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ユダヤ人なのにローマ市民?【聖書研究】
《はじめに》
華陽教会の聖書研究祈祷会のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。
《聖 書》使徒言行録22:22〜29
日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。
《メッセージ》
エルサレム神殿の境内で、異邦人を連れ込んだと勘違いされた宣教者パウロは、ユダヤ人たちに捕えられ、殺されかけ、騒動を聞きつけたローマ帝国の千人隊長に尋問を受けました。千人隊長は、パウロのことを、エジプト人のテロ組織のリーダーかと疑いますが、ギリシア語が話せたパウロは、自分はタルソス出身の一般市民だと説明します。
彼のギリシア語を聞いて、どうやらエジプト人ではなく、外国出身のユダヤ人のようだと知った千人隊長は、指名手配のテロ組織のリーダーでなければ、こいつは一体何者だ? 何をしたんだ? と気になります。すると、パウロは、自分を殺そうと、怒り狂っているユダヤ人たちへ、ひとまず話をさせてほしいと願い出て、千人隊長の許可を得ました。
ところが、パウロはユダヤ人にだけ分かるアラム語で話し始めたので、千人隊長は何を話されているのか分かりません。騒動を収めにきた兵士たちも、ますます不審感を持ったでしょう。さらに、パウロはユダヤ人たちへ、自分は異邦人を連れ込んでいないと弁明すればよかったのに、自分が神様から異邦人伝道を命じられたと話し始めてしまいます。
多くのユダヤ人にとって、異邦人は母国を滅ぼし、この国を支配してきた、異教の国の人々ですから、忌むべき存在、敵対する存在です。そんな人たちが救われるよう、神の教えを伝えている、というのは、受け入れ難いことでした。ますます、ユダヤ人たちは怒り狂い、「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない」とまで言い始めます。
パウロは、どんどん自分を不利にします。ユダヤ人にも千人隊長にも、自分が殺される理由はないこと、潔白であることを証明しなければならないのに、むしろ、反感を買い、怪しまれ、鞭で打ち叩くのも致し方ない……と思われるようなムーブをします。あまり、賢い振る舞いには見えません。
一方で、自分がどんな状況でも、危険を顧みず、イエス様との出会いを語った……という意味では、尊敬に値するかもしれません。パウロはこの後、ローマ帝国の兵隊に鞭で打たれそうになり、手足を縛られて台の上に乗せられますが、「ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭で打ってもよいのですか」と冷静に指摘を行います。
実は、ローマの市民権を持つ者は、ポリキウス法とユリウス法という2つの法律で、鞭打ちの刑が免除されていました。尋問で、鞭打ちが許されるのは、非ローマ人と奴隷だけで、ローマ市民の場合、正式な裁判を受けるまで、鞭を打つことは許されませんでした。本来、法律で禁じられていることをやりかけて、兵士たちは慌てます。
なぜ、今になるまでローマ市民であることを黙っていたのか? どうして、もっと早くに言わなかったのか? 私たちも、千人隊長の立場なら、思わず問い詰めたくなるでしょう。普通、手足を縛られるまで黙っていることじゃないだろうと……なにしろ、ローマの市民権は簡単に手に入るものではありません。
千人隊長その人も、多額の金を出して、ローマの市民権を買い取った人間です。タルソス出身のパウロなら、かつて国を滅ぼされ、外国へ連れて行かれた、ユダヤ人の子孫ですから、市民権を得るのは、尚更、難しいはずです。ところが、自分で市民権を買い取った千人隊長とは違って、パウロは「生まれながらローマ帝国の市民です」と語ります。
つまり、パウロの家は、彼の父親か祖父の代に、多額の金を出して、ローマの市民権を得たことになります。父親か祖父の代から、ローマの市民権を得ている人に、正式な裁判も開かないで、鞭を打ったと発覚すれば、完全な法律違反です。下手すれば、千人隊長の職も失ってしまうかもしれません。危ういところでした。
