パウロのクリスマス?【聖書研究】
《はじめに》
華陽教会の聖書研究祈祷会のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。
《聖 書》使徒言行録22:6〜11
日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。
《メッセージ》
本日の聖書研究祈祷会のタイトルを聞いて、不思議に思った方もいるでしょう。「パウロのクリスマス」って、そんなエピソードあったっけ? キリストの誕生を記念する、クリスマスの出来事に、パウロは登場しただろうか? そもそも、1月10日にクリスマスの話をするのは、さすがに時期ハズレじゃないか? 色々と突っ込みたくなるでしょう。
キリスト教では、東から来た占星術の学者たちが、救い主の赤ちゃんを初めて礼拝したことを記念する「公現日」1月6日までクリスマスをお祝いしていますが、そこからさらに4日経っています。聖書箇所も、イエス様の誕生を記したマタイによる福音書やルカによる福音書の冒頭ではなく、死んで、復活し、昇天した後、だいぶ経ってからの話です。
一見、クリスマスと関係ないように思えます。実際、クリスマスの時期に使徒言行録が読まれることは、まずありません。今回、聖書研究祈祷会で、ここを読むのもたまたまです。たまたまですが、よく見ると、復活したイエス様の幻と、パウロが出会った日の出来事は、救い主が誕生した日の出来事と、重なるようになっています。
パウロは、自分がイエス様と出会ったときの様子を、このように話しました。「旅を続けてダマスコに近づいたときのこと、真昼ごろ、突然、天から強い光がわたしの周りを照らしました」……天から強い光に照らされて、その場に立ちすくむ様子は、救い主の誕生を知らされた、羊飼いたちを思い出させます。
「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた」(ルカ2:8、9)昼と夜の違いはありますが、パウロはこのとき受けた強い光で、目が見えなくなってしまったので、真夜中に天使の声を聞いた羊飼いたちのように、彼も、暗闇で声を聞きます。
地面に倒れたパウロは、同胞のユダヤ人から呼ばれる名前で問われます。「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」……天からの声に問いかけられ、彼は、一気に恐ろしくなったでしょう。天使が近づいたとき、非常に恐れた羊飼いにも負けないくらい、パウロは震えながら応えます。
「主よ、あなたはどなたですか?」……すると、声の主は言いました。「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである」……あの日、ダビデの町ベツレヘムで、救い主の赤ちゃんが生まれたことを告げられたように、その日、ナザレで育ったイエス・キリストがパウロへ会いにきたことを告げられます。
さらに、イエス様の声は、パウロに向かって命じます。「立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる」……そこで、彼は、一緒にいた人たちに手を引かれて、ダマスコに向かって出発しました。ちょうど、天使の言葉を聞いてベツレヘムにいるイエス様を拝みにいった羊飼いのように。
救い主が生まれた日、羊飼いたちは、飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当て、この幼子について、天使が話してくれたことを人々に知らせました。パウロもまた、ダマスコへ行って、アナニアというイエス様の弟子に手を置いて祈られ、目が見えるようにされた後、自分に出会ってくださった救い主のことを、人々に知らせて回ります。
奇しくも、自分のために祈ってくれたアナニアから、パウロはこう言われています。「あなたは、見聞きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる」……それは「見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」(ルカ2:20)羊飼いたちの役割を、新たに引き継ぐ役目でした。
一見、パウロがイエス様と出会った話は、信じていなかった者が、敵だった者が、罰を受け、反省させられ、悔い改めたから仲間にされた……という教訓的な話に見えますが、実際はもっと奥深く、彼が見えなくされたのは、暗闇の中、天使の光に照らされた、星の光に導かれた、良い知らせを受けた者たちの一人であることを示しているんです。
既に、クリスマスから2週間が経ちました。新年を迎えて10日目の水曜日、皆さんはどんな思いで新しい年を歩んでいるでしょうか? 元旦から震災に遭い、泊まる家を失った人……怪我をして、心を病んで、手を引かれなければ、歩くこともできなった人……誰かの助けを求め、とりなしを願って、さまよっている人……。
今、あなたが歩んでいる道は、救い主と初めて出会った羊飼いや、イエス様の幻に初めて呼びかけられたパウロが歩んだ道のりと、同じ道のりです。後ろめたいこと、やましいこと、悔やんでも悔やみきれないことがあったとしても、あなたと出会った救い主は、あなたを暗闇の中で、進めないまま放置することはありません。
手を引いてくれる者、見えるように祈ってくれる者、敵だったけれど受け入れてくれる者……イエス様自身が間に立って、彼らと出会わせてくださいます。そして、あなた自身が、新たな隣人として遣わされます。はたから見たら、野宿している貧しい者、見えなくなった力なき者、罰当たりな罪人でも、立派な証人として神様に選ばれています。
もし、クリスマスの夜に、みんなと同じような良い知らせを受け取れなかった……喜びにも希望にも満たされなかった……今も、暗闇の中を手探りでさまよっている……と感じるなら、改めて、思い起こしましょう。パウロもクリスマスの夜に、救い主が生まれた当日に、「救いにあずかった」とは思っていませんでした。彼は暗闇の中にいました。
しかし、そんな彼にも、救い主の訪れは、良い知らせは、もたらされます。時を越え、場所を越え、死を越えて、救い主は出会いに来ます。あなたに光を届かせます。肝心なときに、決定的なタイミングに、喜びを感じられなかった、良い知らせをみんなと分かち合えなかった全ての人に、キリストは新しい光をもたらします。
自分だけ、復活したイエス様を見てなくて信じられなかったトマスにも、イエス様のことを3回「知らない」と否定してしまったペトロのことも、キリスト教徒を迫害し、捕まえて回ったパウロのことも、この方は新しく弟子にするため、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」「わたしに従いなさい」「わたしの証人になりなさい」と告げました。
震災による被害を受けて、教会の再建を信じられなくなった人たちにも、大切な人を失って、神様に怒りをぶつける人たちも、様々な事件にショックを受けて、礼拝へ行けなくなった人たちも、聖書を開くことさえできなくなった人たちにも、救い主の訪れは、あらゆる時を、場所を、壁を超えて、希望と回復をもたらします。今、この時から……
傷つき、疲れ、祈れなくなった全ての人に、私たちのとりなしが届きますように。私たちが見えないとき、歩けないとき、支えてくださった方の手が、今、必要とする全ての人へ、伸ばされますように。ここにいる私自身も、キリストの証人として、良い知らせを伝える者の足として、新たに出発できますように。アーメン。
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柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。