追い出され、出ていった【日曜礼拝】
《はじめに》
華陽教会の日曜礼拝のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。
《聖 書》 マルコによる福音書11:15〜19
日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。
《メッセージ》
今週の木曜日にやってくる10月31日は、507年目の「宗教改革記念日」です。宗教改革は、1517年に、ルターがヴィッテンベルク城教会の扉へ、95箇条の公開質問状を貼り付け、カトリック教会の贖宥状(いわゆる免罪符)の販売に、抗議したことから始まったと言われています。
贖宥状の「贖宥」とは「免償」とも言われ、罪の償いが免除されることを意味します。キリスト教では、「罪を赦してもらうために」償いを行うのではなく、「罪が赦されたことに感謝して」償いを行うことが求められます。ようするに、救われるために罪を償うのではなく、救いを信じて、感謝して、それに応答するために、罪を償うという姿勢です。
しかし、私たち人間は、自分の力で、自分の罪を償い切ることはできません。そこで、教会に罪を告白して、罪の赦しを宣言された人々は、祈り、断食、巡礼、善行などによって、一人で清算できない罪の償いを全面的に、もしくは部分的に免除されるというのが、「贖宥」の意味するところでした。
つまり、贖宥というのは、罪を償うべき罰が赦されるのであって、罪そのものが赦されるわけではありませんでした。また、罪の赦しを宣言された人々が、感謝の気持ちを積極的に表し、善行に励んで、慈善のためにお金を出すこともありましたが、感謝の表現として献金するのは、赦しの「結果」であって「条件」ではありませんでした。
また、カトリック教会では、罪の償いを果たさなかった、果たしきれなかった霊魂が、天国へ入る前に、煉獄という場所で、現世で犯した罪に応じた罰を受け、清められるという考え方を持っていました。煉獄という字で表されるように、定められた期間、炎で焼かれる苦しみを受け、浄化されるイメージがありました。
中世以降、このような「煉獄」と「贖宥」の考え方が結びつき、贖宥によって、煉獄での苦しみや、罪の清めを受けなければならない期間が軽減される、と理解されるようになりました。しかし、ルターが活動する頃には、「償いの免除」が、「罪の赦し」そのものと混同され、贖宥状を買うことが罪の赦しを買う手段だと誤解されるようになっていました。
ところが、当時の教会はサン・ピエトロ大聖堂の建築資金を名目に献金を集めるため、これらの誤解を放置し、むしろ積極的に利用していました。集まった献金を選挙のために用いたり、教会を私物化するために用いる者も出ていました。95箇条の質問状は、これらを批判し、教会を内部から改革するために、ルターが提出したものです。
500年以上経った現代の視点から見ると、ルターの訴えはもっともで、正しかったように思えます。しかし、当時の教会の人々は、複雑な気持ちだったでしょう。既に、多くの財産を投げ打って、贖宥状を買っていた人々は、自分の行動が愚かで、意味のないものと否定されたように感じたかもしれません。
贖宥状の販売に従事していた人の中にも、聖堂や修道院を建築するため、救いのためと思って働いているのに、それを否定されたと感じたかもしれません。贖宥状の販売を批判することは、聖堂の建築を妨げる行為にも見えるため、ある種、罰当たりな、暴力的な、不信仰な行為に思われたでしょう。
ちょうど、イエス様が、神殿の境内から商人たちを追い出した出来事と重なります。エルサレムの神殿では、神殿本体を取り囲むように、ユダヤ人でない異邦人も立ち入ることが許された「異邦人の前庭」という敷地がありました。そこでは、献げ物をするための、傷のない鳩が売られていたり、献金に使える通貨の両替などが行われたりしていました。
神様に祈り、犠牲をささげるためには、なくてはならない存在が、商人や両替人だったわけです。ところが、イエス様は両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返し、彼らを追い出してしまいます。さらに、商人だけでなく、商人から犠牲にする鳩を買っていた者たちまで、境内から追い出してしまいます。
挙げ句の果てに、境内を通って物を運ぶことも許さなかったと言われています。現代の私たちから見ても、けっこう乱暴ですよね? 暴力的に見えますよね? 人を殴ってこそないものの、犠牲をささげに来た人々が、犠牲にささげる物を買えなくし、献金のための両替さえできなくする……祭儀を、礼拝を、妨害したように見えてきます。
ルターが贖宥状を批判して、聖書にどう書いてあるかを訴えて、宗教改革を推し進めていったときも、かなりショックを受けた人たちがいたと思います。ルターこそ、過激で、罰当たりで、神に背いて、礼拝を邪魔する者だと感じた人が、大勢いたと思います。一方で、彼の訴えに心を打たれ、一緒に教会を改革しようとする者もいました。
イエス様が神殿から商人を追い出したとき、驚きながら、ショックを受けながら、その教えに打たれ、神の言葉を振り返り、イエス様について行こうと思った者がいたように……やがて、ルターはカトリック教会から追い出され、出て行って、プロテスタント教会に分かれていきますが、実は、彼の前にも、追い出された者たちがいました。
それは、教会の形式的な権威を批判し、ラテン語の聖書をはじめて母国語に翻訳したウィクリフや、聖餐式で一般信徒にもパンだけでなく杯を受けられるように訴えた、ヤン・フスなどの改革者でした。彼らは、教会から異端として追い出され、断罪されてしまいますが、ルターの宗教改革以降、その先駆けとして、改革者の一人に数えられるようになりました。
イエス様が神殿から商人を追い出す話では、イエス様が人々を追い出す側に見えましたが、福音書全体を通して見れば、どちらかと言うと、イエス様の方が、会堂から、町から追い出される人間でした。イエス様の教えは、人々を驚かせ、心を打つものでもありましたが、同時に人々をつまずかせ、怒らせるものでもありました。
時には石を投げられ、時には崖から突き落とされそうになりながら、イエス様はあちこちの会堂で教えを述べては、追い出され、出て行くことを繰り返していました。しかし、イエス様が追い出されていった先、出て行った先に、新たな教会が、人々の居場所ができていきました。
先に追い出されていた病人や障がい者、罪人と呼ばれる人たちが、神様を信じて集まる共同体が、新たに造られた見えない神殿ができていました。宗教改革から507年目を迎えた今日、私たちも、教会に対するショッキングな訴えを、嘆きを、批判を、受けとめながら、新しくされていきたいと思います。
あなたの出で立つのも帰るのも、主が見守ってくださるように……アーメン。
ここから先は
¥ 100
柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。