新しい帰り道【日曜礼拝】
《はじめに》
華陽教会の日曜礼拝のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。
《聖 書》 イザヤ書11:1〜10、マタイによる福音書2:1〜12
日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。
《メッセージ》
12月31日なのに、まだ教会の玄関に、クリスマスツリーが飾ってあるのを不思議に思う方がいるかもしれません。もう25日は終わって、明日からの正月を準備しているところがほとんどなのに、あの教会は、あの幼稚園は、まだクリスマスの片付けをしていない……そう誤解されることは、今に始まったことじゃありません。
実は、キリスト教会では、1月6日の夕方までクリスマスを記念し続けます。なぜならイエス様が生まれたあと、遠い東の国からやってきた異邦人、占星術の学者たちが、救い主の赤ちゃんと出会ったことを記念する日が、1月6日の「公現日」だからです。公現日という名は、救い主が世界で初めて「公に人々の前へ現されたこと」から来ています。
そのため、多くのキリスト教会では、クリスマスを迎えたあとの日曜日か、1月6日に近い聖日に、占星術の学者たちが訪れる聖書の箇所を読むようにしています。奇しくも、今回は、今年最後の日が日曜日となり、明日には新年を迎える大晦日に、この話が読まれることになりました。
聞いてのとおり、このエピソードは、星を研究する学者たちが、外国にあるイスラエルまで、はるばる旅して、救い主の赤ちゃんを拝んだあと、自分の国へ帰っていく、というストーリーです。救い主と出会って、その後の生活が一変するのではなく、再び、日常へ戻っていくという話です。
でも、果たしてそれでいいんでしょうか? あまり疑問を持たずに、私たちは外国から来た博士たちが、ユダヤ人の王を拝んだ話を聞いていますが、実際は、かなり衝撃的な出来事です。なぜなら、彼らの出身地である「東の方」というのは、イエス様の母国イスラエルを滅ぼしたアッシリアやバビロニア、ペルシャといった国々が存在した地域です。
もちろん、その地域に住む人たちが信じているのは、イスラエルの人たちが信じている神ではなく、異教の神、異なる宗教です。さらに、「占星術」というのは、イスラエル人が神から与えられた律法によって、禁じられていた行為の一つで、異なる神々を信仰している人たちを象徴するものでした。
加えて、その「学者たち」と言えば、王の政治的判断を占う高官であり、イスラエルでいう祭司や預言者のようなものでした。ようするに、異教の国の、異教の祭司が、救い主の誕生を知らされて、世界で初めて公に礼拝した者となった……というびっくりするような展開です。
普通、このあと期待されるのは、救い主と出会った彼らが回心し、異教の国の祭司も辞めて、イエス様の側で仕えるようになることです。忌むべき行為とされた占星術から足を洗い、自分の国の王ではなく、神の子である新たな王に仕えることです。ところが、救い主を拝んだ後も、神の子を礼拝した後も、彼らは今までの日常へ戻っていくだけでした。
そもそも、彼らをイエス様のもとまで導いたのは、彼らが生業にしていた「星を見る」という行為でした。神様に禁じられていた占いの延長で、神の子の誕生を知りました。そして、イスラエルを滅ぼし、支配してきた地域の者が、世界で初めて、救い主を礼拝した……信仰深い敬虔な人ほど、頭を抱えそうになる話です。
ようするに、異教徒がイエス様を礼拝して、そのまま帰っていったわけです。占星術の学者たちは、神の子と出会って喜びに溢れますが、その場で回心したり、占いを辞めたり、信仰を告白するような記述はありません。黄金、乳香、没薬という宝物はささげますが、自分たちの拝んだ幼な子が、神の子であるとはっきり信じたわけではなかったでしょう。
いやいや、年の終わりに、明日には新年を迎えるときに、そんな中途半端なエピソードを聞かせないでほしい。今までの人生から大きく変わって、彼らが新しく出発したという展開を聞かせてほしい……正直、そう思いたくなるところです。けれども、振り返って見れば、これが私たちの現実ですよね?
