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もっと気になるキリスト教(5)【キリスト教ABC講座】

聖書の内容やキリスト教に関する知識をQ&A方式でザックリ説明している講座です。

 

旧約聖書に関する質問

Q. 聖書に出てくる「士師」とは、どういう人たちですか?

A. イスラエルが王国になる前の、部族連合の指導者です。平常は、民の間で起きたトラブルを解決する「裁き司」(さばきつかさ)として活躍し、敵との戦争など有事の際には、民を率いる軍事的指導者として活躍しました。旧約聖書の士師記には、奴隷だったイスラエルの民が、エジプトを脱出し、神に約束された土地カナンに定住するようになってから、先住民との衝突がしばしば起こったことが描かれています。民が助けを求めて神に叫ぶと、神によって士師が立てられ、救出が行われます。しかし、人々は、神に助けられたことを忘れ、神の目に悪とされることを行うようになり、敵に苦しめられるようになってから、再び助けを求めて神に叫ぶ……ということが繰り返されます。やがて、人々は、助け求めて神に叫ぶことさえしなくなっていきますが、それでも人々を救うため、士師を立てて送り出す神の姿が描かれます。

 

Q. 士師は男性ばかりで、女性はいなかったんですか?

A. 士師記4章、5章には、女性の士師であり、預言者でもあるデボラという人物が登場します。その頃、イスラエルにはバラクという指導者がいましたが、彼は、デボラに伝えられた「敵の将軍をお前の手に渡す」という神の言葉を信じ切れず、デボラの同行を求めます。デボラはバラクの要求に応え、一緒についていきますが、彼に対し「今回の出陣で、あなたは栄誉を自分のものとすることはできません。主は女の手にシセラを売り渡されるからです」と告げました。最終的に、敵の将軍は、イスラエルの民から離れて暮らしていた、カイン人ヘベルの妻ヤエルによって、眠っている間に倒されます。デボラという名前は、敵が襲いかかるイメージによく使われた「蜂」という意味があり、ヘベルという名前は「呪い」という意味があります。また、敵の将軍シセラの行動と、味方の指導者バラクの行動は、原文で重なる表現が使われており、イスラエルの民が、いつ敵と同じ立場になっても、おかしくない状況にあることを暗示しているようにも見えてきます。


Q. 名前をよく聞くギデオンも、士師の一人だったんですか?

A. ギデオンは、士師記6章に出てくる人物で、最も有名な士師の一人です。彼は、ミディアン人との戦闘に立つ指導者として選ばれますが、「わたしの一族はマナセの中でも最も貧弱なものです」「わたしは家族の中でいちばん年下の者です」と訴え、神が自分を送り出し一緒についてきてくれる「しるし」をしつこく求めます。神の言葉が直接聞けても、神から何度、不思議なしるしを与えられても、不安が拭えず「もう一度だけ」と確認するのを繰り返します。神は、その要求の全てに応え、ギデオンの不安に寄り添い続けて送り出しました。そして、3万2千人の兵がギデオンのもとに集まりますが、神は300人だけ残して他の兵を帰らせると、少人数で敵の陣地へ向かわせます。結局、ほとんどの敵は、この300人が夜中に鳴らした角笛に驚き、暗闇の中で同士討ちして倒れます。ギデオンと言えば、英雄のようなイメージを持たれやすいですが、実際には、情けない姿も晒してきた人物で、ミディアン人の戦利品を受け取ってからは、イスラエル全体に姦淫を持ち込んでしまった愚かな人物でもありました。

 

Q. 娘を「焼き尽くす献げ物」にしたエフタという士師は、どんな人だったんですか?

A. エフタは士師記11章に登場し、遊女の子として生まれた後、父の家を受け継ぐことができず、故郷のギレアドから追い出された人物です。しかし、ギレアドの長老たちから、アンモン人と戦うために帰ってきて、全住民の頭になってほしいと頼まれ、民を率いて戦場へ出るようになりました。ところが、エフタは神に対して「もしあなたがアンモン人をわたしの手に渡してくださるなら、わたしがアンモンとの戦いから無事に帰るとき、わたしの家の戸口から出て来る者を主のものといたし……わたしはその者を、焼き尽くす献げ物といたします」と宣言してしまいます。エフタは見事、アンモン人に対して勝利を収めますが、自分の家に帰ってきた時、一人娘が出迎えたため、彼女を焼き尽くす献げ物にしてしまいました。人身供犠は、異教の慣習を象徴する行為でしたが、エフタは自らそれを行い、自分を追い出した父の家よりも、子どもに酷いことをしてしまいます。モーセが息子を焼き尽くす献げ物にしようとして、神に止められた話があるにもかかわらず、娘の命を勝利の代償にしようとする態度、それを止めようとしない民の姿は、イスラエルの人々が忌み嫌う「異邦人」「異教の民」と、大して変わらない存在であることを露わにしています。

