9/13(夕)うたがいながら礼拝する
十字架の死からよみがえられたイエス様に、弟子たちはガリラヤでお会いし礼拝をささげた。だけど、その箇所を開くと、おや? と思う言葉が記されている。「ただし、疑う者たちもいた」という言葉だ。
使徒たちはよみがえられたイエス様に直接お会いしているのである。また、礼拝をささげているのである。だけれど、使徒たちの中にはまだ疑う者たちもいたということである。
これは一つの真理を表わしていると思う。礼拝と疑いは排他的なものではなくて、両立するものだという真理だ。ぼくたちは100%神の存在を信じることはできないかもしれない。よみがえられたイエス様が今ここにおられると100%信じることはできないかもしれない。だが、それでもいいのだ。そんなぼくたちの弱さ、疑い深さを受け入れ、ぼくたちの礼拝を喜んでくださるのがイエス様だ。
そんなイエス様だから、安心して、ぼくたちは自分の生涯をこの方にお任せすることができる。