見出し画像

空気が読めない宣教者【聖書研究】


《はじめに》

華陽教会の聖書研究祈祷会のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。

《聖 書》使徒言行録17:16〜21

日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

《メッセージ》

誰かに神様のことを話そうとしたとき、聖書の話をしようとしたとき、自分が見せ物になるような感覚に陥ったことが、皆さんもあるかもしれません。自分自身が「宗教の人」「あっちの人」と形容され、「理解できないものを信じている」と見なされる……なかなか心に来る経験です。
 
ベレアで迫害を受けて、逃げるようにアテネへたどり着いた宣教者パウロは、シラスとテモテが到着するまで、まさに「見せ物」になるような経験をしました。彼は、安息日には、ユダヤ人が集まる会堂へ行って討論し、平日には、民衆の集まる広場へ行って議論を交わし、毎日、居合わせた人々と論じ合っていました。
 
アテネと言えば、ギリシャ神話の神々があちこちに祀られている有名な町です。当たり前ですが、町は偶像だらけです。色んな神々の名前が彫られた祭壇があり、立派な神殿も立っています。あちこちの神社でお参りしたり、賽銭をしたり、お祓いしたりする日本のように、アテネで祀られているものも、人々の生活に密着しています。
 
当然、そんなところで「偶像礼拝だ」と憤慨しても、みんな怪訝な顔をするだけです。いきなりキリスト教を伝えても「何それ?」となるだけです。また、パウロは、ユダヤ人でありながらローマの市民権を持ち、高度な教育を受けた人間でしたが、この町の哲学者には通用しなかったみたいです。
 
エピクロス派やストア派など、世界史の授業でも聞いたことのある人たちが、パウロと討論していますが、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」と言う者もいれば、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と冷めた目で見る人もいます。教養を持った人たちに言葉が届かない、教えが響かない経験は、パウロを非常に苦しめたでしょう。
 
学がないから、理解する頭がないから、教えが届かないんだ……という言い訳ができません。むしろ、自分の方が、上手く説明できない、客観的に話せていない、ということになってきます。しかも、アテネの人々は、パウロを無視するわけでも、攻撃するわけでもありません。
 
好奇心旺盛で、謙虚な民衆の一人がこう言います。「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ」……広場や会堂と違い、次々と被せられる質問や反論に邪魔されず、話を聞いてもらえる機会がやってきました。
 
ところが、せっかく機会を設けてくれた彼らに対し、パウロはけっこう上から目線で語ります。「あなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます」「あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう」……少し皮肉が効いています。奇妙なことを聞かせていると言われて、カチンと来たのかもしれません。
 
おそらく、アテネにいる人々で、パウロのことを「空気が読めない宣教者」と見なした者は、少なくなかったと思います。実際、パウロからイエス様の復活について話されると、ある者は嘲笑い、ある者は「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言って去っていきます。ほとんど相手にされません。
 
一気に孤独が押し寄せます。今まで一緒だったシラスとテモテも、ベレアに留まったまま、なかなかこちらへ来てくれません。なんだかんだ、迫害を受けても、大勢の人が信仰に入る経験をしてきたパウロにとって、迫害さえ起きなかったこの町は、最も手応えのない土地だったかもしれません。
 
彼はほとんど成果を得られないまま、アテネの町を後にします。34節に「彼について行って信仰に入った者も、何人かいた」とおまけのように記されますが、名前が出てくるのは、たった2人です。会堂に集まるユダヤ人に至っては、一人も記されません。一見、この記事は、アテネでの宣教が散々な結果に終わったことしか伝えてないように感じます。
 
しかし、実は似たような光景が、以前にも、使徒言行録の中に出てきました。直前に居た地域では、たくさんの人が洗礼を受けたのに、新しく遣わされた場所では、たった一人しか洗礼を受けなかった……それは、パウロがキリストの幻と出会って、回心する直前の出来事、サマリアからガザへ下る道に遣わされた、フィリポのエピソードです。
 
使徒言行録8章で、フィリポはサマリアの人々に、イエス様の教えと業を伝え、多くの人を仲間にしていました。しかし、彼はいきなり天使に「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と命じられます。そこは寂しい道で、人気のない、明らかに伝道に不向きな場所でした。
 
しかも、そこで唯一出会えたのは、エチオピアの女王に仕える宦官の一行です。異教の国、異教の祭儀に関わる者で、洗礼を受けたとしても、母国に教会があるわけでも、キリスト教の礼拝ができるわけでもありません。にもかかわらず、このエピソードは、洗礼を受けてフィリポと別れた宦官が、喜びにあふれて旅を続けたシーンで締め括られます。
 
アテネでも、パウロの理解されない話を聞いて、何人かは信仰に入ったことが記されます。彼の話を嘲笑い、相手にしない人たちが大勢だった中、その話に希望を抱き、喜びにあふれた人がいたことを伝えています。アテネで教会が建てられた描写はありませんが、私たちは、イエス様が語った言葉を知っています。
 
「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:20)……確かに、この日、見えない教会がアテネの中に立ちました。空回りした宣教者が立ち去っていく町の中にも、信仰の火は灯りました。そこはただ、宣教者が立ち去った町ではなく、キリストが共におられる町となりました。
 
同時に、アテネでのやりとりは、これ以降のパウロの宣教にも重要な変化を与えます。相手の見方、相手の理解、相手の捉え方に立って、言葉を探し、対話を重ね、メッセージを伝えていく。「ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のように」「弱い人に対しては、弱い人のように」コリント教会で見せた彼の態度は、この経験と関係ないものではないでしょう。
 
岐阜地区の教会も、数多くの受洗者が現れるわけではありませんが、確かに、喜びがもたらされています。失敗した経験も、挫折した出来事も、そのままで終わるものではなく神様が変化と気づきを与えてくださいます。共に、希望をもって、これからの宣教を考えていきたいと思います。

ここから先は

0字

¥ 100

柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。