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男女間の友情は存在するのか

 前回は「恋愛において出会いが無いと嘆く人」について書きました。極論そもそも出会いとは生活していればどこにでもあるものです。その出会いを自分の許容範囲、恋愛対象として認識できるかが焦点となります。出会いが無いと嘆く前に、今一度自分を見つめなして前回の項目に当てはまっていないか確認してみてください。もし当てはまっていた場合はすぐに改善してほしいです。

 今回は「男女間の友情は存在するのか」について書いていこうと思います。相変わらず恋愛テーマなのかは謎です。今の時代では男女間ではなく異性間が正しい表記でしょうか。古くから議論されているような永遠のテーマですが、私の中では男女間の友情は存在すると思っています。その理由を書いていこうと思います。

友情とは

 そもそも男女と分ける前に「友情」とはあるいは「友達」とは何なのか考えたいと思います。個人的には「お互いに価値観を認め合う関係」「お互いに尊重し合う関係」「お互いに信頼し合う関係」「お互いに高め合う関係」「お互いに多少の不利益を得ても助け合える関係」「お互いに欠点を認め合う関係」私の中での定義を言語化するのが難しかったので、特徴の羅列になってしまいました。ほとんどの人は同じようなイメージをすると思います。
 
 一方でこの定義は改めて考えると両親や恋人も当てはまってしまいます。つまり定義の強弱の差こそありますが、友達も家族も恋人も本質的には同じということになります。ではここで友達と家族、恋人はそれぞれ何が違うのでしょうか。
 
 友達と家族の差は明確です。血縁関係者や生活を共にする集合それが家族です。では友達と恋人の差はなんでしょうか。私は「相手を自分のものにしたい」と考えているか否かだと考えております。

異性の友達とは

 男女の友情とはここまでを整理すると「お互いに価値観を認め合う関係」「お互いに尊重し合う関係」「お互いに信頼し合う関係」「お互いに高め合う関係」「お互いに多少の不利益を得ても助け合える関係」「お互いに欠点を認め合う関係」であり、かつ「家族ではない」「相手を自分のものにしたいと思わない関係」であると定義できます。
 
 ここで「相手を自分のものにしたい」と思わなければ「性的欲求を感じても友情は存在するのか」という別の問題が出てきます。私個人の考えとしては性的欲求を感じても友情は存在すると考えています。例えば私は男ですが、女友達がいきなり目の前に裸で現れたら多少なりとも反応する事が想像できるからです。しかしこれはあくまで女体に対して反応しているだけのことです。生物の本能として生殖可能な対象に魅力を感じるのは当たり前のことです。
 
 つまり失礼な言い方になりますが、異性としての肉体には魅力を感じている場合もあるが相手の本質である内面には異性としての魅力を感じていない相手。それが異性の友達という事になります。極端な例として女性とゲイの友情があります。女性とゲイは肉体的には完全に異性です。しかしお互いの内面に性的魅力を感じる事はありません。そのためこの組み合わせはよくある組み合わせであり、本質的には男女の友情と同質の友情だと言えると思います。

内面の魅力の危険性

 異性としての肉体には魅力を感じている場合もあるが相手の本質である内面には異性としての魅力を感じていない相手を異性の友達と定義しました。
 
 ここでも問題があります。それは異性としての内面の魅力が分かりにくいという事です。外面の魅力は分かりやすいと思います。一方で内面の魅力とはある程度信頼関係が構築された後に分かってきます。さらにそれを受け止める人の精神状態にも影響されてしまいます。自分が精神的に弱っている時に友達とは言え、異性に慰められると思わずグッとくることがあると思います。このように異性の内面の魅力とは普段気が付いていないだけであり、簡単にくつがえってしまうものです。実際に私自身も普段強気の女友達が急に弱音を吐く姿を見て好きになりそうになった時があります。
 
 このようにたとえ今現在では異性の友達だと認識していても、いつ恋愛感情を持ってしまうか分かりません。そして一度でも恋愛感情を抱くともう純粋な友達とは呼べない関係になってしまいます。恋愛感情を持ってしまえば全ての行動は下心のある行動です。あわよくば恋人になれるかもという打算的な行動です。男女間の友情とはこのようにいつ壊れるか分からない危ういバランスで成り立っている関係性です。
 
 実際に私の周りにいる男女で友人同士と言っていた組み合わせも「男→友情=友情←女」という本当の意味での友達ももちろん大勢いました。しかし「男→下心≠友情←女」や「男→友情≠下心←女」という組み合わせも同じくらいいました。

男女の友情は存在するか

 ようやくここまでの前提から男女の友情は存在するかという本題に移ります。結論的には前述した通り私自身は存在すると考えています。
 
 正確には「自分か相手、もしくは両方にパートナーが存在する場合は男女間の友情は成立する。どちらもパートナーがいない場合は友情ではなく下心も生まれる可能性がある。」あくまで私自身の経験でこう結論付けました。

 私自身を思い返しても友情と下心を行ったり来たり繰り返していたように思います。そして私や相手が既婚者になった瞬間に下心は完全に消えて本当の意味で友達になれたと感じています。
 
 最近偶然友人の下着姿を拝見しましたが、やはり下心は発生せずにそのままの姿でデザインやメーカーの話になったのが印象的でした。お互い30代という年齢もあるのかもしれません。友達歴も30年近いせいもあるかもしれません。ただ下着というセクシャルな領域を、普通の洋服と同様のテンションで会話できたのは真の友達だと考えて良いと思います。 

終わりに

 今回は「男女間の友情は存在するのか」について書きました。あくまで私個人の定義として書いています。人によっては性欲を感じた時点で友達ではないなど違う意見もあると思います。それと同様に自分が異性の友達だと思っている相手によっても定義が変わると思います。万人に共通する定義はありません。そのため男女の友情は永遠のテーマになっているのでしょうね。
 
 今回もお読みくださりありがとうございます。次回もよろしくお願いします。


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