監督から母へ。美由起と美由紀とみゆきと美幸その2
映画「ぼくゼロ」を観てくださった方からよく、「一番大変だったことは何ですか?」という質問をいただきます。その答えには4人のミユキが大きく関わっています。
2012年、小林空雅さんとその母、美由起さんを撮影中に、ふと芽生えた映画化への夢。でもそれは「自分の無能さとの対峙」の始まりでもありました。ひとりじゃ何もできないと思っていました。私には映画を監督するだけの能力があるとは全く思えなかったからです。
そこで最初は監督になってくれる人を探しました。候補が上がっては消え、上がっては消え…。決まりそうになった次の瞬間には白紙になる…。もがいているうちに、15年ほど音沙汰がなかったある女性と、不思議な導きで再会することになりました。
イギリスやシンガポールに約20年暮らした末に日本に戻ってきた彼女は、「日本が息苦しい。日本人がみんな辛そうに見える。もっと生きやすい国にしたい」と言いました。私はすぐさま「こんな映画を作っている。日本をちょっぴり居心地の良い場所にするための映画なんだけど、一緒に作らないか」ともちかけました。2つ返事で引き受けてくれました。でも彼女は「監督はあなたがやるべきよ」と言い、ご自分はプロデューサーになると言う。彼女と一緒なら頑張ってみよう、と思いました。
その名前は両角「美由紀」さん。同じミユキなので、私は美由紀さんをミミさんと呼んでいました。出演交渉やロケ交渉などミーティングに行くたび、隣にしっかり者で良識のあるミミさんがいてくれることにいつも安心感をもっていた私。映画祭の運営やアニメーションの配給の仕事もしていたミミさんは、そのスキルを活かして、プロデューサーとして、資金調達や上映場所の確保などを担当してくださることになっていました。二人三脚で制作をすすめていた美由紀と美幸。制作の合間には人生相談をしたり、おいしいものを食べたり、娘さんのギターを聞いたり、とても素敵な関係でした。
ミミさんの家にお呼ばれして、娘さんの沙霧ちゃんと
そんなミミさんに異変が起きたのは2015年の暮れ。詳細は割愛させていただきますが、病という不可解な存在がミミさんを襲ったのです。ミミさんの回復を待って制作を続けようと一時中断。2年後ミミさんは最後まで病と果敢に戦って、格好良く旅立っていかれました。
私はミミさんを失って、どうやってひとりで制作を続けたらいいのか、途方にくれていました。ミミさんなしで、私ひとりで何ができるだろう…。そもそも、2人の作品を、私ひとりで作ってもいいのだろうか…。
そんなとき背中を押してくれたのは「美由起」さんでした。そっとメールをくださいました。
「ミミさんは、ドキュメンタリーを完成させたかったんだと思います。美幸さんが引き継ぐ事は、ミミさんの想いを引き継ぐ事になると思います。最後に話した時、あの大きな瞳でドキュメンタリーを完成させたいとおっしゃっていました。」
腹をくくりました。たったひとりで制作を再開しました。一人で悩んでいても前に進めない、プロジェクトを公にすることで自分に火をつけよう。そう決心してクラウドファンディングを始めました。でも最初は辛かった…。「お金をください」なんて頼むのは人生で初めてでした。今日はあの人に会いに行く、明日はあの人に頼みに行く。とにかく辛いと思う隙間を与えないため、ただただ行動することにしました。でもすぐに、ひとりでないことに気づきました。たくさんの方が応援してくださり、たくさんの方が手をさしのべてくださり、たくさんの方が励ましてくださる。。。クラウドファンディングを通して「お金」という具体的な形でその厚意を示してくださる。。。なんてありがたいことでしょう。私はひとつひとつの温かさに涙しながら、完成までがんばることを決めました。
八代「みゆき」さんからも励ましの言葉をいただきました『ドキュメンタリー制作はいろいろ大変なことも多いし、予想できないこともあると思います。でもその時その時に柔軟に対応してくださいね。気落ちせず柔軟に対応していれば、良い方向に進みますよ。私もそのように生きてきました』
それでも正直、まだまだ不安がいっぱいありました。皆さんに見せられるだけの良い作品になるのだろうか、そもそも観客はいるのだろうか。。。見てくださっても気に入られないのでは?
その不安を振り掃い、不安を振り掃い、そしてまた不安を振り掃いながら、一歩一歩進めていきました。いつもミミさんの声が聞こえるようでした。「わたしなしでもがんばってね。できるよ!」
そしてミミさんの不在は、映画に思ってもみなかった結末ももたらしました。制作がストップしている2年の間に、主人公に大きな変化があったのです。
ミミさんが病気になっていなかったら、2017年に完成するはずだった映画のエンディングは「女性として生まれた主人公が、希望する男性として生きられて、めでたしめでたし」になるはずでした。それから事実はどんでん返しになったのです。あのまま完成していたら、ここまで深いメッセージを携えた映画にはならなかったでしょう。制作が一時中断したからこそ、普遍的で根元的なテーマを伝える映画になったのです。
ミミさんは、いつも「映画を作るなら普遍的なテーマでなくては」と言っていました。それがこんな形で実現することができたのは、不思議さを超えてなんと理解したらよいでしょう。ミミさんの声が聞こえます「ほら、ひとりでもできたでしょ」
でもやっぱり私はいまでもミミさんに隣にいて欲しかった。一緒に喜びたかった。一緒に悔しがったり、一緒に悩んだりしたかった。
最後に、ミミさんが最後まで心配していた一粒種の愛娘、沙霧ちゃん。シンガーソングライターでもある沙霧ちゃんに真っ先に挿入歌を歌ってもらうことにしました。沙霧ちゃんの歌声は天国まで届いているかしら。
沙霧ちゃんの歌声はこちら。
by常井美幸