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カフを上げる朝

 あきって漢字は、あかるいとか夜があけるとかっていう意味なんだよ。お日様の日とお月様の月が隣り合わせで、素敵な字なんだ。だからお父さんは、さつきが生まれた時、明子あきこって名前をつけたかったんだよ。お母さんに反対されちゃったからダメだったけどね。
 内緒だよ、と笑いながら父がそう話してくれたのは、いつのことだっただろう。もし明子という名前だったら、私はどんな人生を歩んだのだろうか。

 FMラジオ局の廊下を歩いていると、ディレクターの飯田尚美が声をかけてきた。私と同学年のはずだが、まだ30代に見えるほど若々しい。
「岡本さん、今からスタジオ入り? 早いわね」
 私は歩を緩めて笑顔を向ける。
「そりゃもう、飯田さん。今日が初日ですから」
 そのまま一緒に歩く形になり、私たちは話しながらスタジオ横の控え室へ向かった。
 向かい合わせに座った尚美は、収録の進行表を渡して言った。
「いよいよ岡本さつきの再デビューね」
「あ、いえ……」
 尚美はあっ、と小さく声を出す。
「ごめんなさい、今日から明子さんだったわね。まだ慣れなくて」
「こちらこそ……我儘を言って申し訳ありませんでした」
「とんでもない。岡本さんの気持ちはよくわかるわ。名前を変えたくもなるわよね。あなたはもうフリーだから、本名でなくてもいいしね」
 私は笑顔のままで、手元の進行表に目を落とした。それを見た尚美は、じゃまた後で、と控え室を出ていった。

 尚美は東京キー局の社員だったと聞いている。出産のため退職し、夫の勤務地であるこの県のテレビ局に再就職したらしい。
 私はそのテレビ局のアナウンサーだった。決してアナウンサー向きの華やかな容姿ではなかったが、素朴さや一生懸命さがうけたのか、入社後3年が経つころには県内でそこそこ顔と名前が知られるようになった。
 しかし、女子アナの旬は短いと面白おかしく言われるとおり、30歳を過ぎる頃には私の人気は下火となっていた。

 控え室でコーヒーを飲みながら、スマホを手に取った。ラジオの収録にはまだ時間がある。ふと思いたって、「岡本さつき アナウンサー」と検索した。
 『◯◯放送の岡本さつきアナ、不倫で退職?』
 『岡本アナ、スポンサー企業役員と密会!』
 『岡本アナ、行方不明! 逃避行か?』
 毒々しい文字が並ぶ。10年も経っているのに、東京から離れたローカル局のことなのに、いまだにこんな記事がネットに晒されているのだ。
 私はコーヒーの残りを飲み干し、席を立ってトイレへ向かった。手洗い場の鏡には、年相応の女の顔が映っている。
 ネットに書かれたことは、すべてが事実ではないしまったくの嘘でもない。しかし私が退職したのは母の介護のためだったのに、そのことを誰も伝えてくれなかったのが一番悔しかった。恋愛沙汰などよりも、父と離婚して女手ひとつで私を育ててくれた母のほうが、よほど大事だったのに。

 この仕事は、尚美からのオファーだった。母を看取ったのち、名前を出さなくてもできるナレーションの仕事を細々とやっていた私のことを知った尚美が声をかけてきたのだ。系列のラジオ局に異動になっていた彼女は、新しいパーソナリティをたまたま探していたと言うが、それだけではなかったのかもしれない。
 私はもう一度鏡の中の自分を見つめ、軽く化粧を直して、スタジオへと向かった。

 収録スタジオの席に座り、机の上のカフボックスに右手を乗せてスタンバイする。このカフと呼ばれるレバーを上にあげたら、マイクがオンになる。
 ガラス越しに見えるミキサー室に目をやった時、父の声が聞こえたような気がした。

 明子って名前をつけたかったんだよ。
 
 母がつけてくれた名前では、もう十分生きてきた。私はこれから、明子として生きるのだ。このカフを上げている間は、私は明子なのだ。
 ガラス窓の向こうの尚美からキューが出た。私はカフを上げた。

「みなさん、おはようございます。日曜日の朝8時になりました。今日から始まるこの番組、お相手はわたくし岡本明子です。明るい子と書いて明子。ラジオの前のみなさんに明るいひとときをお届けしますね」


〈了〉



ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます。

私のペンネーム「玖美」も、父が私につけようとした名前だったそうです。やはり母に反対されたそうで、違う名前がつけられました。
本名ももちろん好きですが、「玖美だったらどんな人生だったかなぁ」と、何かの拍子に思うことはよくありました。
noteのアカウントを作る時、ペンネームとして浮かんだのがこの名前でした。noteの中では、私は玖美として生きていける。そう思って、この名前をつけました。

どうぞよろしくお願いいたします。 

白鳥玖美



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