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英雄について考える。

あらゆる国には、英雄が存在する。
そして、戦争や革命などの旗印になっていた。
日本でもあちこちに英雄がいて、その人物の像が建てられている。

しかし、思うのは……。
あらゆる英雄は大体、ワガママな殺人者でしかないということだ。

……だれかのため? 祖国のため?
いや、そんなことは無い。
彼らは自分たちのために、仲間の死を平気で受け入れた。
アレクサンダー大王も名誉欲に溺れて、無謀な進軍をしたのだろう。そして、退却するハメになった。

ウクライナもあんなコメディアン指導者のせいで、戦争するハメになってしまった。
そもそも政治家をしていなかった人間が、プーチンに挑むなど無謀だった。フツーに考えて当たり前だろう。コメディアンをトップに添えるような国には未来はない。
頭のおかしな人間だからこそ、身内切りをできるのかもしれないけど、権力者次第では国はすぐさまダメになってしまう。

YouTubeでアルスラーン戦記が一挙放送されていた。
昔、ちょっと見て止めていたから、通して見てしまった。かなり面白い。

でも、単騎で戦う鉄仮面の無能さには驚く。
まぁ……創作なのだから、ある程度楽しめればいいとは思う。

アルスラーン、興味ある人は見て欲しい。
今なら、YouTubeで25話?ただで見られるのだから。

アニメを見て感じたのは……。
やはり、どこかモヤモヤする。

こういう戦記モノを見て感じるのは、下らない権力争いで庶民はドンドン死んでいくのだろう。ということだ。
いつの時代も、庶民は権力者の号令で右往左往するのだろう。



アルスラーン戦記は、まだ少年のアルスラーン王子が主人公だ。
祖国を取り戻すために優秀な仲間たちと奮闘する。
アルスラーン王子は悩む描写が多い。
若いのに立場があるから、まぁ……あれこれ悩むのは仕方ないと思う。けど、周りにいる配下のヤツらがかなり精神論ばかり言ってる気がする。

正論じみた感情論というか……。
それでアルスラーンが奮起して立ち直るのはいいけれど……。

古今東西。みんな、そういうの無責任な綺麗事が好きだよなぁ……と思う。というか、ずっとそうしてきたのだろう。

スポーツマンの名言とか、偉人の格言とか、アニメの名ゼリフ……。
それは『一方向な価値観』であることに、僕達はなかなか気付かない。
『相反することわざ』があることの違和感に、みんな気付かない。
立場や状況によって変わるような言葉は、人を惑わせる。

フワフワ感で『まぁ、そういうもんか……』と、とりあえず納得して違和感を受け入れる。

とあるアーティストの曲の歌詞に、
『共感できる!』と納得するみたいに。

一見、正しい風の綺麗事。
まるで、松岡修造のような浅さと熱さと勢いがあればみんなそれでいいのかもしれない。

飾り付けられて『綺麗』だから、多くの人間は騙されるのだろう。
『努力は実る』とか、派生して『努力は実らない。
しかし、勝者は必ず努力している』みたいなのも……。

日本も戦時下においては、
『欲しがりません。勝つまでは』が大衆の中に根付いていたらしい。

そう言ったセリフなどがあまり胸に来ないのは、やはり、それが正しいとは思えないからだろうか?

まぁ……そうまでしても、僕達はどうにかして自分を誤魔化して、自分の心さえも騙さなくちゃならないのかもしれない。

アニメで言うと、進撃の巨人もなかなか考えさせられる。
進撃の巨人では、獣の巨人戦のとあるシーンが印象的である。
エルヴィン団長がリヴァイに勝つ方法を告げようとするシーンだ。
そこでは、エルヴィンが今までしてきたことを振り返っていた気がする。
エルヴィンは団長である。
立場的にみなを鼓舞して『綺麗事』を言ってきた。
しかし、そんな自分にウンザリしていた。自分が言うことの罪深さを理解していた。