クリスマスに初めて礼拝へ来たからと言って、いきなり「神様を信じよう」「洗礼を受けよう」となる人ばかりではありません。何が悪いか、はっきり気づけるわけでも、悪いと思っていることを、パッとやめられるわけでもありません。私たちは皆、教会へ来たあといつものように自分の家へ帰って行きます。元の日常へ戻って行きます。
「ああ、せっかく礼拝へ出てきたのに、帰ったらまた、変わりたくても変われない自分がいるんだろうな」「もんもんとする日常が続くんだろうな」……心の片隅でそう思いながら、家路についた人もいるかもしれません。だからこそ、今日は占星術の学者たちを思い出してほしいんです。
星占いを辞めたわけでも、信仰を告白したわけでも、新しい王へ仕えるようになったわけでもない彼らが、本当に何一つ変わらない日常へ戻ったのか思い出してほしいんです。確かに、彼らの帰るところは変わりませんでした。異教の神々が拝まれている、禁じられた行為をしている自分の国へ帰って行きました。しかし、別の道を通って……。
ページェントでもお馴染みの有名な話ですが、占星術の学者たちが、ユダヤ人の王としてお生まれになった方を探すため、最初に訪れたのはエルサレムでした。彼らはそこで、ヘロデ王に呼び出され、「ユダヤのベツレヘムで生まれることになっている」と教えられ、「見つかったら知らせてくれ、わたしも行って拝もう」と送り出されます。
しかし、これはヘロデの策略でした。彼は、自分の王位を揺るがす者は、身内であろうと容赦なく処刑したことで有名です。救い主が生まれたことに気づいたときも、王位を奪われる前に殺してしまおうと、学者たちに居場所を報告させるつもりでいました。何も知らない学者たちは、王に送り出されるまま出発します。
けれども、救い主と出会ったあと、学者たちは夢の中で「ヘロデのところへ帰るな」とお告げを受けます。今回は「星を見る」ことによってではなく、直接夢の中で、帰り道を変えなければならないと知らされます。星が動いていないのに、自分たちの占いで得る啓示とは違うのに、彼らはそれを信じます。
また、よく考えたら、外国から来た高官が、他所の国で、王との約束を破って帰ったら、深刻な外交問題です。イスラエルは小さな国だから、東の大国から見れば、たいしたことにはならないと思ったんじゃないか……そう感じるかもしれません。しかし、ヘロデはローマ帝国の傀儡でしたから、国同士の力関係は複雑です。
どんな争いに発展するか分かりません。下手すれば、自分の国とイスラエルではなく、ローマ帝国とやり合うことになるかもしれません。にもかかわらず、学者たちはお告げを受けたあと、迷わず、別の道を通って帰ります。ヘロデに会わないで、マリアとヨセフが赤ちゃんを連れて、外国へ逃げる時間を稼ぎます。
確かに、占星術の学者たちは、もとの国、異教の神を信仰する地へ帰っていきました。もとの生活へ帰っていきました。しかし、その帰り道は新しく、帰った先でも、新しい生き方が待っていました。彼らは自分たちが見たこと、聞いたことを母国でも伝えて回ったでしょう。星によってではなく、夢で語られた言葉も話したでしょう。
それは、回心とか、改宗とか、律法に従う生き方とは違ったかもしれません。しかし、紛れもなく新しい生き方が始まっていたんです。救い主の家族が守られるように、見えないところで彼らに仕え、時間を稼いで無事を祈りました。星を頼りにできないときも、目を瞑って、神様へ尋ね求める生き方が、与えられていきました。
私たちも、ここから帰る場所は、いつもと変わらない家や施設かもしれません。もんもんとする日常や、困難な現実があるところかもしれません。しかし、ここから帰る道は、既に新しくされています。救い主と出会ったあなたの道は、確かに変えられているんです。新しい生き方は、もう始まっているんです。
共に、新しい歌を主に向かって歌いましょう。主に向かって歌い、御名をたたえ、日から日へ、御救いの良い知らせを告げていきましょう。アーメン。
ここから先は
¥ 100
柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。