ブラック企業経験談
年も明けて年度末に近づいて仕事の区切りの時期になってきたかと思います。この時期に転職を考える人も多いのではないでしょうか。
私自身もこれまでブラック企業経験から転職、ニート、フリーター、派遣、正社員と色々経験してきました。仕事ジャンルではそれらの経験を記事にして現在仕事面で苦しんでいる方へ少しでも助けになればと思い書いていきます。初回の記事はブラック企業経験談として、いかにやばい状態だったかを書いていきます。
入社まで
前提として私は東日本大震災のあった年に大学を卒業しました。当時はただ漠然と働きたくないと思っておりフリーターを続ける選択をしています。しかし周りは震災の影響で内定が取り消しになってしまったり、出社をしばらく待って自宅待機のような状態の人も何人かいました。コロナ初期のような状態ですね。そんな状態のため中途採用はおろか新卒でさえ就職が難しい状態でした。
フリーターをしながらちょくちょく面接を行うこと1年、ようやく私に内定をくれる会社がありました。これが今回のブラック企業です。1年間で80社くらい落とされていたのでかなり嬉しかった記憶があります。会社自体は小さな建築事務所です。業界分析みたいなことはしておらず、業界自体が多少ブラック寄りなことすら知らない状態でした。
入社初日
初めての就職という事もあり気合を入れて30分前には仕事に向かったと思います。誰も来てなかったので待っていました。しかし定時になっても誰も来ません。「あれ?」と思って社長に電話してみました。面接時は社長としか話しておらず他の従業員は誰一人知らない状態でした。しかし社長は電話にでません。日付を間違えたか何度も確認した記憶があります。
待つ事しかできずに待っていると昼頃ようやく人がきました。事情を説明しても聞いてないと言われてしまい、社内でもただ待っているだけの状態でした。ようやく夕方頃社長と連絡がついたようで何とか信じてもらえました。社長から社員に伝わっていなかったようです。他の社員は皆1時間前くらいに出社し、それぞれ自分の打合せや現場に向かったそうです。
この時点で「あれ?なんかおかしくない?」と思いましたが、初めての仕事ということもあり何も言えませんでした。結局社長は定時過ぎの19時頃来て会社の説明や提出書類の確認等を行って初日が終わりました。初日からすでに2時間残業でしたが、今日たまたま社長が忙しい日なのかなと安易に考えていました。今思えば明らかにおかしい会社ですね(笑)
試用期間
翌日は流石に皆に伝わったのか、全員が揃っており挨拶を交わしました。ようやく全員と会えました。社長、次長が50歳くらいであとは全員20代くらいで私とそんなに変わらないくらいでした。挨拶の段階で既に20代の何人かからは「辞めないでね」だったり、「もう辞めるから覚えなくて良いよ」だったりネガティブな発言が飛び出しました。次長は私と目も合わせずにパソコンの画面ばかり見ながら挨拶を行いました。
試用期間は3か月間ありました。しかし私が任された事と言えばコピーや書類の整理だけでした。たまに次長直々に依頼されることはあっても、やはり皆社内にいないため質問する事もできずにいました。そして会社に戻ってくるのが18時頃のため毎日質問のためだけに残業です。単純作業の繰り返しですが、「最初はこんなもんだ」と自分に言い聞かせて黙々とこなしていきました。今思い返せば、皆忙しく自分の仕事に精いっぱいで誰かに教える時間すら無かったんだと思います。
1か月後私にもようやく給与が支給されました。初めての給与明細とワクワクしていましたが、実態は付箋に数字が手書きで書いてあるだけでした。無駄にフリーター経験が多かったですが、フリーターでさえ給与明細として簡素ではありますが頂いておりました。そのため後日正式な給与明細がもらえるのだと思っていました。しかし社内の人に聞いてもこれだけしかないとの返答を頂きました・・・。当時は気にして無かったですが、確定申告の時とかどうしてたんでしょうねこれ。