自分の身勝手な発言で、人をたくさん殺してしまうからだ。そうやって、仲間を殺してきたからだ。
……結局、リヴァイ兵長が選ぶハメになる。
そして、調査兵団はエルヴィンと新兵たちの命と引き換えに、獣の巨人に勝つことが出来た。

こういう人の上に立つことの罪深さを理解して葛藤するキャラがいれば、まだマシなんだけど……。
こんな出来た人間は、アニメになかなかいない。
現実にもかなり少ないと思われる。

みんな、自己保身に夢中で、自分が可愛くて仕方が無い。他人がどうなっても構わない。

英雄と呼ばれるような人間は、大体『人間なんて駒』だと思っている。明確に身分があり、上下関係という序列がある。

会社の社長も心のどこかで『労働者を駒』だと思っている。だから、平気で社員を切り捨てるし、問題があっても隠蔽するし、社員にもそれに従わせる。
逆らえない状況を作り上げて、創業者へのリスペクト教育を欠かさない。
起業家にサイコパスが多いと言われているのは、
そういう理由なのかもしれない。

『誰かのことを考えるなんてそんなにしない』
『金を稼ぐための道具として人間を扱う』

だからこそ、彼らは平然としていられるのかもしれない。自己愛を暴走させた人間は、あらゆる場所に存在する。

マルクス・アウレリウスくらいじゃないだろうか?
僕達は懸命に働く。
しかし、上の立場にいる人間の中に、毎日、内省して記録を書き残す人間はいるのだろうか?

『何をしても、そこまで変わらないかもしれない。
昇っていくことや成長すること、乗り越えることが大切ではないのかもしれない』

……と気付ける人間はいるのだろうか?

恐らく、考えるクセが無ければそんなことを考えることは無いだろう。
だから、どこか欠落した精神性の持ち主や野心家が人の上に立つ。……そうで無ければ、人間の上には立てないのだと思う。

アルスラーン戦記は、よく出来ていてかなり面白い作品だと思う。
つい、『やしゃしーん!!』と叫びたくなる。
……正直、壮大な歴史ものは好きだからだ。
そんな人間だから、ヴィンランド・サガとか、ヒストリエとかも気に入っている。

でも、そういう歴史物を見て、感じるのは……。
歴史は繰り返すみたいな人間の愚かさというか、
人間に対する嫌悪感、失望というか……。
はたして……彼らは血を流し戦って、勝利して、
何を手に入れたのだろうか?ということだ。

有名な戦国武将たちも、必死で戦ってたくさん死んでしまった。ある程度の立場を得ても、仲間に裏切られて殺されたヤツもいる。
はたして、その人生で彼らは何を得ることができたのだろうか?

ファイアーエムブレムという作品もそうだ。
人を殺すのに、あまり苦悩などしてないように見える。仲間の死を悼むが、他者なら関係ないし容赦もしない。殺すことに躊躇などない。
マフィアやヤクザと変わらない精神性だと感じる。
しかも、争いはなかなか終わらない。
いくら屍を積み上げて平和を取り戻しても、これからも争いは続いていくのだろうか?となんだかモヤモヤする。

戦争ものだと、ガンダムシリーズもそうだ。
懲りずに、大体巡り会いながら、◯し合いをしている。争いは繰り返すものと錯覚してしまう。

……なんか、そういうのに少しウンザリする。
結局、いろいろやってもあまり変わらないのだろう。

現実の戦争も、似ている。
あらゆるモノが複雑に絡んでいて難しい。
心の底から、下らないものだと思う。

僕は戦争してる両陣営をバカにしながら見てる。
けど、戦争はやってる連中は大真面目なのだ。
プロパガンダで国民を扇動されて、常人でさえも狂わされる。知らず知らずのうちに、誰かの政治的思想の代弁者となる。
……それがとても怖いと思う。

彼らは自分に都合のいい言葉を使って、声高に正義を叫んでいる。
自分たちの都合の悪いところには、目を瞑っている。
自分たちの非を認めると死んでしまうかのように、非を認めようとしない。
それどころか、そんなことを言うヤツを敵視し始める。

両者に、正義などないことは明白であると思う。

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陽太朗
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