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招かれざる者【日曜礼拝】
《はじめに》
華陽教会の日曜礼拝のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。
《聖 書》 イザヤ書7:10〜14、マタイによる福音書1:18〜23
日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。
《メッセージ》
12月25日を過ぎたのに、教会ではまだクリスマスツリーが飾ってある……なぜだか不思議に思った方もいるかもしれません。多くの教会では、キリストの誕生を記念するクリスマスが終わっても、しばらく電飾やツリーを残しています。それは、救い主が初めて公に拝まれたことを記念する1月6日の公現日までをクリスマスとして祝うからです。
生まれたばかりのイエス様を最初に拝んだ人々と言えば、皆さんは誰が思い浮かぶでしょうか? ミッションスクールに居た人や、キリスト教主義の幼稚園で、救い主の降誕劇「ページェント」を見たことのある人は、ピンとくるかもしれません。それは、新しい王の誕生を祝うため、東の方からやってきた占星術の学者たちです。
よく「東方の3博士」として、王様のような格好をした人たちが、生まれたばかりの救い主に、献げ物をしている絵画や人形を目にしますよね? まさに、その出来事について書かれているのが、先ほど読んだ、マタイによる福音書2:1〜12です。けれども、占星術の学者たちが、なぜ、王様のような姿で描かれるのか疑問に思うかもしれません。
その理由は、彼らがイエス様に贈り物としてささげている「黄金」「乳香」「没薬」が、非常に高価なものだったので、地上の王たちが救い主を拝みにきた出来事のように受けとめられていったからです。「3人の博士」というイメージが定着したのも、贈り物が3種類であったことから来ています。
しかし、実際のところ、はるばる東の方から貴重な贈り物を携えて、救い主を拝みにやってきた占星術の学者たちが、たった3人だけで訪れたということはなかったでしょう。「博士」や「学者」と訳されているギリシア語の「マゴイ」は、外国の祭司を表す言葉でもあり、天文学や占星術を通して、国の政治に関わった重要な役職です。
しかも、国の要職が「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」への贈り物をささげに来たわけですから、国を代表してエルサレムを訪れた使節のようなものでしょう。彼らが王のように描かれるのも無理はありません。そして、そんな重要人物が、護衛もなしに数人だけで、荒れ野を超えてやってきたとは思えません。
今のように、船や飛行機で移動するわけじゃありませんから、当然、目的地へ着くまでは何日もかかります。旅の間に必要な水や食料を運ぶだけでも大仕事です。おそらく、荷物を運ぶため、雇われた人たちもいたでしょう。また、東の方から、国を超えてエルサレムまでたどり着くには、強盗や盗賊の隠れている危険な荒れ野も通らなければなりません。
国家の命運を占う祭司たちに何かあっては大変ですから、護衛やお付きの者が数人だけということもないでしょう。かなりの数の兵士たちが、博士と贈り物を守っていたと考えるのが自然です。そうなると、エルサレムの人々から見て、もはやこの一行は、外国から来た軍隊のように見えてしまったかもしれません。
さらに、彼らは道行く人に「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」と言ってきます。これも、エルサレムの人々にとって寝耳に水でした。当時、ローマ帝国の傀儡として、ユダヤ人を治めていたヘロデ王に、新しく子どもができたという知らせはなかったからです。
もし、この知らせが、ヘロデに代わって選ばれた、新しい王の誕生を意味するなら、神様が約束していた救い主の登場ですから、エルサレムの人々にとっても、良い知らせになるはずです。しかし、ヘロデ王は自分の地位を脅かす者なら、自分の妻や息子であっても、容赦無く処刑してしまうような暴君として有名でした。人々は皆、不安になります。
けれども、博士たちに向かって、ヘロデを警戒するように忠告する者は誰もいません。なぜなら、「占星術の学者たち」というのは、天文学の専門家であると同時に、神の掟として授けられた律法で禁じられている「占い」を生業にする人たちでもあったからです。同時に、異教の国の祭司である「マゴイ」「マギ」でもありました。
さらに、エルサレムから見て「東の方」と言えば、かつてイスラエルを滅ぼし、自分たちの国を支配してきたアッシリア、バビロニア、ペルシャのあった地域です。神の民イスラエルの母国を滅ぼした、異教の国の祭司たちが、ユダヤ人たちの待ち望んでいる新しい王、救い主の誕生を告げて拝みにくる……すんなり受け入れられる話じゃありません。
本来、その役目は、ユダヤ人の中から選ばれた預言者に期待されるものでした。イスラエルの人々が敵視している外国の者から、異教の国の祭司から、聞きたい知らせじゃありません。まさに、「招かれざる者」です。たとえるなら、イスラエルにいるユダヤ人へ、パレスチナやイランの者から、救い主の誕生を聞かされるようなものでした。
けっこう衝撃的な話です。「イスラエルの敵国であった」「異教の国の祭司であった」「禁じられている占いをしていた」東方から来た学者たちが、新しい王の誕生を告げ、一緒にお祝いするためやってくる……ヘロデ王は不安を抱き、エルサレムの人々も皆、不安を抱きます。
博士たちについて行って、一緒に救い主を拝もうとする人はいませんでした。ついて行くなんてとんでもない! 彼らは異邦人だ、異教の国の祭司たちだ、交流を避けるべき人間だ。むしろ、神様に選ばれた新しい王が立てられたとき、真っ先に滅ぼされるべき敵じゃないか!
そんなふうに思われていたかもしれません。けれども、聖書は彼らのことを、救い主によって滅ぼされるべき人間としては描きません。むしろ、救いの訪れを一緒に喜び、一緒に祝う存在として描きます。生まれてきた赤ん坊は、敵を葬る軍事的な王ではなく、和解をもたらす平和の王として描かれます。
現在、中東では激しい戦闘が続いています。女も子どもも関係なく市民を巻き込む爆撃やテロの応酬が続いています。平和的な解決を望んでいた人たちも、相手が全滅しないと安心できないところまで追い詰められています。そんな状況だからこそ、暴力による軍事的な解決ではなく、和解を目指す平和的な解決がもたらされるよう、祈る時だと思います。
かつて、敵対していた人たちが、滅んで当然と思われていた人たちが、星に導かれて、マリアとヨセフの家を訪れ、一緒に、救い主の誕生をお祝いする日が来たように、私たちが、期待さえできない和解と平和を、この方はもたらしてくださいます。異なる信仰、異なる立場、異なる国の人たちにも、神様の慈しみは等しく届きます。
だから、私たちも敵意ではなく、贈り物を携えて、互いに訪れ、迎える者となれるよう祈りを合わせていきましょう。「招かれざる者」から「招きに応える者」として、「拒絶する者」から「迎え入れる者」として、私たちを新たに変えてくださる主イエス・キリストの訪れを、皆に伝えていきましょう。
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