見出し画像

永遠の火の罰【聖書研究】


《はじめに》

華陽教会の聖書研究祈祷会のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。

《聖 書》ユダの手紙1〜7

日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

《メッセージ》

 教会に通い始めたばかりの人が、「ユダ」という名前を聞くと、救い主イエス・キリストを裏切ったイスカリオテのユダのことが、パッと頭に思い浮かぶため、ちょっとドキッとするかもしれません。新約聖書に「ユダの手紙」という短い書簡が出てくるけれど、まさか、イエス様を裏切った、イスカリオテのユダの手紙が、聖書に収めてあるんだろうか?

 もちろん、しばらく教会に通っていれば、「ユダ」という名前は、たくさんの人に使われていて、聖書に出てくるユダの手紙も、イスカリオテのユダとは別の人物が記したことになっていると分かります。では、この手紙を書いたことになっている、ユダという人物はいったい誰のことなんでしょう?

 手紙の著者は、冒頭の挨拶で、自分のことを「イエス・キリストの僕で、ヤコブの兄弟であるユダ」と紹介しています。ヤコブとユダは、マルコによる福音書6章3節やマタイによる福音書13章55節に出てくる「イエスの兄弟」として、知られている名前です。他にも、ヨセフやシモンといった兄弟や、妹たちが出てきます。

 しかし、もともとイエス様の兄弟たちは、イエス様の宣教活動をあまり良く思っていませんでした。イエス様の教えは、故郷ではなかなか受け入れられず、イエス様自身も、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と呟いていました。実際、ヨハネによる福音書7章では、はっきりと「兄弟たちも、イエスを信じていなかった」と書かれています。

 それどころか、ユダヤ人に命を狙われているイエス様へ、「ここをたってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい」「公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない。こういうことをしているからには、自分を世に現しなさい」と自殺行為に等しいことを勧めてきます。

 当然、ユダヤで目立った奇跡を行えば、イエス様の命を狙うユダヤ人にすぐ見つかって殺されることになったでしょう。冗談だとしても笑えません。どうも、イエス様と兄弟たちの関係は、はじめから良かったわけではなさそうです。イエス様が十字架にかかって殺されるときも、実の兄弟は姿を現さず、母親しか来ていませんでした。

 どちらかというと、イエス様の兄弟たちは、信仰的な姿よりも、不信仰な姿を見せており、イエス様の味方というより、対立する者として描かれていました。ちなみに、マタイによる福音書25章では、「最も小さい者の一人」として現れるイエス様から、信じない者、忠実でない者に対し、「羊と山羊を分けるたとえ」で、こんな言葉が語られます。

 「呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ」と……。

 イエス様の兄弟たちも、これにピッタリ当てはまってしまいます。宣教のため、ガリラヤを巡るイエス様の旅をよく思わず、むしろ、行く手を阻もうとしました。イエス様がユダヤ人に捕まって、牢に入れられても訪ねることはありませんでした。イエス様が十字架につけられ、「渇く」とおっしゃったときも、水を飲ませようとする兄弟の姿はありませんでした。

 奇しくも、ユダの手紙には、「永遠の火の罰」を受けて、見せしめにされる人たちのことが記されていますが、その対象になり得たのは、他ならぬ、主の兄弟の一人であったユダ自身でもあったんです。ところが、十字架にかけられたイエス様が復活し、人々の前に姿を現してからも、彼らは永遠の火の罰を受けた様子がありません。

 むしろ、聖書の中では、「主を信じない者」であった兄弟が、「主を信じる者」とされ、十二使徒と共に、宣教の業に加えられた様子が描かれています。たとえば、主の兄弟ヤコブは、使徒言行録15章13節や、ガラテヤの信徒への手紙1章19節で初代教会の指導者として出てくるように、自分が反対していたイエス様の宣教活動へ加わります。

 また、ヤコブの弟である、ユダの名前が冠されたこの手紙でも、イエス様の兄弟が各地の教会の指導者として、注意と励ましを送っていた様子が描かれます。本来、イエス様を拒んだ兄弟、主を信じなかった者たちは、イエス様の復活後、今までの報いを受けて、神の民から追い出され、教会の輪から閉め出されるのが、自然な成り行きに思えます。

 しかし、イエス様が、信じない彼らに与えたのは、「永遠の火の罰」ではなく、信じない者から信じる者となるように、天から送られた「聖霊の炎」でした。ヤコブやユダをはじめとして、以前は信じていなかった者、従うことができなかった者たちは、その生き方を大きく変えられ、神の民の一員に、新しく加えられていきました。

 旧約においても、エジプトの奴隷だったイスラエル人が、神様の救いを信じきれずに、何度もエジプトへ帰ろうとしたり、神様に選ばれた指導者モーセに不満を言ったことが思い出されます。しかし、「信じない者たち」であった彼らは、数々の奇跡によって救われ続け、信じない者から信じる者へ、少しずつ変えられていきました。

 一方で、ユダの手紙が書かれた頃には、信仰者を真理から離れさせようとする偽教師、偽預言者が出没し、教会に混乱が起きていました。「イエス・キリストの他にも、救い主がいる」と主張したり、「神様は憐れみ深い方だから、どんな放縦な生き方をしてもかまわない」と主張したり、人々を惑わす者がいたようです。

 手紙の著者は、そのような惑わしに心を奪われないよう、主の兄弟に起きたこと、主の弟子たちに起きたこと、神の民に起きたことを思い起こすよう促します。永遠の火の罰を受けて、見せしめにされるはずだった自分たちが、どのように変えられ、どのように守られてきたか、思い出しなさい。

 神様は、必ずあなたと共にいて、あなたのことを日々新たにし、付き合い続けてくださいます。あなたのことをそのまま放置する方ではありません……変わることを諦めてしまった者へ、自分に期待できない者へ、神様は諦めずに付き合い続け、期待し続け、愛しておられることを訴えます。

 だから、私たちも改めて、この言葉を受けとめましょう。互いに励まし合い、支え合って、日常へと遣わされていきましょう。父なる神にあって愛され、イエス・キリストに守られている皆さんへ、憐れみと平和と愛が、豊かに与えられますように。アーメン。


ここから先は

0字

¥ 100

柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。