慌てふためく千人隊長と、冷静に対処するパウロの様子が対比されます。こんなに堂々と、自分の過去や出自を説明して、キリスト教の宣教をするパウロに対し、憧れを抱く人もいるでしょう。ただ、実を言うと、私自身は、パウロが堂々とした態度で、この危機を乗り越えたようには思えないんです。
皆さんも不思議に思わなかったでしょうか? パウロと言えば、生粋のユダヤ人、律法を忠実に守り、大祭司や長老たちとも手紙でやりとりするほど信頼され、彼らと対立するイエス様の仲間を捕まえていた人間です。キリスト教に回心するまで、パウロは、自分がユダヤ人であることに誇りを持って、ユダヤ人らしい生活を心がけていました。
にもかかわらず、ローマの市民権を持っていた……もちろん、「生まれながら」ローマ帝国の市民ですから、彼が自分で多額の金を出して、ローマの市民権を買い取ったわけではありません。繰り返しますが、彼の父親か祖父の代に、市民権を買ったのでしょう。とはいえ、同胞のユダヤ人からすれば、褒められたことではありません。
ローマの市民権を得る……それは、ユダヤ人でありながら、異邦人の権利を金で買う、ということであり、律法で禁じられていた、「異邦人と交わること」を積極的に受け入れることでもありました。ようするに、「ユダヤ人でありながら、ローマ帝国の市民である」という状態は、信仰深いユダヤ人なら受け入れ難いことだったんです。
実際、パウロが、ローマの市民権を持っていると明かしたのは、これで2回目ですが、どちらも、周りにユダヤ人がいないとき、ユダヤ人がいなくなったときに明かしていました。堂々と、危険を顧みずに自分の出自を話すなら、ユダヤ人がいるときから、兵士たちに捕まる前から、そのように訴えてもよかったはずです。
けれども、パウロは同胞の、ユダヤ人の前では、「自分がローマの市民権を持っている」とは言いません。確実に、周りにユダヤ人がいないとき、異邦人だけになってから、ようやく、ローマ帝国の市民であることを明かします。もし、そこにユダヤ人がいたら、ただでさえ、殺気立っている同胞の前で明かしたら、それこそ、どうなるか分かりません。
実は、パウロがローマ帝国の市民であるという事実は、何度か窮地を救った要素であるものの、同時に、ユダヤ人から反感を買う諸刃の剣でもありました。「あいつは、キリスト教徒を迫害していた頃から、俺たちにローマ市民であることを黙っていた」「生粋のユダヤ人と言いながら、実は異邦人の特権を持った奴だった」
そう言われても、おかしくありません。ちょうど、奴隷にされていたイスラエル人を、エジプトから脱出させた指導者モーセが、ヘブライ人でありながら、エジプトの王女の子として育てられたのと似ています。王との交渉に有利なようで、むしろ、同胞からの信頼を得にくい不安要素になっていた、複雑な事情が思い出されます。
「ずるい」「変だ」「罪人だ」……そのように思われる出自や過去に、彼らは苦しめられてきました。この要素がなければ、もっと受け入れられかもしれない、もっと生きやすかったかもしれない……そう思いながら生きてきました。きっと、本人は、窮地を救う特権だとも、賜物だとも、考え辛かったと思います。
同様のことが、皆さんの中にもあるかもしれません。家が他の宗教でありながら、教会へ通っておられる人……未だに差別を受けるセクシュアリティーを隠しながら、信仰を続けておられる人……他者に言いにくい仕事をしながら、礼拝へ出席している人……イエス様が、自分の使命に遣わしたのは、教会の働きに用いたのは、紛れもなく、あなたです。
「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない」……そのように言われることを恐れ、あるいは、既に言われてきた人たちが、イエス様の弟子に選ばれ、今日まで信仰の群れを支えています。同胞に明かせない事実があっても、度々、反感を買ってしまっても、あなたがキリストの弟子であることに、何の支障もありません。
むしろ、あなたが必要とされて、ここにいることを思い出してください。イエス様ご自身が、あなたを選んで、ここに遣わしたことを知ってください。自分を裏切り者だと感じたり、卑怯な者だと思ったり、罪悪感が芽生えたときには、パウロも全てを同胞には明かせなかったけど、豊かに用いられてきたことを振り返ってください。
神様の恵みと憐れみが、これからも、あなたがた一同の上にあるように。アーメン。
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