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カルトと教会【教会研修会】

*華陽教会の教会研修会で発表した『カルトと教会』のスライドと原稿をUPしています。この研修では、カルト問題SNS対策室で制作した『カルト問題入門』をもとにして、教会向けに作り直したスライドを使用しています。


それでは、「カルトと教会」と題して、2023年度の教会研修会を始めたいと思います。この教会の皆さんは、私が度々カルトについて触れるので、何となく、そういう問題に関わっていることをご存知かと思いますが、私は現在、教団のカルト問題連絡会の世話人と、中部教区の対策委員会で書記をしています。この問題に関わり始めたきっかけは、私の学生時代です。


どこにでもあるカルト勧誘

実は、私が大学の神学部に入学した際、一年で8回も、破壊的カルトのダミーサークルから勧誘を受けたことがありました。二年生でもう一回あったので、トータル9回です。同じ神学部の同級生にも勧誘を受けていた人や、後輩の中に巻き込まれた人もいました。

当時は、カルトからの救出支援を行っていた牧師や、宗教センターの先生とやりとりしながら、後輩の相談を受けたり、注意喚起のセミナーを開いたりして、被害拡大防止に取り組んでいました。

神学部を卒業したあとも、ネットやSNSで、カルトの偽装アカウントによる勧誘行為を目にしたり、教会に届く手紙や電話で、カルト団体のフロント組織から接触を受けることもありました。

そんな、どこにでもあるカルト勧誘が、皆さんの身近にも存在しますが、本格的に巻き込まれるまで気づかないことも多いです。


カルトとは?

まず、「カルトとはいったい何なのか?」という基本的な話から始めると、広い意味では、「熱狂的崇拝」やそれを行う小団体のことです。よく、一部の層から熱狂的に愛されている映画を「カルト映画」と言ったり、「カルト的人気を誇る」と表現したりしますが、まさにその意味です。

そして、狭い意味でのカルトとは、メンバーをコントロールして人権侵害や社会問題を引き起こす集団のことで、単なる熱狂的集団とは区別して、「破壊的カルト」と呼ばれています。現在、「カルト」という言葉が使われる際は、一般的に「破壊的カルト」の意味で使われています。


破壊的カルトとは?

この「破壊的カルト」をもう少しちゃんとした言葉で説明すると、「金銭的、身体的、精神的被害をもたらす反社会的集団」です。単に、怪しく見える、おかしい集団を指すのではなく、具体的な被害をもたらす集団だ、ということです。

もう少し補った言い方をすると、「個人の人権を侵害し、公共の福祉を破壊する、社会問題を引き起こす集団」です。人によっては、自分の支持する主義主張と異なるグループは、みんなカルトかのように訴えたり、礼拝の仕方や賛美の雰囲気が慣れ親しんだものと違ったら、すぐにカルトだと言い始めることもありますが、それは誤りです。

誰かの人権が侵害された、公共の福祉が破壊された、という事実がないのに、カルトとして扱うことはできません。加えて、破壊的カルトを表す際に重要になってくるのは、「メンバーをコントロールして、被害者を加害者に変えてしまう」という構造です。


カルトの種類

さて、これらの説明を聞いて分かるとおり、破壊的カルトというのは、宗教団体に限りません。過激派、テロ組織などの「思想政治カルト」、マルチ商法や信者ビジネスなどを行う「商業カルト」、自己啓発セミナーや悪質カウンセラーをはじめとする「心理療法カルト」、そして、霊感商法、霊視商法、高額献金などの被害をもたらす「宗教カルト」があります。

大きく分けて、この4つがありますが、必ずしもきれいに分かれているわけではなく、思想政治カルトと宗教カルトが合体していたり、商業カルトと心理療法カルトが合体していたり、複数の要素が重なっているカルトもあります。


ミニカルトとは?

