どんな死に方ならば満足なのか?
この一年は多くの人が『生き方』を考えるきっかけになったと思う。
若者に対する急性期の患者には素晴らしい成果を出す医療も、高齢者の終末医療に対してはほとんど成果を見出せない。
死なせない為の医療は結果的に生きる意味を奪い、健康の定義を身勝手にねじ曲げてしまう。
森田洋之さんに聞いた大好きなエピソードがあります。
余命1ヶ月と診断されているおばあちゃんが「ビールを飲みたい」と言ってきたそうです。
普通の医者なら飲ませません笑万が一の事があると責任問題になるから。けどこの人は一緒に飲んだそうです。
そしたらですね、このおばあちゃんは調子に乗ったらしく(以下、森田さんの言い方をそのまま書きます)
森『あのばばぁ調子に乗りやがってね、次の日居酒屋へ連れて行けって言ってきたわけ』
ひ「笑笑どうしたんすか?」
森『連れて行ったよ‼︎』
ひ「連れていくんかい笑」
森『店に着いたらこのばぁさん、ジョキのビールを頼んでグビグビ飲み欲して、この二週間後に亡くなったよ』
鼻にチューブを挿したおばあちゃんが、ジョッキのビールを美味しそうに飲んでる写真が森田さんの携帯に残っていました。
自分がおばあちゃんの立場ならどちらが良いですか?
おばあちゃんが自分の母親ならどちらが良いですか?
もちろん正解はありませんが、人の命には必ず終わりが訪れます、そしてその死に方はほとんどの場合選べない。
大切な人が明日も生きているなんて確証は一つもない。僕たちに選べるのは"今"であって、その積み重ねが"生きる"と言うことでは無いでしょうか?
考えましょう
生きると言う意味を。
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