妊娠出産したら、想像以上にハイパー難産だった
なんとなく、出産レポート。いわゆる難産のフルコースで死を味わった記録を文章にて。文才は一切ありません。
妊娠出産については、知識で「痛い」という事はわかっているつもりでした。
ネットで調べると、陣痛とは重い生理痛みたいに始まる・・・みたいに書かれていますよね。
ですが、そもそも私は生理痛がない人間なので、一切わからずレポート漫画などを読んでお腹がぎゅーっとなるのかな?くらいの考えでした。
そんなこんなで臨月。いつだろうかと待っていたとある日。
義実家で焼き肉をいただいていた時から、骨盤あたりの痛みが定期的にやってくる所から陣痛が始まりました。
この日は予定日二日前。初産は予定日超過するよね~とのんきに考え、これが前駆陣痛もしくは骨盤が開いてきたって奴か!と思っていました。
ですが、その痛みはどんどんどんどん感覚が狭まってくる・・・一応計ってみたら6分間隔。。え、陣痛ってこんな感じなの?
レポ漫画とかではお腹が痛い、もしくはぎゅーっとなるみたいな感じだし違うのでは?と思いながらも、一応病院へ電話。「すぐに来て下さい☆」となりました。
実は病院に行くのをためらうのには理由がありまして。
私のかかりつけの病院は、車で約50分くらいかかる大学病院です。なぜならとある疾患持ち(妊娠出産には全く影響のないものですが)でハイリスク妊婦となっていたからです。
行くだけ行って、帰されるのめんどくさいなあ、と暢気に考えながら入院バッグなどを持って病院へGO。
大学病院に転院させられた時点で、無痛分娩という選択肢が消えていたので、陣痛という「痛い」ものにドキドキしながら向かったのを覚えています。この時までは痛いっちゃ痛いんですが、まだヘラヘラ笑う体力がありました。
夫の運転する車で病院へ着くと、さっそく内診。(痛いと噂の内診グリグリだ)と思いながらグリグリされたのですが、全然痛くない。「アレ、これがみんな痛いって言ってるってことは陣痛余裕じゃね?」と思った事も覚えております・・・。
その時点で3cmだった+一応リスクあり妊婦だったので入院となり、病院側が夫立ち会い等OKだったので一緒にLDR(たぶん)に通され、子宮口が開ききるのを待つ事に。
だがしかし 全然開かないのである!!!!!! 痛みは指数関数的にどんどん痛くなってくるのに!!!!
毎回先生に内診され「3cmから進まないねえ~」と言われ心がボキボキ折られていく。
そしてどんどん意識が混濁し始めました。
まず最初に水を飲む事を拒否し始め、脱水症状が出てきたらしいのです。。まぁ脱水症状なら点滴とかで何とでもなりますよね。
そして立ち上がったりトイレに行こうという気力が消え失せ導尿になりました。
↑この辺後から夫に全部聞きました。
なおそれでも子宮口は3cmより開かない。何故ダアアアアア。
叫んで痛いとしか言わないマシンになった私に同意を求めるのは無理だと判断され、夫に陣痛促進剤の投与の話をされたそうです。じんつうそくしんざい、、アレって確か痛いのでは?え、もう痛いのにもっと痛くなるの????
そして陣痛促進剤を投与され、声量がワンランクアップした叫びをあげながら子宮口10cmまで開くのを待つ事に。
このあたりで破水。お腹の中で水風船みたいな何かが割れるような感覚がありました。
破水して少し経ってから、改めて内診がありました。
破水したということはお産が進んだということ!と希望をわずかに持って、内診してもらった所「7cmまでは来たんですけど、全開にならないねえ」
虚無。。。。
ちなみにこの時点で熱が40度近くあったそうです。
破水したタイミングで何かのウイルスに感染した?らしい。
自分では熱があるなんて気づいてないので、寒くなったり暑くなったりで意味不明になり大パニックを起こしていました。
この辺から「お腹を切ってエエエ」「○してエエエ」しか叫んでなかったそうです。頭おかしい人にしか見えねえ・・・。
んで意識朦朧としながら言われた事が「○○の筋肉注射を打てばもしかしたら10cmまで開くかもだから打ちますね」
有無を言わせず注射を打たれ、1時間ほど待って内診された時には
「・・・8cmですね」
\(^o^)/オワタ
陣痛が来るたびに、「アアアアアアア、イキミタイイイイ」と叫んでいたそうです。(当たり前のように覚えていない)
いきみたいなんて感覚わからんのに何でそんなこと叫んでいたんだ。
この時、先生や助産師さんが8人くらい周りにいたそうです。旦那が腰さすってたくらいしか記憶にない。。
なぜ旦那だけ覚えているかというと、腰さすられるたびに揺らされて痛みが加速していたからです。覚えられている理由がひどい。
そして、お腹の中の赤ちゃんの心拍が、私の高熱で危ない領域まで行ってしまったので緊急帝王切開へ。
諸々の準備の都合で30分後くらいになると死にかけの意識で聞こえた時に、「「「「すぐに麻酔入れてほしい!」」」」となったので「今すぐに麻酔イレテエエエ!!!早くシロオオオ!!!!」と言って何か近くにあったもの殴ろうとしたのは覚えております。殴る力すらほぼないけど。
準備が出来たら自力でストレッチャーに移動しなくてはいけなかったのですが、移動の介助がない事にあんなにイラッとしたのは多分人生で最初で最後だと思います。
そんなこんなで、帝王切開を受けて息子を出産しました。
出産まで2日かかりました。
いや・・生きてるって素晴らしいね。。。
息子が元気ならいいや。
ちなみに今年に入って5本以内の難産だったそうです。今年はまだ半分くらいしか経ってないけど。
他の4人の方はどういう壮絶な体験をしたのだろうか・・・。