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夢に出たのは天使じゃない【聖書研究】

《はじめに》

華陽教会の聖書研究祈祷会のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。

《聖 書》使徒言行録16:6〜10

日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

《メッセージ》

イエス様から、「神の言葉」「聖書の言葉」を語らないよう命じられ、伝道を禁じられた場所……神様の教えと業を伝えることができない場所……そんなところがあるとしたら、皆さんはどう思うでしょうか? 世界中どこでも、神の国について、聖書の教えについてみんなが聞くようになることを、神様は望んでいたんじゃなかったのか? 
 
地の果てに至るまで、全ての国民に、福音が、良い知らせが伝えられるよう、弟子たちを派遣したんじゃなかったのか? そのような疑問が出てくると思います。しかし実際、使徒言行録16章6節には、パウロとテモテが、アジア州で御言葉を、イエス様の教えと業を伝えることが、禁じられたと書かれています。
 
また、7節では、2人がビディニア州に入ろうとしたとき、「イエスの霊がそれを許さなかった」と出てきます。イエス様は、ユダヤ人だけでなく、異邦人にも教えを語り、病気を癒し、救いを示してきたはずなのに、なぜ、ここではそれらが禁じられてしまうのか? 聖霊に妨げられてしまうのか、モヤモヤした違和感が残ります。
 
それは、読者の私たちだけでなく、当事者であるパウロとテモテもそうだったでしょう。アンティオキアをはじめとして、あちこちでイエス様の教えと業を語ってきたのに、なぜここでは、語ることが許されなくなったのか? この人たちにメッセージを語らなくてもかまわないのか? 2人もモヤモヤしたはずです。
 
せっかく、その地方に住むユダヤ人にも受け入れられるよう、パウロに同行するテモテへ割礼まで受けさせたのに、無駄になってしまいます。アジア州やビティニア州の会堂にいるユダヤ人たちとほとんど会えず、話もできなかったからです。誰と一緒に行くかで言い争い、異邦人に対する態度で仲違いし、バルナバから離れて出発したパウロは、すぐに自分の行く道が正しいか、自信がなくなってきたはずです。
 
もしかして、私はとんでもない過ちを犯したんじゃないか? バルナバがマルコを連れていくのに反対したのは、間違っていたんじゃないか? バルナバが異邦人と食事をするのを控えたことに反対しながら、自分もユダヤ人の手前、テモテに割礼を受けさせたことは、ふさわしくなかったんじゃないか?
 
自分が選び、自分が考え、自分が計画したやり方こそ、正しい道だと信じ込んでいたパウロは、ことごとく計画通りに行かず、連れてきたテモテも気まずくなります。パウロが行こうとした道は行けなくなり、全く計画していなかった道を歩かされ、どうやら、自分たちの予定は、神様の意志から大きく外れていたことが明らかになります。
 
もうそろそろ、パウロがイエス様の幻と出会って、見えなくされたときのように、再びキリストが姿を現すか、天の使いが現れて、自分たちの道を示そうとするはずです。あなたの行く道はそっちじゃなくて、こっちの道だと言われるはずです。おそらく、ミシア地方を通ってトロアスまでやって来たときには、パウロも覚悟していたでしょう。
 
さあ、神様のお告げを受けて、本当はどこへ、誰と行けばいいのかちゃんと聞こう……すると、まもなく、パウロは幻を見せられ、次に行くべき場所を知らされます。ところが、その場所を知らせてきたのは、イエス様の幻でも、夢に現れた天使でもなく、全く知らないマケドニア人の男でした。
 
「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」……これにはパウロもびっくりしたはずです。聖書には色んな夢が出てきますが、誰かから何かお告げを受けるという夢では、たいてい天使が現れます。イエス様の母親であるマリアのときも、父親であるヨセフのときも、最初にキリストを拝んだ博士たちも、天使からお告げを受けました。
 
ところが、パウロの夢に出てきたのは、天使でも、イエス様でもなく、何なら預言者でさえありません。助けを求める異邦人です。しかも、最初に伝道しようとしていたアジア州でも、ビティニア州でもなく、マケドニア州に住んでいる男です。知り合いも、友人もいない土地へ行って、話したことのない人を助けてほしいと言われます。
 
否定しようと思ったら、できたかもしれません。これは、神様から直接言われたことじゃない。イエス様の幻から言われたことでもない。天使が命じたことでもない。勝手に夢へ現れた、見知らぬ異邦人に言われたことだ。神の言葉として受け取る必要があるだろうか……でも、パウロは目が覚めるとすぐ、出発します。
 
「夢でマケドニア人が立って、私たちを呼んでいた」とテモテに告げて、そこへ行くことを決断します。テモテも戸惑ったかもしれません。えっ、天使が命じたり、イエス様が命じたんじゃなくて、マケドニア人が言ったんですか? 神様は、天の使いや預言者じゃなくて、ただ困っている異邦人に、どこへ行けばいいか告げさせたんですか?
 
そうなんです。神様は、困っている人を預言者のように、天使のように、イエス様のように遣わして、パウロたちへ自分の計画を知らせたんです。あなたが呼ばれているのは、この人たちのいるところだ。この人たちへ語ってほしい。この人たちが、あなたの行くべき道を示している。
 
パウロは、見知らぬマケドニア人の頼みを、イエス様の教えと業を聞いたこともない異邦人の懇願を、神の言葉として受け取りました。それが、紛れもなく、神によって、聖霊によって導かれた言葉だと受け取りました。何が正しいか見失い、行くべき道も分からなくて、彷徨っている自分にも、神様が使命をもたらされるように、この人も神様によって自分と出会わされたんだと。
 
私たちも、思ってもない人から、神様の計画に参加させられることがあります。自分を頼ってきたはずの人から、自分が救おうとしていたはずの人から、行くべき道を告げ知らされ、新たな気づきをもたらされ、キリストの証人として立たせられることがあります。私もそうです。
 
多くの方は自覚がないでしょうが、祈祷会での質問や、何気ない教会での会話、手紙や電話で受け取った皆さんからの言葉によって、私も神様の計画に参加させられ、道を正され、歩まされています。どうか、今日も、これからも、一緒に、行くべき道を歩ませてください。あなたの言葉が、私の言葉が、聖霊によって整えられますように。アーメン。

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柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。