 

Q. 最後の士師サムソンは、髪を切られると、力を失う人だったんですか?

A. サムソンは、士師記13章以降に出て来る最後の士師で、ナジル人として神にささげられた人物です。ナジル人というのは、特別な誓約を神にささげた人のことで、「ぶどう酒やぶどうの実を食べてはならない」「髪を切ってはならない」「死体に触れてはならない」といった規定が民数記6章に出てきます。サムソンは、ペリシテ人の手からイスラエルを解放する者として、武器なしで獅子の体を引き裂いたり、縄を糸のように引きちぎったり、一度に千人の敵を打ち倒すほどの力を与えられました。しかし、髪を切ると、誓約を破ったことになるため、力が失われるという弱点がありました。ところが、サムソンの行動を見ていると、動物の死体に触れたり、遊女のもとに入ったり、ペリシテ人の妻を娶るなど、ナジル人の誓約どころか、神の掟である律法の多くを破っており、もとから誓約を守れていなかったことが分かります。つまり、本当は、髪の毛を切られる以前から、いつ力を失ってもおかしくない状況でした。しかし、神は、サムソンがデリラという女性の誘惑に負けて、髪の毛を切られ、力を失った後も共にいて、サムソンの最後の願いに応え、彼を捕えていたペリシテ人を建物もろとも全滅させてしまいました。

 

Q. 女性が主役のルツ記には、どんな話が書いてあるんですか?

A. ルツ記には、異教の国であるモアブの地に移り住んだ、イスラエル人の女性ナオミが、夫と2人の息子に先立たれ、故郷に帰ってきた話が記されています。亡くなった息子の嫁であったオルパとルツは、自分の里に帰って、新しい嫁ぎ先を探すよう、ナオミに勧められますが、ルツは最後まで離れようとせず、ナオミと一緒に、彼女の故郷ベツレヘムで、姑の世話をして暮らすようになります。しかし、この場合、夫や息子の早死は、異教の民であるモアブ人を嫁にしたことが、神の怒りを招いてしまったのだろう……という考えが抱かれやすく、ルツを連れ帰ったナオミが、故郷で平和に暮らすことは、本来、非常に困難でした。ところが、ナオミのために、収穫の終わった畑で落ち穂を拾っていたルツは、ボアズという有力者の目に留まり、モアブの娘であることを明かしたにもかかわらず、好意を示され続けます。やがて、周りの人々は、何とか2人が正式に結ばれるよう動いていきますが、神から与えられた掟を厳密に守るなら、どうあがいても、結婚できないはずでした。けれども、ルツ記では、厳密には、異邦人の娘を娶る責任のないボアズが、まるで、その責任があるかのように皆で振る舞い、異邦人を家族として、迎えられるようにしていきます。そんなボアズとルツの子孫の家に、神の子イエス・キリストが生まれてくるわけです。

 

Q. ルツ記の登場人物は、神の掟を守った結果、幸せになったんですか?

A. ルツ記だけを読んでいれば、登場人物は、あたかも神の掟である律法に沿って行動したから幸せになったように見えますが、実際のところ、レビ記、民数記、申命記などを確認すれば、ナオミも、ボアズも、親戚も、町の長老たちも、律法の規定どおりには行動していないことが分かります。申命記25章には、子どもがいないまま夫が死亡した場合、夫の兄弟が未亡人と再婚することが義務付けられ、その血を絶やさないように定められていました。しかし、ボアズは亡くなったルツの夫の兄弟ではなく、その責任はありません。他にも、実際の規定とは異なる運用が展開されますが、誰もそのことを指摘しません。むしろ、律法を字義どおりに捉えるなら、異教の国であるモアブから来た、異邦人の娘を娶ることに反対するのが自然ですが、神の掟をそのような形で適用する人は現れません。ルツ記の話は単純に「掟を字義どおり守ったから幸せになった」という話ではないのです。