最近は、「ミニカルト」という言葉を聞く機会も増えてきたかと思います。ミニカルトとは、「一対一カルト」をはじめとして、世間で広く認識されていない破壊的集団や教祖、リーダーを指します。

「ミニ」と言われたら規模が小さいかのように思うかもしれませんが、ミニカルトにも様々あり、全国的に広がっているグループもあります。実際の規模ではなく、世間での認識が広いか狭いか、大きいか小さいかで「ミニカルト」と呼んでいます。

「一対一カルト」というのは、占い師やカウンセラー、DV やデートDV など、一対一の関係でコントロールされ、金銭的・身体的・精神的被害が発生するものです。

カルト問題の話でDVが出てきて、驚く方もいるかもしれませんが、破壊的カルトのメンバーに対するコントロールと、DV 加害者の被害者に対するコントロールは、構造が非常によく似ていて重なる要素を持っています。後で、カルトのコントロールについて説明する際、もう一度取り上げますが、この点はぜひ、覚えておいてください。

このように、サークル、家族関係、友人関係など、比較的小さな、誰もに身近なコミュニティで、ミニカルトが形成されることもあり、暴行や殺人事件に発展することもあります。


カルトが生まれる集団

この他にも、カルトはあらゆる集団から生まれ得ます。よく、相談が寄せられるものの中には、スピリチュアル系の団体、陰謀論系の団体、過激な自然派、悪質な代替医療、過激な社会運動や自己啓発系の団体も含まれます。基本的に、人が集まるコミュニティであれば、どんなものでも「カルトである可能性」「カルト化する可能性」があります。


カルトかどうかの判断基準

じゃあ、あらゆる集団にカルトの可能性があるなら、カルトかどうかの判断基準は何なんだ? という点が気になってくると思います。よく勘違いされますが、ある団体がカルトかどうかを判断する際に基準となるのは、「何を信じているか」「教えがおかしいかどうか」ではありません。

カルトの判断材料になるのは、その集団が「何を行っているか」「不適切な手段を用いるかどうか」です。

たとえば、「イエスはブッダの生まれ変わりで、現在は幽霊として存在している」と教える団体があったとしたら、一瞬「カルトかな」と思うかもしれませんが、そう信じているだけで「破壊的カルト」とは言いません。それを信じている人たちにも、周りにも、被害が引き起こされていないなら、単なる異端や新宗教です。

ただし、「イエスがブッダの生まれ変わりと信じない者はみんなカルトだ」と他の宗教を攻撃し、相手を拘束してでも自分たちの教えを受け入れさせようとするなら、破壊的カルトの仲間入りです。カルトかどうかの判断基準は、「メンバーが心の中で信じていること」を問題にするのではなく、「メンバーに被害をもたらす破壊的な行動をさせているか」を問題にします。


異端とカルトの違い

そして、カルトかどうかを考える際、伝統宗教か異端かどうかは関係ありません。よく、異端とカルトを混同している人もいますが、異端とは「その宗教一般の共通理解から外れる集団」で、異端であってもカルトでない集団もあります。

どんなに不思議な教えを信じていても、人権侵害や不法行為がなければ、破壊的カルトとは言わないからです。カルトとは「人権侵害や社会問題を引き起こす集団」で、伝統宗教の中にも、金銭的、身体的、精神的被害をもたらすカルト団体は存在します。いわゆる正統的な教義を教えている教会にも、金銭トラブルや性暴力を引き起こしている、カルト化した教会があります。

異端の場合は、「何を信じているか」「何を教えているか」が問われますが、カルトの場合は、「何を行っているか」「不適切な手段を用いるか」が問われます。これが、異端とカルトの違いです。

当然、「異端だしカルトでもある」という団体は多いですが、「異端だけどカルトじゃない」「カルトだけど異端じゃない」という団体もたくさんあることを認識しないと、単なる「魔女狩り」になったり、被害を防げなくなったりします。特に、私たち教会の人間は、この点に注意しなければなりません。


