母から監督へ その8「くみちょ。って何者?」

前回のとこちょ。(監督)の記事の中に、『初対面の時から「このお母さん只者ではないな」と思っていました』という文章がありましたが、確かに少し変かも。

「カミングアウトしてきた子供をどのように受け入れてきたのですか?」という質問を多くいただきます。カミングアウトしてきたからとかそういう事ではなく、いつも同じ姿勢で子供と向き合ってきました。それは、もう真正面から、真剣に、ただ自分の思いのままに・・・

自分の思いのままというのは、私の思い通りにさせるのとは違います。

離婚再婚を繰り返す父も、いろいろ問題がありました。私には実母、継母合計5人も母親がいたけれど、お手本、見本にはならなくて、だからこそ、よかったんだと思います。
親とは、こうあるべき、こうするべきという、型や枠を持つ事はなかったから、私の思いのままに子供とは関わってきました。

子供は授かりもの、天からの大事な預かりもの、そんな風に考えていました。
だから、私は子供達の笑顔を守ることだけ考えてたんです。
子供に好かれるためにとか、嫌われないようになんて、下心を考える余裕もなかった。だって、天から、神様から預かった大切な命だもの。
私は、命と笑顔を守ることに必死だった気がします。シングルマザーだからなおさらかな。

そして、私は子供のためなんて、おこがましいことも考えず、私が子供の笑顔を見たい、私が子供の瞳の輝きを守りたい、という私の欲だけで、子供を見守ってきたし、子供にも常にそう言ってました。

「おかーさんが好きでやってるんだから、何も気にするな」って。

恩に着せるとか、子供のために犠牲になるとか、全く考えてなかったし、そんな身勝手な思いを子供に押し付けたくなかった。子供は成長したら巣立つもの、親から離れていくものと、そんなふうにも考えていました。

私は、母親としてではなく、女性としてではなく、私らしく見守ってきたと思う。・・・という自負はあります。

だから、子供の変化には気付いていたし、その瞳を曇らすものを取り除いて、キラキラ輝く瞳を取り戻すためには何が必要なのか?どうすればいいのかを考えていました。

なので、子供がカミングアウトしてきた時、それが答えなんだと思ったので全力でサポートしようとすぐに行動しました。
映画の中では、「簡単に」「すぐに」「軽く」受け入れているように見えるかもしれませんが、3年近い観察と準備期間がそこにはあったのです。

くみちょ。の人格を作った生い立ちについて、次回からは、5人の母のことを少しずつ書いていきますね。次回も母くみちょ。が担当します。

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