そして肝心の給与ですが100,000とだけ書いてありました。「まさかこれだけのわけないよな?」と思いながら銀行へ行くとやはり10万円しか振り込まれていませんでした。試用期間だしほとんど雑用しかやってないし最初の月はこんなもんなのかなと楽観的に考えてました。
それからしばらくして私の歓迎会が行われました。最初こそ普通の歓迎会で和気あいあいとした雰囲気で、人間関係は良好なんだなと感じ少し安心していました。ただ1時間も過ぎた頃には社長がかなり酔っており、社員ひとりひとりへダメ出しを始めました。歓迎会は中華料理屋さんだったのですが、他のお客さんもいる中で段々と声が大きくなり最終的には怒鳴り声へと変わっていきました。私の歓迎会はどこへやら、既に社内会議へと変貌していました。段々と仕事のダメ出しから人格攻撃へと変わり凄く嫌な気持ちになりました。結局解放されたのは午前5時。そして恐ろしいことに平日でした。当然次の日は仕事です。なんだよこれ・・・。
2か月目の給与は変わらずに10万円でした。社長は何かを察したのか「試用期間はこれだけしか出せないけど、試用期間が終わればちゃんと出すからね」と言いました。ついでに「まだ何もやってないしね^^」と。納得は出来ませんでしたし、余計な一言うぜえと思いましたが、とりあえず後1か月だし頑張るかと思い続けました。
3か月目になると軽い仕事を少しずつ任されるようになりました。相変わらず社内には誰もいないので一人での作業となり、質問は18時以降でした。ちなみに試用期間中は原則残業禁止ということで残業は全てサービスとなります。それでも20時には必ず帰してくれました。そんな感じであっという間というのは噓ですが、試用期間が終了しました。
正社員へ
3か月の試用期間が終わりようやく正社員になりました。しかしここで驚愕の事実が判明しました。正社員の定時は24時です。何を言ってるのか理解できませんでした。勤務時間が8:30~24:00、昼休み1時間、夕休み1時間という勤務体系に変わりました。いや夕休みってなんだよ・・・。そして月~金の週5日が月~土の週6に変わりました。この時点で「ああこれブラックや・・・(絶望)」とようやく察しました。しかし私はここで「これだけ残業してるし、土曜日も残業扱い、つまり給与はやばいパターン!」とポジティブに考え正社員としての初給与を待ちました。
そしていよいよ初給与日。期待して出社しました。相変わらず付箋に数字が書いてあるだけでしたが、そんなことはどうでも良い、とにかくいくらか知りたい!と息巻いて数字を見ると・・・「130,000」。無慈悲すぎるだろ・・・。これ同じ時間コンビニでバイトしてれば月に30万以上稼げるぞと・・・。
月~土8:30~24:00を繰り返していると段々と洗脳されてきたのか、3か月もすれば慣れてしまっていました。たまに日曜すら会社のイベントとしてバーベキューやパーティ等に出席させられることもあり、休みが徐々に無くなってきました。社長曰く「バーベキューやパーティは疲れをねぎらうため(迫真)」だそうですが、結局は拘束され気を使い仕事以上に疲れます。
半年もすれば仕事にも慣れてきて私を主導とした業務を2つほど任されました。しかしこの業務が入社1年目の若造に任せるレベルではなく大変苦労しました。分からないことは調べまくり、それでも分からなければ次長に聞く、それでも終わらない。その状況からついに徹夜が始まりました。日曜も出社しました。そのような日々が続きいよいよ締切間近、私は月の休みが無くなりました。家に帰る元気も時間も無いので会社に寝泊まりました。社員のために社長様がシャワー室と布団一式を購入してくれていました(笑)
無事になんとか業務を終了すると今度は同レベルの仕事を3つ任されました。「2つ出来たなら次は3つ出来なければ成長していないのと同じ」と言われ、洗脳済みの私は「確かに!」と思ってしまいました。そんなことを繰り返し、突発的な飲み会や会社イベントをこなしつつ若さに任せて続けていました。
世間とのズレ
