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もっと気になるキリスト教(8)【キリスト教ABC講座】

聖書の内容やキリスト教に関する知識をQ&A方式でザックリ説明している講座です。


 旧約聖書に関する質問

Q. 預言者イザヤは、どんな活動をした人ですか?

A. 預言者イザヤは、エルサレム、あるいは、その近郊を住まいとして、4人の王たちの治世にわたって、神の言葉を語った人物とされています。ただし、イザヤ書に収められた預言のうち、イザヤ自身によるものは1〜39章までで、40〜55章と、55〜66章の作者は別人と考えられており、それぞれ「第2イザヤ」「第3イザヤ」と呼ばれています。これは、本来、無名の預言者の言葉であったものが、後にイザヤの言葉として書き加えられたものと推測されています。いずれの文書においても、「神の義」(神の正しさ)というテーマが貫かれており、それは、自らの民を裁き、救う神の業であり、世界と諸国民、自然と歴史を支配する大いなる神の現れとして描かれています。なお、イザヤ書は詩編と共に、新約聖書で最も引用されている旧約聖書の書物です。


Q. 預言者エレミヤは、どんな活動をした人ですか?

A. エレミヤは、祭司の息子として生まれ、北王国イスラエルの滅亡後、紀元前627年に南王国ユダで活動を始めた預言者です。その預言は、一度記録されたものの焼かれてしまい(36章)、後に書き改められ、追加され、弟子バルクの語ったエレミヤ伝や歴史的付録などが加わって、今のような形になったと考えられています。エレミヤ書は、旧約聖書の中で、最も預言者の経験や苦難、心情などを吐露しており、詩編に収録されている多くの詩や、イザヤ書の「主の僕」の描写などにも大きな影響を与えています。エレミヤ自身には、預言者ホセアの影響が色濃く見られ、徹底して神の審判を語りますが、その神が、あくまで、愛と真実の神であることも伝えています。晩年には、神の新たな恩寵による救いの道を確信して、全ての人が神を知るようになり、罪から解放される「新しい契約」の思想を展開するようになりました。


Q. 預言者エゼキエルは、どんな活動をした人ですか?

A. エゼキエルは、バビロン捕囚期の預言者で、他の預言書と違い、全て「私」という一人称で預言の言葉が残されています。そのため、エゼキエル書は、基本的に彼自身の編集によるものと見られています。彼は、紀元前586年の第2回バビロン捕囚までは、宗教・社会・政治的堕落のゆえに神から下される処罰として、エルサレムとユダ王国の滅亡を預言しました。エジプトやティルス、その他の諸国に対する審判預言も行い、ユダがこれらの国々に依存し連携して、バビロニアに反旗をひるがえすことの無意味さを指摘しました。エルサレム陥落後は、一転して、イスラエルの救済と回復を語り、神は、その聖なる名のために捕囚の民を帰還させ、国を回復させるであろうと預言しました。エゼキエル書は、預言文学であるとともに、黙示文学の要素も備えており、幻の記述が多いです。黙示というのは「隠されたことを明らかにする」という意味で、黙示文学は普通の預言書よりも、象徴的表現が豊富という特徴があります。特に、37章1〜14節の「枯れた骨の谷」の幻は、捕囚の民に回復の希望を印象付け、40章以下の「再建されたエルサレム神殿」の幻は、バビロン捕囚帰還後の神殿再建とユダヤ人の共同体の再興を準備したと言われます。


Q. 十二小預言者とは、どういう人たちですか?

A. 十二小預言者とは、その名をもって集められた「預言書」が、聖書に収められている者のうち、イザヤ、エレミヤ、エゼキエルの3大預言者を除く、12人の預言者のことです。ホセア、ヨエル、アモス、オバデヤ、ヨナ、ミカ、ナホム、ハバクク、ゼファニヤ、ハガイ、ゼカリヤ、マラキが挙げられます。それぞれ、分裂した北王国イスラエルと南王国ユダの末期から、両王国の滅亡後、紀元前2〜3世紀ごろまでに書かれたと言われ、どの文書も比較的短いです。


