
『一房の葡萄』『少年の日の思い出』
許される、許されないの話。
一房の葡萄、少年の日の思い出(エーミールのやつ)魔が差して憧れのものを盗む話。
一房の葡萄は許され、少年の日の思い出は許されない。
教科書に選ばれる話であるのにも関わらず、結果がまるで反対。
人のものを盗む→反省する→許される。
人のものを盗む→反省する→許されない。
え?!じゃあ一発アウトってこと?!
一房の葡萄では絵の具、少年の日の思い出では蝶の標本が主人公の少年によって盗まれた。なんなら許されない少年の日の思い出はちゃんと面と向かって謝ってるのにも関わらず、一房の葡萄は謝っておらず、先生が中立に立ってなんかうまいことやってくれちゃう。
ずるくない?って思った人いるんじゃないですか?わたしだけ?I'm a 主人公〜だから多少の無理はしても大丈夫〜なの?
何が盗まれたのかの差、これはあると思う。
絵の具が盗まれた子は勿論絵の具を大事にしてる描写はあれど、親に買ってもらったものの一つで、少年の日の思い出は、その盗まれた子が大事にしていた珍しい蝶の標本である。
しかも不可逆にしてしまってる。焦って握り潰しちゃったからね。読んでる側は盗んでる側の視点で物語は進むから、ああ、あ、やっちゃってる…おしまいだこれ…と軽く絶望し、許されないと知って深く絶望する。
いや、確かに悪いことした!したけど、いや許せってのもおかしい話か…わたしだったら許せないかもな…しかし冷静に怒ってる+許されないのコンボ、怖いな…と思った記憶がある。
そんで最後は主人公は母親から慰められた後、自分も集めていた蝶の標本を一つずつ丁寧に潰していく(!!!)
一房の葡萄は、葡萄を美味しく食べてたのに!!!若気の至りって、あるよね…みたいな感じがしたのに!
許される罪があるのと同様に、許されない罪はある。やってしまった後の振る舞いは関係なく、それは存在する。
共通することの一つとして、無条件にその罪を許してくれる人はいる。一房の葡萄では先生、少年の日の思い出では母親。どちらも罪には言及し、反省を促すものの主人公の味方をしてくれる。でも、全員に許されないとハッピーエンドにはならない。だから見落としがちだったりしませんか?許されなかった…ダメだった…と思っちゃう。
そんな味方でいてくれる人を失望させてしまった悲しみは、自分が盗みをしたことで傷ついた人への申し訳なさを上回っているように感じた。でもそういうことある。
仕事で迷惑をかけた人に謝るよりも、期待してくれていた人にそのミスを報告するほうが辛い。そんな感じなのかな。
そして、その出来事はリアルタイムじゃなくて大人になってからの視点で語っていたことがわかる。特に少年の日の思い出は、幼い自分が犯してしまった罪を見つめ続けている。
今でも教科書でやるのかな。いろんな子供達の読書感想文、読みたい。ここから何を学ぶのか気になりすぎる。
先生と絵の具の盗まれた子の中で語られなかったやりとりの内容、一つずつ自分の標本コレクションを潰していった理由、やってしまったことへの向き合い方…とか、あなたはどう思いますか?みたいなの、結局大人になった今勝手にやってんじゃん!頼まれなくても感想文書いてるよ〜!こういう人間が生まれるきっかけにもなるのかな。そういえば読書感想文、嫌いじゃなかったな。宿題って感じがしなかったから。
その場で決定権があるのは罪を犯されている側なので、許すも許さないも他人の感情は必要ないと思う。それがどんなに小さいことでも、第三者が騒ぎ立てる大きなことでも許したくないなら許さなくて良いし、気にならないなら許せば良い、許すことで相手との関係性を対等でなくしたいみたいな理由でも良いと思う。
誠心誠意謝っていようが、それが若気の至りだろうが魔が差しただろうがうっかりミスだろうが関係ない。だからやっぱり少年の日の思い出の、蝶を壊されてしまったあの子を責める気にはなれない。
生きてると、どうにもならなくなっちゃった…みたいな、前にも後ろにもすすめないことある。
そういう時に寄り添ってくれる話に今は思います。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。長くなっちゃった。
おわり