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LDなのか?発達性協調運動症なのか?親としての迷い。矛盾。

子供の希死念慮など「二次障害」を引き起こさないために綴っているのですが、書くことで、法律に関する本や記事も目に留まるようになってきました。もしも、いじめにあって2次障害を受けた場合の対処法も学べ、気持ちが楽にもなりました。身の回りにまつわることを発信することに物凄く抵抗があるタイプなので、書く事で、発達障害にまつわる情報をより得たいという気持ちや、家庭内での問題が起きた際に、メンタル面を落ち着かせる効果があることに驚いています。
 
昔から【私が考える事など、誰もが考えている事】というのが根底にあります。が、発信をすれば、読まれた方の中に、私なんかより、しっかりとした言葉を持っている方が必ずいるはずなので、発達障害にまつわることが頭の中を占めている人達へ向けたバトンを渡す作用にはなっているように思えてきました。まさに「雁も鳩も食わねば知れぬ」です。
 
下の子が小学校の高学年になり、黒板に書かれている事をノートに写すことが苦手なこと(教科書に直接書くことにしています)や、漢字の書きが不得手な事、マスに埋めるのが難しい事が、LDだけじゃないと感じるようになりました。それは、発達性協調運動症と、WISC-4検査の処理速度が遅いことが混じって、表に出ているのではないかと。書籍「発達障害大全」にも一口に発達性読み書き障害といっても、一人ひとり、違いがある】と書かれていましたが、本当にそう思います。
 
左利きの私は子供の頃、黒板に字を書く事に苦手意識を持っていたのですが、自身で対応、対策を練ったかというと何もできませんでした。なんなら、先生に指されると、ただただ不機嫌になっていました。なので、子供に、苦手なことの努力を強要するのは違うと思っているのです。しかも「発達障害」は病気ではなく、社会生活の中で何らかの困りごとを抱えている状態。下の子が「困っていないスタンス」なら親が焦る必要はないのです。なのに!親として、発達性協調運動症での字の下手さなら、少しは改善できるかもという期待から、古い価値観で口を出してしまうのだから、頭ではわかっていてもという奴です。

知能に問題ないけど「発達障害」と診断された子たちの進学にまつわるテスト、公立においては、障害者差別解消法で合理的配慮は義務付けられていますので、こういう場で親の私が面倒くさがらずに動けばいいだけなのです。それを子供の気持ちに寄り添わず、願望の押し付けでガミガミと…。
 
親として、下の子の自己肯定感を下げずに、「向いている事」を伸ばしたり、甘え上手になってもらいたい想いを届けることが大事なのに、油断すると古い価値観で「向いていない事」に目が行ってしまう日があるのはいかがなものなのか?また、こういう事から、夫婦喧嘩に発展してしまうことも…。こう綴ることで、感情コントールが巧みになることを願って。

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