっぱり変わっているわ」と考えてしまい、若干引いていた。しかし、その場の話の成り行きで、なぜか私がそのフィギュアを預かることになってしまった。しかも、その時点では姉がベジたんと結婚する可能性も十分にあったので、そのフィギュアを粗末に扱うわけにもいかなかった。そのフィギュアは、私の1DKの部屋のクローゼットの奥深くに、厳重に保管されることになった。
それから一年くらいが経った頃だった。姉と電話で話していたときに、ふと思い出して、
「ベジたんさんとは、上手くいっているの?」
と聞いてみたところ、姉はため息をもらして、
「ああ、あなたには言ってなかったわね。あの人とは、もう別れたのよ。」
と答えた。私は少し驚いたけど、残念な気持ちとかはまったくなかった。それで私は、
「そうだったんだ。」
と答えた次の瞬間、ほとんど無意識に、
「じゃあ、あの人がうちに来た時にプレゼントしてくれたフィギュアは、もう好きにしていいかな?」
と、尋ねていた。姉は間髪入れずに、
「いいよ。」
と答えた。それで、私は次の週の燃えるゴミの日に、他のゴミと一緒の袋に入れて、そのフィギュアをゴミ出し場に持って行った。仕事から帰ってくるとそのゴミ袋は回収されて、なくなっていた。私は妙に晴れ晴れとした気持ちになって、思わずその場で高笑いをしてしまったのだった。