全部跳ね返ってくるよ
色んな国に行っていつも思うこと。
有り余るほどのモノに囲まれ、病気になっても消費を抑えることの出来ない僕たちと、病気になっても行ける病院すら無い彼ら
一体なにが違うのか?
学校なんて行きたくも無かった僕と、山道を3時間もかけて毎日学校へ行く子どもたちと
一体なにが違うのか。
好き嫌いを自由に言える僕たちの食卓と、一枚の食器に盛られたご飯を、家族6人が分け合って食べる食卓と
一体なにが違うのか。
この10年間、途上国と呼ばれる地域に関わらせてもらい、沢山のことに気付かされた
大量の食料廃棄が原因で穀物が高騰し、彼らの食卓に計り知れないダメージを与えていることを。
マネーゲームが原因で最貧困に位置する数多くの人を失業に追い込んだことを。
環境にダメージを与えているのは僕たちなのに、一番最初に被害を受けるのは彼らだと言うことを。
それが今の世界の現実。
少しだけ目を向ければ見えるコト。
奪いすぎたモノを、ほんの少しだけ返さないといけないのに、それを実行するのが怖くて、僕たち大人が目を背けてる。
貧しい人たちが分け合いながら助け合っているのに、有り余るほど持っている僕たちは、ほんの少しでも手放すのが怖い。
おカネを追いかけて、他人や社会に関心を示せない状態を"豊か"と言って良いのか?
際限の無い欲に付け込まれて、終わりの無い消費をしている。
それが僕たちの生活。
全てを使い尽くすまで終わらないのか?
生活に困窮する彼らを弱者と呼ぶのか?
それとも被害者と呼ぶのか?
仲間として共に生きるのか?
無関係な存在として無視を続けるのか?
その答えを置き去りにして、日本人の"健康で幸せな生活"などありえないと僕う。
放置すれば、理不尽とも思える不幸が、必ず形を変えて自分たちや自分の子供に返ってくる。
全ては繋がっているのだから
関係ないと思ってる人は多いけど、家の中を見渡してほしい。
こういった国々の人達が、大変な環境の中で作り出したモノがたくさんある。
安くてなんでも買えるってコトは、地球のどこかで誰かがそのツケを払ってる。
そんなコトに関心を持てなくなったのが、大きな問題なのだろう。
日本人が治すべき最大の病気は
"無関心"
遊ぶもよし、楽しむもよし。
けども見るべき事実はしっかりと見て、まぶたに焼き付けるべき。
多くの人達が関心を示すことが大切と思っている
視点を少し変えるだけで、全く違った景色が見えるはず。
食料を渡しただけで、拝む様にお礼を言われたので「少しだけ返しにきた」と伝えておきました。
どんな状況でも明るく笑うこの子ども達と、豊かな環境で育っている日本の子ども達が助けあって生きていけるのか?
それは今を生きる大人が、どの様な行動を取るのかで決まる。
何百年もかけて作り上げられたモノは、すぐには変わらないけども、出来ると信じれば何かが変化するはず。
"出来るか""出来ないか"ではなく
結局は"やるか""やらないか"
どうせなら楽しく変えていきたい。
ひろのぶ
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