【えんじゅ アフターケアから、出会いへ】①抱樸での座談会に参加して。
えんじゅ アフターケアから、出会いへ
わたしは、Ⅰ章 〜出会うについての考察〜
NPO法人 抱樸(ほうぼく)での座談会 に参加した。
座談会の日から本になるまでの、個人的な想いを残しておきたい
( 本の感想は、次回のnoteに!)
◇◇◇◇◇
「出会った責任」という言葉から始まる対話
こんにちは。初めまして・改めまして・お久しぶり
そうして始まった座談会。
年齢や性別、専門性の有無は関係なかった
何者であるかも 関係ない
だれも特別扱いされない、排除されることもない。
「ひとりの人」が10人集まり、『出会った責任』というテーマから言葉が連鎖する。
それぞれが生きてきた中で見つけたものを持ち寄る「人と人との対話」だった
みんなの言葉や思いが、自分と重なる
込みあがるヒリヒリしたきもちを全身で感じながら
わたしの思いも、正直にたいせつに語った
数時間があっという間に過ぎた
解散するとき、みんなが声をかけてくれた
「今日参加してくれてよかった」
「大切に話をしてくれてありがとう」
そして、帰りみち
田北さんに「黙り込んでた昔のわたしに比べたら、ずいぶん話せるようになりましたよね!?笑」って訊いてみたら、
「うん。でもおれは、ずっと言葉を持っている人だと思ってた。それを自分のなかで構築できてるんだろうなと思ってたよ。」みたいなことを言ってもらって、すごく嬉しかったんだ。
これまで「ひとりの人」として、
大人の輪に入れてもらってきただろうか?
こんな風に、安心して
人前で語れたことはあっただろうか?
小さいころから、支配や抑圧ばかりで
傷つき、ほんとのきもちは黙るようになった
けれど、この座談会は
「支配」という言葉から1番遠く離れた場だったような・・・
帰り道は、そんなことを考えながら
今日まで生きのびてきたことが すこし報われた気になって、
人生はじめての嬉し泣きをしたんだ
◇◇◇◇◇
本という形になるにあたって…
名前と顔をだすこと、本になって世にでること
なにも迷いがないわけではなかった
「もしも、どこかで家族が目にすることがあったら・・・」というリスクもないわけではない
でもね、そんなことよりも、
大好きなひとたちと 交わした言葉・時間
一冊の本にするとき、仲間にいれてくれた編集長 桃子さんの思い
そして、いまここで生きている私自身 に対して
正々堂々と、誠実に正直でありたい と思ったんだ。
本に込めた その決意も、読み手に伝わればいいな
◇◇◇◇◇
私にとっての御守り
生きるのがしんどくなっても、
座談会の日を思い出すことさえできれば、
何度だって、私を助けてくれる気がする。
記憶に殺されそうになること、たくさんある
けれど、思い出に救われることもあるんだね。
そして、私はまだまだ、支配や抑圧を受けずに安心して開示できる場を、何回も何回も体験していかなきゃな、と思ってる。
座談会で、みんなが私の存在を大切にしてくれたから
「わたしも大切にされていいんだね」
「これまで大切にされることが少なかったな」って気づいた。
輪に入って、大切にされるって嬉しいことなんだ!って知れたんだ。
私にとってはこの座談会自体が、生きる御守りだ
そして、この本をとおして 新たな「であい」が
もうすでに たくさんあった。
◇◇◇◇◇
もちろん、いまも苦しい。
傷だらけの心のままで、しんどい。
「きもちを語れるようになった私が、本のなかで もっともらしいこと言ってるようにみえても、
虐待からの回復は そんな簡単じゃないぞ!
傷や痛みに潰されないように 生きてるんだぞ!」
ってのも、正直なわたしのきもち。
それでも、何年もの間、
自分のなかだけで閉じこめ積み重ねてきた、
私のの言葉や思いが声となり、文字となり、
一冊の本という形のなかに入れてもらうことができた
抱樸での座談会と、この一冊の本が
わたしの転換点となりました
ありがとう
えんじゅのみなさん ありがとう
座談会でのみなさん ありがとう
桃子さん、ありがとう
みんなが生きてきた、私が生きてきた
だから、であう ができたよ
出会えてよかった
◇◇◇◇◇
いつか手をのばして、
自分の影と握手できる日がきたらいい。
自分自身から身軽になった私にも、
であえる日がくるといいな。
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