 

Q. 聖書に出てくる「祭司」とは、どういう人たちですか?

A. 祭司とは、神を礼拝する場を整え、人々の罪がゆるされるよう、代表して供え物や犠牲をささげる職に任命された人のことです。旧約聖書では、人々が罪をゆるしていただくために、焼き尽くす献げ物を神に供える記述が出てきますが、手順どおり、牛や羊などを捌き、油や血を分けて、焼き尽くしていく作業には、専門的な技術が必要でした。基本的に、レビ族の者が祭司の働きを担いましたが、その中でも、奴隷であったイスラエル人をエジプトから脱出させたモーセの兄、アロンの子孫が祭司の家系として出てきます。ただし、アロンはモーセが不在の間、民の要求に応えて金の子牛の像を作り、重大な罪である偶像礼拝をさせてしまった人でもありました。にもかかわらず、神は、アロンの家系を祭司として用い、自分の言葉を人々へ伝えさせたり、人々が礼拝する場を整えさせる、重要な役目に遣わしていきました。

 

Q. サムエルは、どういう経緯で祭司エリへ仕えるようになったんですか?

A. サムエルは、長年子どもが生まれず、家の中でも辛い立場にあったハンナが、男の子を授けられることを願って、必死に祈った結果、生まれてきた子どもです。ハンナは「願いどおり男の子が生まれたら、その子の一生を神様におささげします」と約束し、神殿で、祭司エリに出会います。すると、一生懸命祈る彼女のために、エリからも「イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえてくださるように」と祈ってもらえました。やがて、ハンナは男の子を身ごもり、その子が乳離れするまで、ずっと一緒に過ごした後、約束どおり、息子を神殿へ連れて来て、祭司エリに預け、神に仕えるようにさせました。サムエルという名前は、「その名は神」という意味で、ハンナが神に願って与えられた子どもであることを示しています。

 

Q. サムエルはどんな祭司になっていったんですか?

A. サムエルは、イスラエルが王国になるまで、民の指導者として人々を導いた祭司です。そのため、士師の一人に数えられることもあります。また、イスラエルの最初の王サウルと、二代目の王ダビデに油を注いで、任命を行った祭司でもありました。彼が少年の頃、仕えていた祭司エリは、息子たちが神に献げられたものの一部を取り上げたり、女性たちと不適切な関係を持ったりすることを、注意しても止められませんでした。サムエルが、初めて聞いた神の言葉は、そのことに対する裁きの予告でした。しかし、サムエルも晩年になって、息子たちが不正な利益を追い求め、賄賂を取って裁きを曲げてしまうことを止められず、人々が、自分の代わりに王を求める原因を作ってしまいました。これまでの族長や士師と同じく、サムエルも、神に仕える重要な働きを担った一方で、大きな過ちを犯してしまった一人でした。

 

新約聖書に関する質問

Q. キリストが最初に起こした奇跡は、どんな奇跡だったんですか?

A. キリストが最初に、神の国の「しるし」として起こした奇跡は「カナの婚礼」と言われています。イエスの母マリアと、イエスと弟子たちが招かれた、ガリラヤのカナの婚礼で、ぶどう酒が足りなくなった際、水をぶどう酒に変える奇跡が起こされます。婚礼の席で、ぶどう酒を切らしてしまうことは、たいへん恥をかく行為でした。マリアは自分を招待した人たちを助けようと、イエスに助けを求めますが、イエスは「わたしと何のかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」と答えます。けれども、マリアは召し使いたちに「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」とお願いし、イエスはその後、水がめに水をいっぱい入れるよう指示し、中身をぶどう酒に変えられました。ヨハネによる福音書では、2回目の奇跡も、同じガリラヤのカナで起こされたと出てきます。

 