Q. 記述預言者とは、どういう人たちですか?

A. 「記述預言者」とは、アモスをはじめとする紀元前8世紀以降の預言者で、預言を語るだけでなく、文字に残したことからそう呼ばれます。特徴としては、預言活動を職業として意識せず、人の要求ではなく神の要求に従って預言を行い、楽器などの道具も使用しなかったことが挙げられます。記述預言者は、その名をもって集められた預言書として、旧約聖書の中に収められており、イザヤ、エレミヤ、エゼキエルの3大預言者の他、ホセア、ヨエル、アモス、オバデヤ、ヨナ、ミカ、ナホム、ハバクク、ゼファニヤ、ハガイ、ゼカリヤ、マラキの12小預言者がいます。


Q. 預言者アモスは、どんな活動をした人ですか?

A. アモスは最初の記述預言者で、北王国イスラエルの滅亡後、南王国ユダへ避難した彼の弟子たちによって、捕囚期以後にアモス書がまとめられたと考えられています。彼はもともと、羊を飼い、イチジク桑の栽培を行って暮らしていました。しかし、預言者としての使命を突然与えられ、北王国イスラエルの聖所がある町ベテルへ行って、神の言葉を語るようになります。その活動は一年に満たない短い期間でした。当時は、北方諸国からの圧迫が中断し、北王国のヤロブアムは、失った領土を回復して、大いに国力を上げましたが、その成功と繁栄は、道徳的退廃と社会的混乱、特に宗教的堕落をもたらしていました。そのため、アモスの預言には、正義と公正を追求する言葉が、多数残されています。


Q. 預言者ホセアは、どんな活動をした人ですか?

A. ホセアは、アモスよりやや遅く、北王国イスラエルで活動した預言者で、その言葉として伝えられたものが、約200年かけて編集されたと言われています。ホセア書は、12小預言書中、最大の文書として成立し、全部で14章あります。ホセアは、妻ゴメルの不倫による結婚生活の破綻を体験し、淫行のため生まれた子どもに象徴的な名前をつけて、北王国イスラエルの滅亡を予告したことで有名です。彼は、異教の神であるバアルを礼拝するようになったイスラエルの罪を「姦淫」「淫行」「不義」などと表現し、外国依存の政策も、同じ精神の表れとして、厳しく批判しています。しかし、後に、妻ゴメルとその子どもを神の命令に従って受け入れ、「愛による赦し」という、神と人との新たな関係性を、象徴的に人々へ知らせることになりました。

 

Q. 聖書には、男性の王以外に、女性の王妃の活躍は出てこないんですか?

A. エステル記という書物の中に、ペルシアのクセルクセス王の王妃となった女性の活躍が出てきます。彼女は母国を滅ぼされ、外国に捕虜として連れてこられた、ユダヤ人の子孫です。ペルシアの大臣ハマンは、エステルの養父であるモルデカイが、自分に跪いて拝まなかったことを理由に、ユダヤ人を虐殺しようと企みます。エステルはそれを止めるため、モルデカイと共に、命をかけてハマンの陰謀を暴き、彼の企みを食い止め、同胞を救うことに成功しました。エステル記の中には「神」という言葉が一度も出てきませんが、一人の女性を通して、人々を救いに導くの神の業が描かれています。

 

Q. ダニエルとは、何をした人ですか?

A. ダニエルは、戦争に負けてバビロニアへ捕虜として連れて行かれたユダヤ人の子孫で、バビロニアがペルシアに征服された後も、帝国の宮廷で仕えたとされる人物です。異教の国での圧力に負けず、本当の神のみを礼拝したことで、燃え盛る炉に投げ込まれたり、ライオンのいる穴へ投げ込まれたりしますが、いずれも神に守られて、信仰を貫き通します。また、ダニエルの見た幻は、人々が苦難に襲われても、必ず救いを実現される神の歴史の支配を表しています。彼の活躍が描かれたダニエル書は、黙示文学とも呼ばれ、単なる預言書と違って、多くの象徴的表現が用いられています。


新約聖書に関する質問

Q. キリストは、最後の晩餐の前に、なぜ弟子たちの足を洗ったんですか?

A. ヨハネによる福音書13章には、イエスが十字架につけられて死ぬ前に、弟子たちと最後の食事をする席で、弟子たち全員の足を洗ったことが記されています。人の足を洗う行為は、本来、奴隷の役目でした。しかし、イエスは、自ら、その役目を負うことで、自分が仕えられるためではなく仕えるために、自分自身をささげて多くの人の罪を贖うために来たことを示し、弟子たちにも、互いに仕えて、互いに愛し合うよう教えました。足を洗ってもらった弟子の中には、イエスを敵に売り渡したイスカリオテのユダもいました。


