一歩目を踏み出すこと、3
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一歩目を踏み出すこと。それについて考えていたら、やっぱりいつからそう思い始めたのかが気になって、そうなると、小学生とかそのくらいからはずっと考えていたんじゃないかって思う。
例えば、小1のとき、友達と遊んでいるとき喧嘩(言い争い)になりそうになると、僕はいつも「なんか怒ってる~ははは!」なんて言って茶化していた。別に面白いからそう言ってたわけじゃないのは覚えている。そう言ったら、みんな言い争いがバカらしくなって、面倒くさくなってきて、冷静になって対立がひとまず収束するように思ったからだ。
何も言わなければずっとお互い対立している。もうやめなよと言えば「関係ない奴は黙ってろ」と言われる。なら、茶化せばいいんだと、そういう思考回路だったと思う(小1が何でそういう思考回路になったのかは不明)。
一歩目を踏み出すこと。それができなかったことだって多い。小1の春休みにお姉ちゃんと仲たがいしてしまって、小4になるまでほとんどまともな会話をしなかったこととか。高校受験で幼馴染と違う学校を選ぶことを何となく言い出せなかった時とか。中学の時は他にももっと曖昧で(きっと今の僕から見れば)取るに足らない些細なことでたくさん悩んで泣いたこととか。でも、きっとそういうのを越えて、僕は誰かにちゃんと伝えることや、誰かに声援を送ることとかを覚えて、それを価値証明と言い始めたんだろう。その価値を、僕の思う価値を、声高に叫ぶことに意味があるということを、信じて行動するようになったのだろうと思う。
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誰かひとりのために、叫びたいと思ったことも何度かあるけれど。
でもきっと、僕は僕が出会った、輝くすべての人のために叫び続けていたいんだろうなって思う。叫ぶよ。だから、泣かないで。
いや、泣いてもいいからきっと前を向いていてね。至らないところばかりで、君に迷惑かけてしまったよね。新しい言葉を見かけないけれど、元気にしていますか?
高校時代の彼、と僕が呼ぶ人も陸上部の彼も。中洲のあの人もみんな。
輝いていればいいなって思う。無条件の肯定とまではいかなくても、理屈じゃない肯定になりたかったし、今だってそうであればいいなって思うんだよ。
叫ぶ僕の隣で、あなたが葉を広げて見ていてくれたら僕は嬉しいし、ちっぽけな僕の一歩で照らせる世界がどこかにあるのならとても嬉しいと思う。
僕は身勝手で優しい魔女になるよ。
…”魔女”って、もしかしてここから来ていたんだろうか。だからかな、(魔法攻撃用の)杖を持っているイメージはあまりなかったんだよなあ。なかなか回復魔法を唱えてくれない優しいあの子みたいに、大切に抱えて進むあの子みたいに、何も諦めないあの子みたいに、世界を守っていたいんだ。
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先日、いきものがかり水野良樹さんのソロ活動(?)HIROBAのアルバムを買いました。何となくかけながら本を読んだり文章を書いたりしていて、この曲明るくて結構好きだな、と思ったのがこの曲でした。ちょうど歌詞もいい感じに内容と合っているように思うので、内容と雰囲気を補足するかたちで添えさせていただきました。
以下、曲に対する僕のイメージです。(近いうちに小説の方も買って読もう、、、)