怒りは殺人と同義である
※J・グリーン「モイラ」『キリスト教文学の世界』第一巻(主婦の友社、昭和52年)35頁~44頁を読んで。
――いいかい、こういうこともあるんだ、と彼は前より響きの悪い声で言った。君は人殺しだ。(40頁)
不意に、彼は叫び出した。自分でもどうしてもとどめ得ないものだった。恐ろしい激怒が全身を揺すぶった。(41頁)
主人公ジョゼフは、上級生プレーローに「人殺しだ」と宣言された。確かにそのときジョゼフは人を殺してはいなかった。だが、ジョセフの心のうちに、時と場合によっては人を殺す残忍な性質があることを、プレーローは見抜いていた。プレーロー自身も、自分の心のうちにもその残忍な性質があることを知っていたのであろう。
敬虔な主人公ジョゼフが思い出しているように、聖書には、怒りは人殺しと同じである旨記されている。
君は人殺しだと言うプレーローは、イエス様と同じことばを語っているということである。が、ジョゼフはそれを受け入れることができない。それは、敬虔なジョゼフが、しかしイエス様のことばを実際は受け入れられないことを表わしている。
私たちは、みずからが罪人であると認めることは難しい。だから、膝を折って、ただ祈ろう。私にほんとうの私の姿を、主よ、教えてください、と。