カルトと信教の自由

ここでよく、カルト問題について議論する際、「信教の自由があるから」「内心の自由があるから」という理由で、問題に踏み込むことができないかのように発言されることがあります。しかし、先ほども言ったように、カルト問題で問われるのは、「何を信じているか」ではなく「何を行っているか」です。内心の自由を侵す話ではありません。

また、信教の自由とは「宗教を信仰し、宗教上の行為を行う自由」であって、「人権侵害や不法行為を働く自由」ではありません。信教の自由は、宗教を理由にすれば、何でも許されるという権利ではなく、何を信じるか、何を信じないかが尊重される権利です。

自分たちの信仰を広めるために、他の人たちの信仰を蔑ろにしたり、他の人たちの「信じない自由」を侵害することこそ、信教の自由に反しています。「何を信じているか」を理由に、宗教団体を取り締まることは間違っていますが、「何を犯しているか」を理由に、宗教団体を取り締まることは、健全な社会を築く上で正しいことです。

商業団体に「営業の自由」があっても、不法行為を継続的に起こしていたら、営業停止や事業の解散が命じられるように、宗教団体に「信教の自由」があっても、不法行為を継続的に起こしていたら、行政による質問権の行使や法人格の抹消が命じられるのは、自然なことです。

カルト問題を信教の自由の問題にすり替える動きは、カルト団体が組織の処罰を免れるための常套手段なので、安易に加担しないようお願いします。


カルト(的)思想とは?

なお、ここまで、カルトかどうかの判断基準は「何を信じているか」や「教えがおかしいか」ではなく、「何を行っているか」「不適切な手段が用いられるか」が問われる事柄だと説明してきました。しかし、いわゆる「カルト思想」「カルト的思想」と呼ばれるものも、カルトの破壊的要素として取り上げられることがあります。

いやいや、「思想」や「教え」を問題にしたら、結局のところ、内心の自由や信教の自由にぶつかってしまうじゃないか? と思われるかもしれません。もちろん基本的には、何を教えとして信じるかは、個々人の自由です。では、「カルト思想」「カルト的思想」と言われるものは何なのかと言うと、不法行為や暴力に直結する教えや思想を指しています。

たとえば、人種差別や民族差別、虐待や医療拒否、暴力的な支配関係を支持する思想です。これらは、特定の人々の人権侵害や虐待の容認、不法行為の指示にも従うなど、様々な被害に直結するため、カルト的思想と言われます。また、誤った治療法、誤った病気や障害の理解、誤った教育方法など、健康被害や、命の危険や、ハラスメントに直結する教えも、カルト的思想と言うことがあります。

このように、カルトの思想が問われるのは、それが反社会的な言動に直結する、健康被害や人命に直結する場合です。単に、誰かから見て「おかしい」「変だ」「受け入れられない」というだけで、カルト的思想と断定することは、避けなければなりません。

よく、キリスト教会の中でも、同性愛者やトランスジェンダーの話を「カルト思想だ」と言われることがありますが、それは間違いです。宗教団体の中に過激な人たちがいるように、LGBTQ の中にも過激な人たちは存在しますが、「自分たちを差別しないで、人格を尊重してほしい」という主張そのものをカルト思想ということはできません。

信教の自由が、その他の人権を蔑ろにしていい自由ではないように、性自認や性的指向の尊重も、その他の人権を蔑ろにしていい権利でないことは、はっきりしています。この辺りの整理ができずに、自分が受け入れられない、理解できない立場や主張を安易に「カルト」と呼ぶことは避けるようにしてください。


カルトの破壊的要素

それでは、カルトかどうかの判断材料である「何を行っているか」という視点で、カルトの破壊的要素について取り上げたいと思います。ここでは分かりやすく、金銭的被害、身体的被害、精神的被害、関係の破壊、公共の福祉や利益の侵害という5つに分けて説明します。

