正直、死ぬのって怖くない?
誰しも一度は、幼い頃に"死"について考えた事があると思います。
「死んだらどうなるんだろう」「無になるのかな」「死んじゃうの怖いな」と
僕も考えました。というより、今もふとした時に考えてしまいます。そして、考える度に死がとても恐ろしくなり、嫌になります。しかし、そんな気持ちは一晩寝てしまえば消えてしまい、次そんなことを考える日まで、気にもならず、たいして恐ろしくもなくなります。
ある日、部活で、ある1人の友達がそのような気持ちになり、みんなに死の怖さを訴えました。僕も今でも考えることがある為、とても共感しました。
しかし、他のみんなは違いました。みんな、それを考えたのは幼い頃だけで、今は"しょうがない"と割り切っていると言いました。
そこで僕は、家に帰って親にこのことを言うと、私も"子供の時"に考えたよと言われました。
何故そんなにも簡単に割り切れるのでしょうか。
たしかに、死ぬのはしょうがないと割り切り、死ぬまでの人生を楽しむというのが大切なのかもしれません。しかし、はたして、"しょうがない"で割り切れるような事なのでしょうか。
恐らく死後の世界があるというのはフィクションであるというのは正しいと思います。だとすると、死後は無であり、何もかもがなくなって、自分という存在を失うことになります。はたしてそれは、しょうがないで済むほどの事なのでしょうか。
死後の世界が物語にマンガや小説でも様々なところで表れているのは、人々が死後の世界というものがないと、自分の不安や恐怖を抑えられないからなのではないのでしょうか。それは自分という存在を失うのが怖いからであるはずです。
そもそも生物は死を恐れて生きていくものです。誰だって刃物を持った人と出くわせば逃げるでしょうし、自分が死ぬかもと思うようなことはしないでしょう。それは"寿命"という、自らを少しずつ無の世界にいざなうものであっても同じではないのでしょうか。
生物は皆、生と死を与えられており、生まれた瞬間にいつか死ぬことを約束されます。そう考えれば、しょうがないというのは正しいのかもしれません。
しかし、与えられた死を簡単に受け入れられるほど、人間は単純なのでしょうか。ほかの生物は本能が死を恐れますが、人は気持ちが死を恐れているはずです。なので、頭で考えて死を受け入れるというのはとても難しいはずなのです。
それでも、そればっかりはしょうがないと割り切れる方、僕にも、どうやったらそんな風に割り切れるのか、教えて頂けませんか。
ガチで(笑)