Q. キリストは、5つのパンと2匹の魚を5千人に分けたんですか?

A. 「5千人の給食」と呼ばれる奇跡は、キリストの生涯を記した4つの福音書、全てに出て来るエピソードです。福音書によって、多少の違いはありますが、病の癒しと神の国の教えを求めて集まってきた人々が、人里離れたところでお腹を空かせているのを見て、イエスが、わずかなパンと魚を手に取り、感謝の祈りを唱えてそれを裂き、みんなに配り始めた出来事です。かつてのイスラエル社会では、人数を記録する際、女性と子どもは入らなかったので、実際には5千人どころか、倍以上の人たちへ、5つのパンと2匹の魚を分けようとしたことになります。当然、足りるわけがありませんが、なぜか、これらのパンと魚はそこにいる全員へ行き渡り、全員が満腹になったことが記されています。たいへん重要な奇跡ですが、4つの福音書全てで、パンがどのように増えたのか、細かい描写は記されず、不思議な現象そのものよりも、わずかな食べ物に感謝した祈りと、人々が食べて満腹したことの2つを、大切なこととして取り上げています。

 

Q. キリストは、寝起きに嵐をしずめたんですか?

A. マタイ、マルコ、ルカによる福音書には、イエスが弟子たちと乗った舟が、激しい突風に襲われて波を被り、沈みそうになった事件が記されています。舟を出した途端、強風に襲われる出来事は、ヨナ書などにも出てくるように、神に背いた人間が、罰を受けているイメージと結びつきました。弟子たちはたいへん恐れますが、イエスは水を被っているにもかかわらず、枕をして眠っていたと書かれています。これも、神の命令に背いたヨナが、一人だけ、船底で眠っていた話を思い出させます。弟子たちも、「この人が神を怒らせたんじゃないだろうか?」と考えたかもしれません。けれども、弟子たちに起こされたイエスは、風を叱りつけて波を静め、「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と語ります。イエスが嵐の原因ではなく、嵐を静めたことを見て、弟子たちは改めて、「いったい、この方はどなたなのだろう」と考えるようになりました。

 

Q. キリストは、湖の上を歩いて幽霊に間違われたんですか?

A. イエスが湖の上を歩く話は、マタイ、マルコ、ヨハネによる福音書に出てきます。このときは、既に暗くなっていたにもかかわらず、イエスが強いて弟子たちを舟に乗せ、向こう岸へ渡るように指示をします。しかし、イエス自身は舟に乗らず、一人山へ登って祈るため、立ち去ってしまいました。残された弟子たちは、まもなく強い風が吹いてきて、荒れ始めた湖で立ち往生してしまいました。自分たちが送り出された途端、強風に襲われる光景は、やはり、神の怒りを想像させます。今回は、イエスが乗っていないので、嵐の原因は、ここにいる自分たちにあったんだと思わされます。けれども、神に見捨てられたのかと、怖がっている弟子たちに、イエスは湖の上を歩いて近づいてきます。弟子たちはそれを見て「幽霊だ」と騒いでしまいますが、イエスから「わたしだ。恐れることはない」と呼びかけられます。嵐を静め、嵐の中を近づいてきたイエスの話は、神の怒りを恐れる人たちに、神はあなたを見放したのではなく、あなたの側についていることを思い出させます。

 

Q. 弟子たちはいつ、イエスを「神の子」と信じたんですか?

A. マタイ、マルコ、ルカによる福音書には、弟子たちの中心人物であった使徒ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」とイエスに告白したことが記されています。しかし、イエスの「十字架にかけられた後、三日目に復活する」という言葉を信じられなかったり、復活後、再会してからも、まだ信じられなかった弟子もいたことが記されています。また、ヨハネによる福音書には、2人の弟子が、イエスの墓が空になっているのを「見て、信じた」と出てきますが、「イエスが必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、2人はまだ理解していなかった」とも書かれており、信じたのか、信じなかったのか、よく分かりません。もしかしたら、イエスを神の子と「信じる」ということは、自分で考えて理解したり、自分で納得したりすることとは、ちょっと違うのかもしれません。「信じていると言っていいのか分からない」弟子たちの状態を、「信じる者」として受けとめ、ご自分の弟子と呼ばれたイエスの姿を繰り返し思い出したいです。

 

