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『あきらめ愉しむ』のこと
自分を良く見られるってことを「あきらめる」と肩の力が抜けて楽になった。
余計な「承認欲求」は無くなった。
「凄い!カッコいい!」とかまわりから見られる意識って向上心の着火剤としても大事だと思います…若い人なら。
おっさんはもう要らないです…ひとに合わせない。その意識エネルギーはその他に使いたい。
「よく思われるだけ」の時間は無駄も多いなと。
スティーブジョブズが黒タートルを着るのと同じで、考える無駄を省エネ化したいって思います。
当然、他人を不快にさせないはようには気を使います。
服なんかは、自分が着たいものがあればいい。
外見だけの毛染めやエイジングより、枯れていくのを受け入れ無理をしないという自分本位の軸を楽しみたいなwww
50歳を超えると「自分」を俯瞰でみれてくるような気がします。
客観的に、僕はここまではイケる、伸びる、無理だなと…自分の「伸びしろ」と「縮みしろ」のプラマイってわかりませんか?
頑張らないあきらめの境地か。
「諦める」は頑張らないとかネガティブに聞こえるかもですね。
「残念だけどちょっと難しくて無理なんです」っていうと「そんなことないですよ」「まだまだ大丈夫」とか言って励ましてくれるけど、それとは別の話で…その人の可能性はまだ伸びるし夢は持つべきですが。
まず己を知る、謙虚な姿勢で臨めばむことは、自分は「どう進むのかの覚悟」であるから、先ずは認めるから始まるんじゃないかと思っています。
この抜ける感覚がカタチに囚われない、自由に身軽になれるっていわゆる「無の状態」。
これが「己の欲求・煩悩、迷い、苦しみから解放され、フラットな境地」
なのでしょうね。
もうここまでくると次に進むための『あきらめ愉しむ』って軽やかに自由になって、ほんとにしたいことは?を考えていく。
でもその答えは…何も無いのかもしれませんけど。
僕はまだ修行が必要ですが…まず自分をどんどん脱ぎ捨てて我を失くし、手放していく作業を始めます。