そんな中、友人の結婚式がありました。土曜日だったので初めて会社で休みを貰おうと思い、次長に相談すると「ウチに有給は無い」との衝撃的な台詞が返ってきました。労働時間も法律ガン無視でしたが、まさか有給すら無いとは・・・。それでも休みを貰うことが出来たので結婚式には参加できました。
いざ友人と会ってみて気が付いたことは、自分がいかに世間から離れていたかということでした。当時あれだけ人気だった半沢直樹の存在すら知らない、それどころか日本で起きたニュースすら何も分かりませんでした。冷静に考えればプライベートはほとんど寝るだけになっていました。友人たちは私の勤務状況を聞き唖然とした様子でした。そこで平均的な勤務体系や給与体系を聞き、ようやくこの会社がいかにおかしいか改めて気が付きました。洗脳は無事に解かれ、さすがに辞めようと決意しました。
退職騒動
私が入社してからすでに4人辞めており、それぞれが辞めるのは色々大変と言いながら辞めていったのを見ていたのでなかなか言い出せずにいました。そんな中恒例の突発飲み会があり、段々と社長から私に人格攻撃が始まりました。私自身もかなり酔っていたため、何を言われたか覚えていませんが、何かが切れてその場で辞めると宣言していました。
翌日正式に退職届を提出しました。社長からは1年待ってくれと言われましたが、昨日の件もあり無理ですと答えました。もう辞めることは決定していましたし、若かったので感情的に不満をぶちまけました。社長とかなりの言い合いになり最終的には、なぜか入社時に提出していた年金手帳を人質にされました。「年金手帳を返してほしければ1年間続けろ」と。いよいよこの社長頭おかしいだろと思い、その場で労基に電話しようとすると騒ぎを聞きつけた次長が乱入してきました。色々説得されましたが、私も譲りませんでした。
そして私と社長の折衷案として、今現在私が担当している業務が終わるまでは会社を続けるという結論になりました。かなり抵抗はしましたが、社内の方々や他業者の方々にお世話になっていたのも事実でしたので、渋々了承しました。
退職
退職騒動から半年、ようやくブラック企業から退職することができました。最終日はなぜか帰りの車で泣いてしまいました。この頃は緊張の糸が切れたのか、情緒不安定気味になり突然涙が出ることが多かったです。それと同時に体調が急激に悪化してしばらく自宅療養となりました。自分でも気が付かないうちに精神的にも肉体的にも限界だったのでしょう。
退職後も会社から何度も電話がきました。無視するか出ても引き継ぎ書に記載してありますとだけ返事するだけでした。それでもスマホに会社名が出てくると冷や汗が出るようになってしまったので、着信拒否をしてようやく完全に会社との縁は切れました。
おわりに
これが私のブラック企業経験談です。ちなみに最終的な給与は15万円でした。今の3倍くらい働いていましたが、年収は今の3分の1です。退職後に知ったことですが、これだけ働いた利益はどこに行ったのかというと半分は社長の息子さん、もう半分は社長の知り合いへのプレゼント代に消えていました。知りたかったけど知って後悔しましたね・・・。そして現在でも会社は存続しているようですが、私の知っている人は社長以外いなくなってしまったそうです。
最近はあまりブラック企業という言葉を聞かなくなってきました。良い傾向だとは思いますが、個人的には経済状況的に日本の会社が全てブラック寄りのグレーになってきているせいだと思っています。多少のブラックは仕方ないという意識が皆どこかにあるのでは無いでしょうか。
私の例は極端でしたが、自分の体調や能力を考えて無理だなと思ったら体調を崩したり洗脳される前に転職を考えて良いと思います。今は労働者の数が減っており、以前に比べて気軽に転職できる時代です。最初の転職は私も怖かったですが、何とかなります。自分を守るためにも常に転職という選択肢を頭に入れておくと良いと思います。
長々とお読みいただきありがとうございました。今後も仕事ジャンルは単発にはなりますが、引き続き書いていきたいと思います。今後ともよろしくお願いします。
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