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囚人が囚人のために【聖書研究】


《はじめに》

華陽教会の聖書研究祈祷会のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。

《聖 書》フィレモンへの手紙1〜7

日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

《メッセージ》

 フィレモンへの手紙は、聖書に出てくる他の手紙と違って、どこかの教会や教会指導者に宛ててではなく、フィレモンという個人に宛てて書かれています。フィレモンというのは、おそらくコロサイの町に住んでいたと思われる、キリスト教の一信者で、自分の家を礼拝や集会のために提供し、パウロの宣教活動に協力していた人物です。

 信者の中でも、特にパウロと親しくし、手紙に出てくる遠慮の無さから、2人は親友のような間柄であったことが見てとれます。そして、パウロがこの手紙をフィレモンへ送った際は、フィレモンだけでなく、彼の家族と「家にある教会」「家の教会」に集まるみんなの前で朗読することを期待して、挨拶にも彼ら一人一人の名前を出していました。

 初代教会は、今のように独立した「教会」という建物があったわけではなく、もともとフィレモンのような信徒の家、個人の家を、みんなのために解放し、礼拝や集会を行っていました。挨拶に出てくるアフィアやアルキポが、フィレモンの妻や息子であったなら、彼の「家にある教会」は、家族以外で礼拝に集まっていた信者らを指すと思われます。

 私的な手紙を、家族だけでなく、教会のみんなが集まるところで読み上げるよう求めるなんて、パウロはなかなか大胆です。教会指導者であったテモテやテトスに送られた手紙と同じように、フィレモンに送られた手紙も、会衆一同で聞くことを前提にした、公的な手紙でもありました。

 さて、そんな手紙の書き出しは「キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから」という挨拶で始まります。「囚人」という言葉にポジティブな印象を抱く人はいないと思いますが、このときパウロは、まさに囚人として捕えられ、どこかに投獄されているか、軟禁されている状況でした。

 実は、フィレモンへの手紙は、フィリピの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙、エフェソの信徒への手紙と並んで、「獄中書簡」と呼ばれている、投獄中に書かれた手紙の一つです。おそらく、パウロがエフェソで投獄されている、あるいは、ローマで軟禁されているときに書いた手紙と言われています。

 文字どおり、敵に捕まっているときに「囚人のパウロです」と挨拶するなんて、なかなかブラックなジョークです。しかし、パウロは単なる皮肉としてではなく、至って真面目に自分が囚人であることを誇りに思って、みんなへ挨拶を送ります。看守に見張られているただの囚人という意味ではなく「キリスト・イエスの囚人」として挨拶を送るんです。

 いやいや待ってください。イエス様が誰かを囚人にするみたいなこと、言わないでくださいよ……思わず、そう言いたくなりますが、パウロはけっこう、自分自身を表すとき、「キリスト・イエスの囚人」とか「キリストの奴隷」とか、そういう表現を口にします。本来、囚人や奴隷は、恥ずかしい身分に思えますが、パウロは積極的に表へ出します。

 たとえば、エフェソの信徒への手紙3章では「あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたし」と出てきますし、コリントの信徒への手紙一7章では「主によって召された自由な身分の者は、キリストの奴隷なのです」と語っています。また、エフェソの信徒への手紙6章では「キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい」と勧めています。

 エフェソの信徒への手紙は、コロサイの信徒への手紙を下敷きにして、パウロの弟子たちが、後世に残したものと言われていますが、いずれにしても、パウロがこれらの表現をよく使っていた現れでしょう。それは、自分を尊重しない人間に捕まって囚われてしまうのと違い、自分を尊ぶキリストに捕まって囚われることは、新しい自由と生き方が与えられる出来事だ、というメッセージなんだと思います。

 実際、フィレモンへの手紙は、逃亡した奴隷であるオネシモを、主人であるフィレモンに友人として迎え入れるよう、第三者のパウロがお願いするという、当時の価値観では考えられない手紙です。しかも、フィレモンの家族だけでなく、他の教会員もいるところで読まれる手紙に「あなたの元から逃げた奴隷を友人として迎えてほしい」と書くんです。

 たとえるなら、会社の社長をしている信徒に、他の会衆もいるところで、「あなたの会社から勝手にいなくなったあの人を、友人として迎えてほしい」と牧師が言うようなものでしょう。けっこう無茶な話ですよね? 社会的には、「いや、そう簡単には……」「また居なくなったら困りますし……」と眉を潜める話です。

 もし、オネシモが法的な意味で「逃亡奴隷」だったなら、どのような処罰を下すかは、主人以外が口を挟むことではありません。当時の奴隷は、主人が仕事を任せるために、かなりの教育を受けさせることもあり、オネシモも、裕福なフィレモンからそれなりに教育を受けていたでしょう。彼の逃亡は、多くの損失をもたらしたと思われます。

 ちなみに、ここでいう「奴隷」は、生涯その身分であることを強制されるものとは違い、多くが30歳前後で解放されるものでした。もちろん、「人身売買」の要素がある以上、誰かを奴隷にすることを無批判に擁護していいものではありませんが、私たちがイメージする、いわゆる「黒人奴隷」のような扱いとは違いました。

 聖書の中に、神と民との関係が、主人と奴隷の関係にたとえられる話がよく出てくるのは、ある種の「契約関係」を表すイメージがあったからです。つまり、奴隷が主人の家から逃げ出して、居なくなってしまうのは、罪を犯して負債を抱えた人間が、主人との契約を破って、離れてしまうイメージと重なりました。

 「奴隷だから」同情され、とりなされ、すぐ受け入れられた世界ではありません。むしろ、教会の人たちからも、逃げ出したことを責められる、主人との契約を守らなかったことを非難される対象が、オネシモという人間でした。本来、主人のもとへ帰らされても、一旦は罰を受け、投獄され、囚人になってもおかしくないのが、オネシモだったんです。

 ところが、パウロは自分自身も「囚人」という表現を使って、「囚人」にされてもおかしくないオネシモのためにとりなします。神の子イエス・キリストが、自分も「罪人」と呼ばれる者となって、人々に仕え、愛したように、パウロも教会の人たちへ、オネシモの兄弟として、友人として、同じ身分の者として迎えてほしいと願ったんです。

 フィレモンへの手紙は、奴隷制度を前提とした話が進んでいくことや、奴隷が主人に仕えることを疑問視しない表現から、現代の私たちには、つまずきの多い文書です。しかし、「囚人」や「奴隷」という言葉が使われるとき、自分の身分を、あり方を、恥ずかしく、情けなく思う私たちと同じように、囚人となって、奴隷となって、「友よ」「兄弟」と呼んでくださった方のことを思い出さずにはいられません。

 ぜひ、つまずいている私たちと共に地面を這い、私たちと共に起き上がり、新しく送り出してくださる方を覚えながら、この手紙を味わっていただけたらと思います。

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柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。