Q. キリストは、故郷では人気がなかったんですか?

A. マタイ、マルコ、ルカによる福音書では、イエスが故郷のナザレに帰ったとき、人々に受け入れられなかった様子が描かれています。また、ヨハネによる福音書では、イエスの兄弟たちも、イエスを信じておらず、ガリラヤから出て行って、ユダヤで活動するように求めたことが記されています。マタイによる福音書では、イエスがヨセフの息子として生まれてきたものの、マリアと結婚する前に妊娠したことが記されているので、故郷では、イエスの父親がヨセフではなく、マリアの浮気相手であると噂されていたのかもしれません。だからこそ、会堂で聖書の教えを語ったり、町中で病人を癒したりする様子を見ても、イエスを救い主として受け入れられなかった人が多かったのかもしれません。しかし、後に、イエスの兄弟も教会の一員として歩み始め、最初は受け入れなかった人たちも、イエスを神の子と信じるようになった様子が、いくつか聖書の中に出てきます。

 

Q. キリストに敵対したファリサイ派とは、どんな人たちですか?

A. ファリサイ派は、イエスと対立したグループの一つで、ヘブライ語で「分離」という意味から来ています。律法を正しく守らない者と自分たちを分け、律法を正しく守るにはどうしたら良いか人々に教え、指導する働きをしていました。主に、祭司や貴族階級で構成されたサドカイ派と違い、市民の中からラビ(先生)として専門的に教えを学んだ人たちが集まっていました。律法の学びと研究を重視したため、律法学者なども多くいました。けれども、律法を守らない、守れない人たちよりも、守っている、守れている自分たちの方が優位にある、という態度で、人々を裁いてしまうこともあったため、度々イエスから批判されました。ただし、ファリサイ派の中には、イエスと食事を共にした人や、対立しないで、その教えに支持した人もいたことが描かれています。

 

Q. キリストに敵対したサドカイ派とは、どんな人たちですか?

A. サドカイ派も、イエスと対立したグループの一つで、列王記上2章に出てくる、ソロモン王を祝福した祭司ツァドクが創始者であると言われていますが、はっきりとは分かりません。主に、祭司や貴族階級で構成されており、神殿で行う礼拝だけを認めたため、会堂(シナゴーグ)で行う礼拝は否定しており、ファリサイ派とも対立しました。また、死者の復活を否定したり、天使の存在も否定したため、それらの論争が聖書の中にも何度か出てきます。神殿で神に仕える祭司に権威を置いていたため、ローマ軍によって70年に神殿が破壊されると、サドカイ派も消滅していきました。

 

Q. キリストは「大食漢で大酒飲みだ」と言われていたんですか?

A. マタイによる福音書11章やルカによる福音書7章で、イエスがそのように批判されたことが記されています。これは、イエスが隔たりなく、色んな人たちの家を訪れ、食事に招かれていたのを見て、「あの人は罪人と一緒に食事をしている」という非難などと同様に、浴びせられた言葉と思われます。しかし、ヨハネによる福音書では、少年から受け取ったわずかなパンと魚を感謝して、神に祈りをささげたあと、5千人以上の人と分け合ったことも記されており、一方的に食事の提供を受けていたわけではありませんでした。むしろ、みんなで「分かち合う」ということを大事にしたからこそ、食事のシーンがたくさん出てくるのだと思われます。

 

キリスト教全般に関する質問

Q. キリスト教はユダヤ教の一派から始まったんですか?

A. はい、キリスト教は、もともとユダヤ教の一派です。ユダヤ教というのは、旧約聖書でアブラハム、イサク、ヤコブの親子3代にわたって現れ、イスラエルを守ってきた神が、世界を造られた唯一の神と信じる宗教です。ちなみに、この3人の子孫が、後にユダヤ人と呼ばれるようになったイスラエルの民族です。旧約聖書には、小さな民族に過ぎなかったイスラエル人が、神のすばらしい業を諸国の民に伝えるよう特別に選ばれ、守られてきたことが書かれています。しかし人々は、自分が弱く小さな民だったこと、神に守られてきたことを忘れ、自分勝手に生きるようになり、何度も警告を受けていきます。それでも、人々はなかなか悔い改めず、ついにイスラエルの国は滅ぼされ、諸国の圧政に苦しむようになりました。そんな中「神が救い主を送ってみんなを助けてくれる」という約束が、預言者によって語られるようになります。キリスト教は、この救い主がイエス・キリストだと信じるようになった群れで、ユダヤ教はイエスを神の子とは認めず、今も救い主「メシア」の到来を待っています。


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