Q. キリストは、最後の晩餐をどのように取ったんですか?

A. イエスは、十字架につけられて死ぬ前に、これから自分を裏切る弟子と、これから自分を見捨てる弟子たちの12人を集め、彼らと一緒に、過越の食事を行いました。過越の食事とは、奴隷だったイスラエル人が、神様によって導き出され、エジプトから脱出した出来事を思い起こす食事です。イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら「取って食べなさい。これはわたしの体である」と言いました。また、ぶどう酒の入った杯を取り、感謝の祈りを唱え、弟子たちに渡して「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と言いました。さらに、「わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい」と言いました。つまり、イエス様が弟子たちと取った最後の晩餐は、やがて来たる神の国で開かれる祝宴を先取りしたもので、「あなたがたと共に新たに飲むその日」が来ることを約束した食事でもありました。そのパンと杯を受けた人の中には、イエスを裏切るイスカリオテのユダもいました。

 

Q. キリストは、自分を裏切るユダにどんな言葉をかけたんですか?

A. イスカリオテのユダは、イエスを裏切って、銀貨30枚で、祭司長たちに引き渡す手引きをした人間です。イエスは、自分を裏切る者について、「人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」と厳しい言葉を残しています。しかし、その直後、「あなたがたと共に新たに飲むその日」が来ることを約束した、神の国の食事の先取りである、パンと杯をみんなに手渡し、ユダもその食事にあずかっています。また、イエスが逮捕される場面で、自分を引き渡すため、近づいてきたユダに対し、最後まで「友よ」というふうに呼びかけていました。弟子たちは皆、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言いながら、イエスが逮捕されると、全員が見捨てて逃げてしまうので、「人の子を裏切る者」とは、ある意味弟子たち全員を指していたのかもしれません。


Q. キリストは、自分を見捨てる弟子たちにどんな言葉をかけたんですか?

A. イエスは、最後の晩餐を終えた後、弟子たちと共にオリーブ山へ出かけ、「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく」と言いました。その言葉どおり、弟子たちは皆、最後までイエスに付いていくことができず、見捨てて逃げてしまいました。しかし、イエスはそんな彼らに「わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」と言って、自分を見捨てる人たちに、再会のため、訪れる場所を教えています。また、自分のことを三度、「知らない」と否定してしまうペトロに対し、「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」と促します。福音書の中では、イエスを裏切ったユダに「サタン」「悪魔」が入ったと記されていますが、実は、弟子たちの中心的な存在であったペトロも、イエスご自身から「退け、サタン」と言われたこと、「サタン」によって小麦のように、ふるいにかけられたことが言及されています。しかし、サタンに振り回される弟子たちから、イエスは決して離れることなく、むしろ、自分の方から近づいて、呼びかけて、もう一度、従うよう促す姿が記されています。


Q. キリストは、十字架にかけられる前夜、どんな祈りをしたんですか?

A. イエスは十字架につけられる前夜、ゲツセマネという所にあるオリーブ山で、「父よ、御心なら、この杯を取りのけてください」と祈りました。これは、「神様、あなたの意志に沿うことなら、十字架につけられるという苦しみを取りのけてください」という意味です。しかし、続けて、「わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」と祈り、苦しみを避けることなく、進んでいきました。この時、イエスはひどく恐れて、苦しみもだえ、「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい」と弟子たちに頼み、汗が血の滴るように地面に落ちたことが書かれています。キリストは、自分が十字架につけられて死んでから、3日目に復活することを知っていましたが、苦しみと死を恐れなかったわけではありません。たとえ、救いを確信していても、苦しみや死を恐れることは自然なことです。恐れる者にペナルティーが与えられるわけでもありません。キリストが「恐れることはない」と言うのは、私たちの痛みをご自身がよく分かって、希望と励ましを与えるためです。

 

Q. キリストは、どのように逮捕され、どのように訴えられたんですか?

A. イエスが逮捕されたのは日が暮れてからで、ユダの手引きによってやってきた祭司長、律法学者、長老たちの遣わした群衆が、剣や棒を持って現れました。ユダの合図で、人々がイエスに手をかけて捕らえると、弟子の一人が剣を抜いて、大祭司の手下に打ちかかり、片方の耳を切り落としてしまいます。しかし、イエスは「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」と告げて、その人の耳を癒し、弟子たちは皆、逃げてしまいました。イスラエルでは、神の掟である律法によって、日が暮れてから、裁判を行うことは禁じられていました。しかし、イエスを捕まえた人々は、その掟に背いて、強引に裁判を進めていきます。祭司長たちと最高法院の全員は、イエスを死刑にするために、偽の証人を用意しますが、死刑に相当する証拠は何も得られませんでした。そこで、イエスが神の子と自称して、神を冒涜していると訴え、群衆を扇動し、ローマの総督ピラトにも、イエスを死刑にしなければ、暴動が起こると不安にさせ、無理やり死刑を執行させました。


