奮い立てない【日曜礼拝】
《はじめに》
華陽教会の日曜礼拝のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。
《聖 書》 イザヤ書52:1〜10
日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。
《メッセージ》
キリストの誕生を記念するクリスマスの準備をしつつ、イエス様が再び来られるときを待ち望む、アドヴェントに入りました。教会には、クリスマスツリーとリースが飾られ、24日の祝会や演奏礼拝の準備が始まり、幼稚園も、ページェントやキャンドルサービスの練習をする、子どもたちの声が聞こえてきます。
忙しい時期になってきました。宗教改革記念日、召天者記念礼拝、信徒立証礼拝、収穫感謝礼拝に続いて、もうクリスマス前の4週間です。地区の教会へ送るメッセージカードや、祝会で歌う賛美歌、子どもたちのクリスマス会の準備もあります。キリスト教会や幼稚園にとって、一年で最も、賑やかな時期かもしれません。
まあ、賑やかと言えば聞こえはいいですが、裏を返せば、けっこう大変な時期でもあります。礼拝堂に飾ってある、大きなリースやアドヴェントクランツは、見えないところで誰かがこしらえ、平日に用意したものです。先週の日曜日、大掃除が終わった後にも、一部のワックスは、幼稚園の先生たちが塗っています。
奏楽者は、日曜日の礼拝に加え、演奏礼拝の伴奏や、自分が教える生徒のために、コンサートの準備をしています。年末に向けて会社も忙しくなり、寒さが増したことで介護や子育てもいっそう気が抜けなくなります。出費や支出も多い時期です。礼拝へ出て来ようにも、体がついてこられない、身内の世話や仕事が入って、出られない人もいます。
どうしよう……救い主の誕生を記念する、クリスマスを迎えるために、喜びを分かち合う準備をしなきゃならないのに、疲れと、多忙と、しんどさで、何かに取り組むこと自体難しくなっている。コロナや風邪の影響で、手術や薬の影響で、アドヴェントの賛美歌も痛みでまともに歌えない……24日に、ちゃんと出てこられるかも分からない。
そんな中、本日語られた御言葉は、ちょっと体育会系に聞こえます。「奮い立て、奮い立て、力をまとえ」「輝く衣をまとえ」「首の縄目を解け」……いやいや、そう言われても、すぐ奮い立てる人ばかりじゃないんです。首の縄目が解けない人もいるんです。励ましているのは分かりますが、どっちかというとプレッシャーです。
思わず、心の中で呟いてしまう。そんな自分に、神様がどう思うのか、恐ろしくなる。でも、安心してください。かつて、この言葉を聞いた、イスラエルの民もまた、預言者の言葉を受けて、すぐ奮い立てる人たちではありませんでした。むしろ、長い間座り込んで顔を上げられなかった人たちでした。
紀元前587年頃、イスラエルはバビロニアの侵略を受け、二度目の捕囚を経験しました。首都エルサレムは、神殿ごと破壊され、民の多くが捕虜として、外国へ連れて行かれます。持っていた家を失い、親族と離れ離れになり、慣れない仕事をあてがわれ、ゆかりのない地で生きていく……当然ながら、みんな疲弊し、力を失っていました。
もちろん、神殿で犠牲をささげることも、祭壇で礼拝をすることもできません。それらは故郷で破壊され、自分たちは毎日を生きていくのに必死です。以前のように、過越祭や仮庵祭も、正式な形で執り行うことはできなくなりました。捕囚期のイスラエル人も、まともに行事を準備して、ちゃんと進めていくなんて、そうそうできなかったんです。
そんな中、彼らは聞きました。「奮い立て、奮い立て、力をまとえ、シオンよ」「立ち上がって塵を払え、捕らわれのエルサレム」「首の縄目を解け、捕らわれの娘シオン」「ただ同然で売られたあなたたちは、銀によらずに買い戻される」……それは、自分たちが解放される日を信じて、準備しなさいという勧めでした。
しかし、すぐ準備できた人はいませんでした。すぐ奮い立てた人はいませんでした。預言者から立ち上がるよう言われ、首の縄目を解くよう言われたイスラエルは、実際に、エルサレムへの帰還を求めて、その許しを得るまでに、約50年かかりました。さらに、故郷の神殿が新たに建つまで、それから約20年かかりました。
かつて、エルサレムでの生活を立て直した人々も、神様の言葉を聞いた瞬間、励ましの言葉を受けた瞬間、すぐさま力が溢れてきたわけではありません。ヒーローが覚醒するように、すぐさま切り替えられたわけではありません。むしろ、外国を連れ回され、埃だらけの足になっては、座り込む日々でした。
しかし、神様はその足を「良い知らせを伝える者」「平和を告げる者」の足と呼び、「いかに美しいことか」と語ります。山々を行き巡り、犠牲をささげる代わりに、聖句や賛美を口ずさんでいた人々に「救いを告げる者」と呼びかけます。すぐさまエルサレムへ、神殿へ、再建へ、向かえない人たちの足を、もう既に、歩き始めた人の足として尊びます。
なかなか立ち上がれなかった、なかなか奮い立てなかった、なかなか希望を持てなかった民は、信じられるまで語られ続け、ついに立ち上がります。力をまとえなかった民は、力が湧いてくるまで共におられる、神様の信頼を手にします。「見よ、ここにいる」「主が共におられる」と、座り込んでいた自分を見ても、言えるようになります。
私たちも同じです。アドヴェント1週目の礼拝で、「救い主が再びやってくる」「救いは必ず訪れる」と聞いても、いきなり希望に満ち溢れて、クリスマスの準備ができるわけではありません。自分を取り巻く、様々な問題に悩みながら、疲れや悩みに襲われながら、ワクワクや自信も持てないまま、立ち上がれない日々を送ります。
しかし、その日は必ずやって来ます。2週目、3週目と、実感の湧かない私たちが、良い知らせを受け入れるよう、神様は支え続けます。奮い立てない者が奮い立つまで、力をまとえない者が力を得るまで、神様は「必ずあなたと共にいる」と語り続けます。アドヴェントは、神様が、あなたと共にいることを、あなたから離れないことを知る期間です。
今はまだ、歌い、踊り、笑うことのできない人たちも、跳ねたり叫んだりすることができない人たちも、歓声をあげて、共に喜び祝う日が来ることを、もう一度、心に刻みましょう。何度でも、あなたへ会いにくる、あなたに恵みをもたらされる、救い主イエス・キリストを迎える準備をしていきましょう。
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柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。