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信仰から脱落する者【聖書研究】


《はじめに》

華陽教会の聖書研究祈祷会のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。

《聖 書》テモテへの手紙一3:14〜4:5

日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

《メッセージ》

 「終わりの時には、惑わす霊と、悪霊どもの教えとに心を奪われ、信仰から脱落」する者がいる……テモテへの手紙一4章1節の言葉は、初代教会の人々へ「背教の予告」として語られますが、実際には、手紙の著者が直面している「今」起きていることでもあったでしょう。同時に、私たちが直面している「今」を予告したものでもあります。

 惑わす霊と、悪霊どもの教えと言えば、何だかおどろおどろしい表現ですが、ちょっと見渡せば、私たちを惑わすものなんて、いくらでも目に入ってきます。世の終わり、終末が、何年・何月・何日にやって来るかを耳打ちし、救われるためには入信し、財産をささげるよう促してくる教祖たち。

 これさえ飲めば、これさえ塗れば、これさえ撒けば病気は治り、自然は浄化すると謳うニセ科学。今起きている悪いことは、ゴムマスクを被って、人間を装う化け物たちの仕業であって、自分たちはそれと闘う戦士なんだと訴えているコミュニティー……先日の都知事選での演説を、覗いてびっくりした人も、それなりに居たと思います。

 今に始まったことではありませんが、「世も末だ」と感じる人たちがいても、不自然ではありません。まるで、聖書に出てくる偽メシア、偽預言者の台頭じゃないか? あちこちで災害が起き、疫病が流行り、戦争が勃発している世の中を見ると、ついに、予告されていた「終わりの時」が訪れたと考えるかもしれません。

 しかし、これらは「終わりの時」が予告された当時も、今も、昔から、人々が直面していることでした。テモテへの手紙をはじめ、聖書に残された様々な手紙を読んでいると、世の終わりがいつ訪れるか、救い主はいつ再臨するか、どんな人たちが救われるかなど、偽りを語る者たちは、教会ができた初期の頃から現れていました。

 信者から財産を貪ろうとする偽教師、自分の承認欲求を満たそうとする偽メシアも、あちこちに居たことが推認されます。実際、現代の私たちがちょっと振り返ってみても、60年代、70年代、80年代、90年代……どの時代にも、惑わす者たちの起こした事件がありました。

 そして、もともとキリスト教を信じていたけど、聖書から離れ、教会から離れ、似ているようで大きく異なる教えに惹かれて、取り込まれる人たちもたくさん居ました。手紙が書かれた当時は、結婚を禁じたり、ある種の食物を断つことを命じたりする者がいたと書かれています。

 確かに、人間の醜さと結びつきやすい、食欲や性欲を断つことは、ある種、崇高な行為に見えました。多くの人を、惹きつける教えでした。むしろ、これらの禁欲を守れない人こそ、「信仰から脱落する者」に見えたこともありました。しかし、結婚の禁止はリーダーの支配を強め、食物規定は集団における監視と、排外主義を強める側面もありました。

 ようするに、歪んだコントロールの維持に一役買ってしまう教えでもありました。これって、今でも、様々な破壊的カルトに見られる要素でもありますよね? 「終わりの時には、惑わす霊と、悪霊どもの教えとに心を奪われ、信仰から脱落する」者がいる……それは、まだ訪れていない「いつか」の話というだけでなく、既に直面している「今」の話でもありました。

 誤解しないでほしいのは、これをもって、「今が再臨の時だ」「この世が終わる時だ」と主張する根拠にしてはならないということです。さっきも言いましたが、聖書で「終わりの時に起こる」と予告されていることは、その文書が書かれた当時から、既に人々が直面していることでもありました。

 最近になって、急に起こったことではありません。災害も、疫病も、戦争も、惑わす者も、この世を生きる人々が、直面してきたことでした。そして、どの時代でも、「もう終わりだ」「この世界で生きる意味なんてない」と絶望し、押し潰されそうな人たちがいました。それは、キリスト教徒も同じで、迫害や分裂に誰もが傷つき、苦しんでいました。

 しかし、そんな「終わりの時」に直面している、無力を痛感している人たちに「終わりの時」が、単なる終わりではないことを、聖書はあちこちで語っています。まさしく今、信仰から脱落する者、離れていく者を見ている仲間に、テモテへの手紙は、救いを信じて立ち上がろうと、希望を語っていくんです。

 つまり、この言葉は、世の終わりがいつ来るのかを説明しているものではなく、世界が終わりに向かっているように見える今も、確かに、救いの完成に向かっているんだと、人々を励ましている言葉なんです。「終わりの時」の恐怖を煽って、結婚を禁じたり、ある種の食物を断たせたり、教祖に従うよう脅迫する教えから、解放する言葉なんです。

 皆さんは、「信仰から脱落する者」「信仰から離れる者」と聞いて、どんな人たちを思い浮かべるでしょうか? 厳しい教えを守れない、掟に忠実になれない、俗世間から抜け出せない人を思い浮かべるでしょうか? 分かりやすく、ある掟を守れているか、ある教えを実践できるかで、合格者か、脱落者かが分けられると思っているでしょうか?

 実は、そういう分かりやすさに惹かれてしまう心こそ、信仰から逸らす、神様の求める道から離れさせる、焼き印になっているんです。「焼き印を押されている」という表現は、古代における奴隷の焼き印が背景にあり、「あるものの奴隷になっている」ことを表しています。

 「これさえすれば救われる」「これさえ果たせば守られる」……そのように、自由を得られた気持ちになる一方、「これができなきゃ救われない」「達成できなきゃ滅ぼされる」という、悪魔の脅しのような鎖に、捕われている人もいます。しかし、「今」そういった惑わしや偽りに心を奪われ、本来の信仰から離れている人を、呼び戻しに来る方がいます。

 キリスト者を迫害し、処刑していたパウロに現れ、自分の弟子になるよう促した方……異邦人への伝道をためらい、異邦人の食べ物を拒絶していたペトロに現れ、彼らと共に食卓へ着くよう命じた方……実は、イエス様の弟子になった人たちも、惑わしや偽りに心を奪われていた中、神様に解放され、鎖を断ち切られた者たちの一人でもありました。

 彼らを新しい道に進ませた方、正しい道へ立ち返らせた方が、今も、捨てられたものを掬い上げ、聖なるものに変えていく、新しいことを行っています。共に、イエス・キリストを遣わされた、この世界の造り主、私たちの癒し主であり、真の王である方に、賛美と祈りをささげましょう。

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柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。