Q. 鞭打ちとは、どのような刑だったんですか?

A. 鞭打ちは、古くから行われてきた刑罰の方法で、申命記25章3節では、罪を犯した者に対し、「四十回までは打ってもよいが、それ以上はいけない。それ以上鞭打たれて、同胞があなたの前で卑しめられないためである」と書かれています。しかし、その鞭には、最大限の痛みを与えるために、石や棘が仕込まれることもありました。また、1回打たれるだけでも、失神してしまう受刑者も少なくないと言われています。


Q. 十字架とは、どのような刑だったんですか?

A. 十字架刑は、ローマ人が他民族を処刑する際に用いた、最も残酷で侮蔑的な方法でした。受刑者は裸で木の柱、もしくは杭に釘付けされるか、縛り付けられました。釘付けの場合、体の重みで手が裂けないよう、手首の位置に打ち付けられました。受刑者は、激しく鞭で打たれた後、十字架の横木を背負って町中を引き摺られ、町の外の処刑場まで歩かされました。十字架につけられた後は、死ぬまで見張られることとなり、たいていは1日か2日かで、窒息や失血性のショックによって亡くなったと言われています。死んだ後は、共同墓地に投げ込まれるか、鳥などの餌食にされましたが、イエスの場合は、アリマタヤのヨセフという人物が、勇気を出して遺体を引き取り、墓に納めたと書かれています。


Q. キリストは死ぬ直前まで、誰と一緒に過ごしたんですか?

A. キリストは、死ぬ直前まで、自分を裏切り、見捨てる弟子たちと一緒にいました。これから自分を裏切ることが分かっているイスカリオテのユダに、パンと杯を渡し、これから自分を見捨てることが分かっているペトロたちに、「わたしのために祈ってほしい」と付いてくるよう頼みました。イエスが祭司長やファリサイ派の人々に捕まってしまうと、弟子たちは全員逃げてしまいますが、ヨハネによる福音書では、イエスが息を引き取る直前に、十字架のそばで、イエスの母とその姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリア、イエスの愛する弟子が立っていたと書かれています。また、イエスの両脇には、強盗を犯した2人の犯罪人が十字架につけられていました。そのうちの一人が「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言うと、イエスは「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言い、死を超えて共にいることを宣言されました。


Q. キリストは死ぬ前にどんな言葉を残したんですか?

A. マルコによる福音書とマタイによる福音書では、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」……ルカによる福音書では、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」……ヨハネによる福音書では「成し遂げられた」という言葉を残しています。キリストが、神に向かって「なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫んで亡くなったことは、一見すると、「神への信頼」「神への信仰」を捨ててしまった言葉のように感じます。しかし、同じように、「神に見捨てられた」と叫んで亡くなった人たちも、ただ信仰を失って、滅びに定められたのではなく、キリストが共におられ、キリストと共に復活する希望を与えられている……と読むこともできる、大いなる励ましの叫びでもあります。


キリスト教全般に関する質問

Q. 贖罪とは何ですか?

A. 贖罪とは、「罪を贖う」ことを意味する言葉で、身代金を払って奴隷や捕虜を解放したり、善行を積んで、犯した罪を償ったりして、刑罰を免れることを指しています。キリスト教では、神に背いてきた私たち人間が、滅びを免れるように、イエスが十字架にかかって、自らの命をささげることで、全ての人の罪を贖い、神の赦しを得させてくださったことを意味します。ようするに、本来、私たち人間が償わなければならない自分の罪を、キリストが代わりに償って、神の赦しを得させてくださり、私たちを神の国に迎えられるようにしてくれた……という理解です。このイエスによる神の赦しを信じて受け入れ、神と人との和解にあずかり、新しい命(新しい生き方)へ変えられて、神の国へ迎えられる……ということが、キリスト教で言う「救い」の中身になっています。

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柳本伸良@物書き牧師
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