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破壊の学校@オンライン青森に参加しました。
自分にダウンロードが終わったようなので言葉にしてみようと思います。

【破壊の学校@青森の詳細はこちら

破壊の学校とは、

https://www.okudahiromi.com/school

「人間」とは何かを考えながらのリトリートプログラム。破壊の学校の行動指針は、飛びつく・壊す・生み出す。サロンという名前を再び使っていますが、オンラインサロンとは異なり、リアルな場、ましてや意味を持って遠くで開催し、あえて参加しづらい環境を作ります。離れた土地で開催されるこの場に飛びつく、これまでの考えを壊す、そして新しいものを生み出す。

鹿児島肝付の破壊の学校は「ま、いっか」

2019年8月の1回目の破壊の学校@鹿児島肝付に参加した。その時の私は、サラリーマンを辞めて5か月経ち、組織に属していないという自分のアイデンティティがグラグラしていた。

そして、破壊の学校でモヤモヤ、グラグラしてね、と言われて余計に混乱したことを覚えている。

プログラム最後の奥田浩美さんの言葉は「ま、いっか」だった。私としては「えええええ」という衝撃と、何をそんなに難しく考えているのかと自分に改めて驚き、凝り固まっている自分に気が付いたのだ。

どれだけ他人軸、他人の目を気にしていたか。たくさん言いたい事はあるのに、自分の想いを言葉に出来ないか。

何をカッコつけているのか。何が裸になれないのか。

その事を突き付けられたように感じて、帰って来てからずいぶん落ち込んだような気持ちにもなった。これが1回目の破壊。

「呼吸と感情は繋がっている」

翌月の9月に、インドのバンガロールにて行われた国際ソーシャルワーカーのカンファレンスに行った。全国各地のソーシャルワーカーとインドに行って、世界各地のソーシャルワーカーと出会う。インドの児童養護施設を急遽見学したり、現地のソーシャルワークを学ぶ学生さんとディスカッションする時間があったり。また、基調講演の中での「呼吸と感情は繋がっている」という言葉が忘れられない。

まさに、呼吸を意識することは身体の状態に目を向けること。スキルも経験も学術的なことももちろん大切だけど、身体、感情、を置き去りにしていないか。私は思考が優位になって、身体を忘れているなあと感じた。不思議なことに、一緒に参加していた人が奥田浩美さんに会いたいと話しているのが聞こえてきた。

実は、インドに行く前に破壊の学校@インドの帰りとなる奥田さんとはトランジットのデリー空港で会う約束をしていた。思わず会話に割り込み奥田さんを知っている事、帰りのデリー空港で待ち合わせをしている事を話し、ツアーに参加している人に声をかけた。30分くらいしか会える時間はなく、奥田さんの国内線の飛行機が遅れたら、私たちが乗る飛行機が遅れたら、ターミナルが変わってしまえば会えない。私は会える気しかしていなかったので、日本の各地のソーシャルワーカー数人と奥田さんが会えたことは、ソーシャルワークが共通現言語になり新しいページが増えたような気持ちになった。

ソーシャルワーク、福祉の業界の人ももっと前に出ていこう。もっと言葉を発信しよう。破壊の学校の肝付を経て、奥田さんがソーシャルワークを学んだインドで、日本のソーシャルワーカーと出会う場を作れたこと。何よりも私が一番嬉しかったのだ。

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自分は何をしたいのか。何を気にしているのか。誰の人生を生きているのか

すぐには言葉に出来ない自分もいて、モヤモヤというよりは悶々としていた。そんな1年前を経験して。

今年1月の知床での開催は楽しみにしていたが、コロナの影響で残念ながら中止。青森で7月に開催されることは聞いていたので、参加する気満々でいた。しかし、時世の流れでも7月の青森は開催されずやむを得ないと感じつつ、寂しさもあったが、青森はオンラインの開催が発表。もちろん、すぐに申し込んだ。後から聞くと、同じような気持ちの人がたくさんいたのだと思う。ものの数時間で30名が参加の申し込んだそうだ。

医療職の友人も申し込んだと聞き、都内のホテルで2人で合宿しながら参加することにした。もちろん、自宅でも受けられるが、自宅で受けるよりは環境を変えようと思ったから。結果、この合宿はとても良かった。オンラインの良いところは、マイクがミュートになっている時は話せること。

