ボクはボクのことをボクと呼ぶ

ボクはボクのことをボクと呼ぶ。俺でも僕でも私でもなくボクはボクなのだ。

SNSである人に、

自分のこと「僕」と言う人が信じられない。下僕の「僕」ですよ?

って言われたことがある。

でも、それにボクはしっくりこなかった。なぜかというと、ボクの父もボクの伯父たちも、みんな自分のことをボクと言っていたからだと思う。

父はしがない高校教師ではあったが、伯父は世界で知られる工業デザイナーや雑誌編集者、海外事業に参加する建築家、大手建設会社役員だ。

年齢も上はもう90代で、下は80代。戦争を知っている世代で、戦後大学を出て働き始めた世代。民主主義だ、資本主義だ、共産主義だ、自由、権利、学生運動、そんな議論がさんざんされてきた世代。

そんな彼らが好んで下僕の「僕」を使うだろうかと思うのだ。

そう思って思い返すと、昭和の文化人もけっこう「僕」を使っていた。

が、ネットで意味を調べるとまず出てくるのは「男の召使、使用人、しもべ、下僕」。

ただ一人だけ、辞書でもなんでもないブログだったけれど、「僕」が使われるようになったのは幕末の松下村塾からではないかという記事を見つけた。

詳しいことは忘れてしまったけれど、身分が違う者同士が集まって議論するために、みな君主に仕える身で同じであるという意味でとか、松陰は相手を君と呼び、自分のことを好んで僕と使ったとか、そんな話。

あれ?調べた当時はそのブログしか見つけられなかったけど、いま検索したら結構出てくるね。

ま、それで、ボクはその解釈が割と好きで、そう考えれば父や伯父たちが、ボクがこどもの頃、タバコをくゆらせながら「ボクはね…」なんて話してたのもしっくりくるのだ。

そんなわけで、ボクはこれからもボクのことをボクと呼ぶんです。

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