桐蔭に教えてもらったこと
昨日のnoteに、縁について思ったこと書きましたが、
高校を決める時も、やっぱり何か素敵な縁がありました。
長いnoteになるかもしれませんが、読んでくれるとめっちゃ嬉しいです。
初めは、とりあえず試合に出れそうなとこにしようと思って
練習参加もして、監督さんから特待生でっていう話をもらって
ここにしようって思ってた。
そんな時に、所属してたPazduroの監督と練習前に
たまたま二人で話すタイミングがあって
「一回 大阪桐蔭行ってみ」って言ってもらって
そこで初めて、道が広がった感じがして
いま思えば、進路の話をパパにしたときに
いっちばん最初に勧められたのも桐蔭やった。
名前で、勝手に、ひなにはむりやーって選択肢消してた。
これも なんかの縁なんかなってそこで思えた!
一回練習参加したら、先輩たちがめちゃくちゃ輝いてて
高校生でこんなに自分らで厳しいことも言い合って
本気でサッカーできる環境があるんやって
ここしかないなって。
その場で、ここで3年間頑張ろうって覚悟が決まった。
ワックワクな気持ちで入学した桐蔭での3年間は、色んな意味で
強烈に自分を変えてくれた。教えてくれた。
右も左も分からず、厳しい部則も、なんのためにあるのかも分からなくて
先輩に ただただビビって、サッカーで何かを示せるわけでもなく
同期とも仲が良かったわけでもなく
ほんまに今思ったら、よう辞めへんかったなって思うぐらい
人と関わってなくて、サッカーに本気になれてなかった。
それが悔しくて、帰り道泣きながら家帰って
ママに抱きついたこと、忘れません。笑
そんな感じで、コロナもあって、インターハイ、選手権の
重みも本当の意味で理解できてないまま2年生に。
2、3年生になるにつれて、少しずつ自分の立場、桐蔭への想い、
サッカーに向き合う姿勢、色んなところで自分を表現できるようになった。
桐蔭で3年間、ベンチにすら入れなくて、ユニフォームすらもらえなくて、
後悔がないわけじゃないし、やっぱり、試合に出たかった。
でも、そんなんどうでもええわ!って思うぐらい、大事な大事な
仲間ができました。
下手くそやから、誰よりも早くグラウンド来て、一番最後にグラウンドを出る。練習では一番球際いって、走って、
Aチームが焦るぐらい、みんなが
「ひなこんだけやってる」「もっとやらな」
って思うぐらい、必死に駆け抜けた。
正直、このやり方で合ってるんやろかって不安な時もありました。
でも、最後の選手権前に、
「ひなのために闘うから」って言ってくれる同期がいて、
「ひなさんのおかげで、試合に出れなくても、それよりも大事なことに気付けました」って言ってくれる後輩がいて
自分の、桐蔭への想いとか、示す姿は間違ってなかったんやって、
そこではじめて思えたんです。
なにが言いたかったかというと、「最後は人」やってことです。
どんだけ下手でも、不器用でも、ポンコツでも、
チームに懸ける思いとか、仲間への愛とか、一生懸命に伝えて
何かを示す。
これって人生でめちゃくちゃ大切なことやなって。
自分の立場はどうでもいいって、思えるような
そんなチーム、仲間に出会えたことが何よりも幸せで、
気付けば、一緒に泣いて笑って、どんなときも背中押し合って
大学生になった今も、場所は違っても、「やっぱ刺激受けるわー」って
語れる仲間で いっぱいです。ありがとう。
心から、桐蔭を選んで良かった。
これから進む道も、自分で正解にする。
みんなに心から感謝しています。
読んでくれてありがとうございました。
まず歩けるようにならななー。笑