合間合間でお互いに感じたことを話したりして、同じように感じること、または感じないこと。それぞれの違いを認識して、感じながらプログラムを受けた。

破壊@青森のテーマの一つは福祉

「福祉」。それは、私とっては職業も生き方も生き様も、どっ直球ストレートど真ん中のテーマ。だからこそ少し斜めに見ていたかもしれない。

「うん知ってるよ」「そうそう」みたいなちょっと上から目線な感じもあった。そんな自分は実は結構嫌い。
何故なら、専門家気取りしているように感じるから。

何故、それを知らない人に伝えようとしないのか。何故したり顔をするのか。そんな風に感じた。

こんな話をしたら場が暗くなるから、専門家気取りをしたくないから。それこそがモヤモヤしたした。

見えない世界。透明な存在。見えないとされている世界に持つ私の『違和感』

例えば、映画の「万引き家族」や「パラサイト」は私は観ていない。それは、観なくてもわかるような、観たくないようなそんな気持ちだから。映画の世界ではない現実をたくさん見てきた私としては、釈然としない気持ちがあるのだ。

その現実をどうにか出来ないか、どうにもできない、いやどうにかしたいという想いもある。

さて。1泊二日の破壊の学校@青森が終わり、自宅に戻った私はと言うと、何もする気が起きず、まずはひたすら寝た。その後も日常生活はぎりぎりこなして、モヤモヤ、グラグラする自分を認めて普段は秒で返すメッセージも最低限にして自分の状態を静かにまっすぐ見つめた。

何を自分の身体が求めているのか、過去とと対峙した

何か私の身体で起きている。1年前とは違う感覚を身体で感じよう。言葉にするのはそのタイミングが来てからで良い。何を自分の身体が求めているのか。社会福祉を学んだ頃、学生の頃をすごく思い出したのだ。そして、一緒に学んだ友人から随分前に薦められた「こんな夜更けにバナナかよ」を観た。

この映画を観て、走馬灯のように色んなことを思い出した。私が社会福祉を学んだ大正大学は、卒業生の多くが社会福祉の現場に出る。そのため実習先も豊富で、行った先で施設長、係長、実習担当が卒業生だったりする。私も3年生の時に先輩が2人いる医療機関に実習に行き、4年生の時に募集があると連絡をもらい実習先だけ受けて24年働くこととなったのだ。

大学にはボランティア活動の募集や、アルバイトの募集も多かった。友人はALS(筋萎縮側索硬化症)の患者さんの泊りのアルバイトをしていた。当時のアルバイトとしては高額で驚いたことを覚えている。365日アルバイトを入れているらしく、アルバイトの人を増やしたいからとまずは体験してみないかと友人に誘われた。そこで、その人の自宅に1晩、友人と泊ったことがある。患者さんは40代の女性。その時点でALSが発症して数年経ち、瞼しか動かない状態であった。すでに気管切開をしており、痰の吸引、体位交換、おむつ交換が仕事のタスクであった。私は、そのどれも未体験で、同級生の友人がものすごい手際の良さでこなしていく姿を見て尊敬の想いを持った。同時に、私は痰の吸引が怖く感じた。そして、何よりも泊りの仕事で隣で仮眠を取りながら、決まった時間に起きてそれらの行為をすることが私は出来ないと思い、アルバイトはしなかった。その方は、ご主人と中学生のお子さんがいた。マンションだったので、同じ空間に常に他人が24時間いる状態。ご本人の部屋と介助者がいる部屋は家族の空間とは違ったので、お互いに挨拶をする程度で干渉はないようだった。

ALSの患者さんはどんな気持ちなのだろう、ご主人はどんな気持ちだろう、お子さんはどんな気持ちだろうと考えたことを思い出した。初めてその方に会った時、ご本人はベットに寝ている状態だったが発せられるオーラというか存在感が凄くて、私は何とも言えず怖くなった。振り返ってみるとそれは、命を預かるという行為なのに、アルバイト代が高いからと誘われて深く考えずに行った私をご本人に見抜かれたような気持ちがしたからだと思う。

