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もっと幸せになろう!自分なりの幸せの形を大切にしよう

先週は久しぶりにとこちょ。が書いてくれました。
今、ちょっと本題から外れていますが、今週まではこんな感じでw
来週からまた「ぼくゼロ」制作秘話に戻ります。多分w

今週はくみちょ。のエッセイ。
もっと幸せになろうシリーズ3回目です。
3回目と言ってもこの noteに書くのは初めてです。
*くみちょ。が20年近く前に書いていた文章です。

1回目ではもっともっと幸せを目指しましょう。
宣言しましょうという事をお話ししました。

2回目ではもっと自分の心に寄り添いましょう。
無理せずにということをお話ししました。

*1回目2回目はくみちょ。のYouTubeにアップしています。

3回目は、自分らしい幸せの形についてお話しします。

みなさんは幸せって文字で書くときは、漢字を使いますか?
幸せって漢字で書くとなんか安定とか落ち着いた雰囲気を私は感じるんです。
この感じ方って人それぞれだと思うんですね。

しあわせって ひらがなで書くと、全体的に曲線が多くて丸っこい、柔らかい雰囲気を感じるんです。

あまり使わないけれどシアワセってカタカナだとどうでしょう?
私にとってはあまり馴染めないかな~ 

ハッピーっていう人もいますよね。

これこそが人それぞれの幸せの表記、表現、イメージ、受け取り方なんですよ。

幸せってこういう形で、こういう色で、こういう香りで、硬さで重さでってひとつには決められないものだと、私は思うんです。

子供の幸せや友達の幸せを、どんなに強く願ってもいいけれど、こうなりなさい、これがあなたにとっての幸せよなんて決めつけられないし、強制はできないものだと思うんです。

ここまでが昔書いたことです。

今の私が付け足すとしたら、例えば・・・

自分にとっての正しさや正義や普通、常識って、あくまでも自分にとってのものなので、例え血の繋がった肉親であっても、同じ価値観ではないから、押し付けられません。

幸せを願う、祈るのはとても素敵な事だけれど、その色形までリクエストするのは違うと思うのです。

「普通はね」とか、「一般的には」とか、「常識的に」とか言うけれど、それってそもそも、その人にとっての普通、一般、常識にすぎませんからね。

常識とは、18歳までに身につけた、偏見のコレクションに過ぎない。

物理学者アルベルト・アインシュタ イン

という物理学者アルベルト・アインシュタ インの言葉がありますが、まさにその通りですね。

とは言っても、私も昔は、「普通はさ」って使っていました。

ある時、その普通って何基準?って自分でもあれ?と思っていたら、このみから「それはあなたにとっての普通でしょ?」って言われて・・・

そうだよな〜私の中にある物差しだよな〜と思いました。
それからは「私の思いなんだけど」と言い換えるようにしています。

親切な人から、こうすることが幸せ、とアドバイスをもらうことがありますが、それはその人にとっての幸せを基準としているものです。

なので、私には、該当しない場合もあります。

あなたが誰かに、幸せについてアドバイスするときも、あなた基準の幸せの形になるためのアドバイスになりますよね。

もし、見当違いなアドバイスをしてくる人がいたとしたら、幸せであってほしいという思い、気持ち、その人の愛は受け取ってください。ただし、言いなりになる必要はありません。思ってくれている、その気持ちには感謝しましょう。
そして、それと同様に、誰かに対してあなたの価値観を、押し付けるのはやめましょう。

そっと見守る、影で応援する、遠くから祈る。
それも愛の形です。


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さて、来週はとこちょ。の番。
どんな内容になるのかな。とても楽しみです。

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