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短編小説:「日本社会不適応症候群」
僕は、もともと社会不適応というほど人付き合いが苦手というわけではなかったのだが、新卒のときに就職したブラック企業で身体を壊して数年間実家で休養することになったときに、人付き合いが億劫になって、それまでの人付き合いをすべて断ってしまった。
休養中は自律神経が完全におかしくなってしまったので、しばらくは何をする気力も湧かなかったのだが、夜に眠れなかったときに、たまたましばらく前に買って、本棚に置いてあった英語学習用の本(英語の短編小説の原文と、解説の日本語の文が交互のページに載っているものだった)を眺めていると、自然に眠りにつけたことがあった。これをきっかけに、エネルギーがあるときはその本を読んで(はじめのうちはむしろ、「眺める」という感じだったかもしれない)、眠くなったら横になって、を繰り返すようになった。
僕は学生時代から英語の成績は悪くはなかったのだが、意外なことに、そうやって本を読んでいるうちに少しずつ、英文をスムーズに理解できるようになっていった。面白くなって、TOEICの対策問題集を少しやってTOEICを受験してみると、すんなりと820点を取れた。
ところで、僕は学生時代に格闘技に夢中になった時期があり、筋力トレーニングなどが、結構好きだった。トレーニングを繰り返して身体の細かい筋肉にまで刺激を与えて、できない動きができるようになったり、パフォーマンスが向上したり、という成功体験が過去にあったので、英語学習もその要領で、同時通訳の人が書いた本などを読んで、自分なりにシャドーイングや短文暗唱などの勉強法を研究して、英語力向上のためのトレーニングに取り組むようになった。結果、英語をかなりのレベルで理解できた感覚を得ることができ、数年間の休養期間を終える頃に受けたTOEICの結果は、960点だった。
休養期間を終えた後は、リハビリも兼ねて、コンビニでしばらく働いた。当時は今ほど外国人観光客は多くなく、英語を生かす機会はほとんどなかったのだが、英語の勉強は続けた。とくに、アガサ・クリスティーやカズオ・イシグロの小説を、英語で読むようになった。もともと理系の大学を卒業していて、文学には関心がなかった僕だったが、それらの本を読むうちに、良さがわかるようにもなっていった。また、バイトで稼いだお金があったので、オンライン英会話のレッスンを受けるようにもなった。色々な外国人と話しをしたのだが、予想外に自分が話す英語が通じたことに、自分でも驚いた。
そして、また一年くらいその生活をつづけた頃に、英語を生かせる仕事をしたいと思うようになり、隣町にあった英会話スクールの求人に応募してみた。面接に呼ばれて、最初は僕に対して懐疑的な視線を送っていたスクールのスタッフも、英語を話す機会を与えられたときに、僕が流暢に英語を話すのを聞いて、驚いたようだった。結局、僕はそのスクールに採用になり、今もそこで講師として働いている。
仕事柄、職場に外国人が多く、またレッスンでも英語で話すことが多いことから、仕事でのコミュニケーションは、ほとんど英語で取っている。同僚にはマレーシア人、フィリピン人、オーストラリア人などがいるのだが、彼らと話していて気が付いたことは、平均的に見たら、どうも日本人は文化的に非常に貧しい民族らしい、ということである。
日本人で、映画や文学や音楽について深い話ができる人は、とても少ない気がする。たまにすごく好きな人もいるにはいるが、そういう人にリアルで出会える確率は、(特別な界隈にいない限りは)とても低い。若いミュージシャン志望の人とかでさえ、話していて(とくに洋楽は)「え、この曲も知らないの?」と思わされることが多い。
ところが、外国人は(僕が知っている限りでは)そういう文化的な話ができる人が、大半である。もちろん、僕が知っている外国人は、ほとんどがそれなりに高学歴だというバイアスもあることだろう。しかし、日本人だと高学歴な人でさえ、文化的なことに関心を払っている人は、少ない気がする。みんな口を開けば「どうやったらもっと金持ちになれるか」とか、結婚していなければ「どうやったらよいパートナーに巡り合えるか」とか、そんな話ばかりである。
僕は、最初は海外の文学や音楽に関心を持ち、そこから日本文学にも興味を持つようになったのだが、夏目漱石の「それから」という小説の中に、「日本人は急に近代化をしたものだから、みんなあくせく働くことに精一杯で、文化や教養などというものに関心を払っている余裕は、ないのだ」という内容のことが書かれているのを見つけたことがあった。夏目漱石もイギリス留学から帰ってきて、ひょっとすると僕と同じようなことを感じたのかもしれない。
さて、僕は、今はもう30歳を超えて、外国人とはスムーズにコミュニケーションが取れるし、今はそれで困らない環境にいるから良いといえば良いのだが、どうも平均的な日本人とは、コミュニケーションのチャンネルが途絶えつつあることを感じている。生徒さんたちともレッスンの間は英語でコミュニケーションを取っていて、こちらのペースで話を進められるから良いのだが、ふとした瞬間に、「彼らとレッスンの外で、日本語で話をしたら、どんな感じになるのだろう?」と思うことがある。
ひょっとすると、日本にいながら英語ばかり話して生活している今の僕は、日本社会不適応症候群とでも言うべき病にかかってしまっているのかもしれない。