ボランティアと言っても、有償のボランティア募集も多かった。通所施設の1泊旅行のボランティア募集に友人と行った。重度障害の方の通所施設で、1人の方に2人以上で対応する必要がある方ばかり。

私が担当した方は、話すことは以外は介助が必要な方。車椅子に座っているが、首も座っていない状態なので少しの移動、段差で首が動くと呼吸が出来なくなる。1人は車椅子を押し、もう一人は体と首の位置を確認する。身体はとても細い方だったので車椅子を押すこと自体は重くないので難しくはないが、とにかく首を注意して進むことが何よりも私には難題であった。食事は全て刻み食。旅行となると、まな板と包丁、キッチンバサミ持参でその場で出た食事をひたすら細かくする。

崩れ落ちるような気持ちに

嚥下の問題もあるので、「とにかく細かく」という職員さんの指示のもと私はひたすら細かくした。食事の介助はタイミングが慣れるまでは難しく、呼吸を合わせるような感じを掴めるまでには時間もかかった。そして、夜になって。その方を挟んで、担当する職員さんと私で寝た。寝る前に、定期的に体位交換が必要なことを聞いた。こともあろうに、私は隣で朝まで爆睡し一度も夜間の体位交換をしなかったのだ。朝目が覚めて、その方に「お姉さん、寝ちゃったね」と言われて頭を勝ち割られたような衝撃を受けた。飛び起きて「すみませんでした!!!!!」とその方と職員さんに全力で謝った。自分の不甲斐なさに呆れるとともに、情けなくなり、泣きたくなった。

せめてもの罪滅ぼしのつもりで、その後の食事の刻みは前日よりも真剣に刻んだ。私の落ち込みを見て取って、その人は笑っていた。職員さんは嫌味は言わず、何も言わず。ああ、なんて役に立たない奴なんだと自分に腹が立った。完全に落ち込んだ私に、その方は別れ際「2日間、楽しかった。ありがとうね。」と言ってくれたのだ。崩れ落ちるような気持ちになった。
感謝したいのは私の方で、私は何かが出来ると思っていたけど何も出来ないのかもしれないと自覚した。同時にこの時、私は24時間介助が必要な人の支援はやってはいけないと、ALSの方とこの方との2日間を通して決めた。一緒に行った友人は、その後最重度の施設に就職し、今も最重度の人ばかり対応しておりその道のエキスパートとなっている。

一緒に福祉を学んだ仲間は、今も多くは現場にいる。そして、施設長など管理職をしている人も多い。福祉を学んでいると言われる事。

「偉いわね」「優しいのね」「親御さんは老後安心ね」と言われる違和感

本当に偉いのか、優しいのか、親を介護するのか。その事について福祉を学ぶ仲間と話した。4年間その違和感を話していた到達点は「私たちは偽善者だ」という言葉。偉くもない、優しくもない、親を介護するとは限らないからだ。私自身、自分が福祉を仕事にして偉いとも思わない、自分自身が優しいとも思わない、親を必ず介護するかもわからない。だからか、「偽善者」かもねというオチは妙に腑に落ちた気がする。今も変わらずに思っている。あくまでも、仕事の1つ。偉くも、優しくもない、ただ福祉の仕事をしたいと思うだけ。誰かのためではなく、自分がその仕事を選ぶ。

今回、原点に戻った気がする。

自分の事に集中すること。好きな事をより突き詰めること。何よりも自分の感情を自分が感じること、信じること。

助けてという相手、人間シーサーたち

「助けて」と言える強さも。助けてという相手は選ぶ必要はある。奥田さん曰く人間シーサーを自分に置く必要もある。その上で、「助けて」と言える自分になろう。

今、私にはありがたいことに。
家族をはじめ、シーサーだと思える人がいる。囲まれている。

そして、なによりも私を信じてくれる。
応援してくれる。
その事がなによりも幸せだと感じる。

不完全だと感じる自分が、本当は完全なる自分。
そんな自分を愛でて、労わって、大切にしたい。

次回開催の破壊の学校の予定はまだ出ていませんが、こちらのリンクから情報を得る事ができます。

自分の中の”破壊”で本来の自分に出会う旅へ、グラグラして、モヤモヤして。そこで出会う仲間たち。

https://www.okudahiromi.com/school


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