まず、金銭的被害には、霊感商法、霊視商法、高額献金、詐欺行為などが挙げられます。次に、身体的被害には、性暴力、虐待、奉仕の強要、長時間の拘束などが挙げられます。信者に対する医療拒否の指示や、児童虐待を支持する指導も、ここに含まれます。

精神的被害には、メンバーに対するパワハラ、セクハラ、脅し、批判者に対する誹謗中傷などが挙げられます。

関係の破壊は、カルトにおける最も深刻な問題で、家族・友人関係の破壊や制限が挙げられます。金銭的被害が大きくないところでも、家族との連絡を禁じたり、メンバー以外との関係を切らせることで、深刻な被害が生み出されています。

また、いわゆる宗教二世の場合、脱会すると、組織に残った家族や友人とも、一切接触させてもらえない、もしくはコミュニケーションを禁じられる、という被害があります。

最後に、公共の福祉や利益の侵害として、活動による騒音や、施設の無断使用、無許可の貼り紙などが挙げられます。他の集団を装った、正体や目的を隠した勧誘も、ここに含まれます。

カルト問題として取り上げることができるのは、今挙げたような「具体的な被害や具体的な不法行為が、その集団の指導・コントロールによって行われている」と指摘できるところです。


霊感商法・開運商法

ちなみに、金銭的被害の中に出てきた「霊感商法」は、別名「開運商法」とも呼ばれ、人の不安や信仰心に付け込み、「このままでは不幸になる」「地獄に行く」などと言って恐怖心を煽り、高額な商品を売りつける、悪質商法のことです。

なぜ、開運商法とも呼ばれるかと言うと、「運気を上げるため」「幸運を引き寄せるため」などと謳って、高額な商品を売りつける形もあるからです。「運気を上げる」と言われるだけだったら、直接、死後や将来の不安を煽っているようには聞こえませんが、実際には言葉巧みに「このままだと運気が下がる」「何もしなければ不幸なままだ」という不安を植え付け、購入しないと幸せになれないかのように誘導していきます。

このように、最近のカルトは、あからさまに「恐怖によるコントロール」が指摘できる言動は避け、ターゲットが自分で、無意識に、恐怖心や不安感を抱いていくよう誘導する傾向が見られます。そのため、被害を受けた当事者に「脅された」「恐怖心を刷り込まれた」という認識がない場合もあります。

特に、パワーストーンの販売やカウンセリングなどを行うスピリチュアルビジネスの多くは、「どうしたら幸せになれる」とか、「こうすれば輝ける」とか、怖いことを言ってないように見えますが、「幸せになれると信じなかったら不幸になる」「疑ったら、迷ったら幸運が逃げていく」という焦りを起こさせ、不安や疑いというネガティブな感情を持てないように、ポジティブな感情で居続けるように、誘導していきます。

私はこれを「ライトな恐怖コントロール」と呼んでいますが、「明るく」「軽い」ように見えて、実際には根が深く、厄介なコントロールになっています。


霊視商法・高額献金

似たような言葉で、霊視商法という用語も出てきました。こちらは、「あなたに取り憑いている悪霊を祓わないと死んでしまう」「祈祷しないと家族に災いが降りかかる」などと、不安や悩みに付け込んで、祈祷料・除霊料・供養料などの名目で、高額の寄付や献金を行わせる悪質商法のことです。

霊感商法と違って、商品の販売はしませんが、「献金すれば天国へ行ける(献金しなければ地獄に落ちる)」「献金すればするほど幸せになる(献金しなければ不幸になる)」などといって、高額な献金を行わせる場合もあります。

霊感商法と同じく、あからさまに「恐怖によるコントロール」が指摘できる言動は避け、被害を受けた当事者が「恐怖心から強制された」という自覚を持たないように、「不幸を回避するため、幸せになるため、自ら喜んで献金した」という認識になるよう誘導します。私は、カルト団体における高額献金は、基本的に霊視商法だと思っています。


霊感商法になり得る献金要請とは?

ちなみに、会計役員や牧師の中で、献金のお願いをするときに、お願いの仕方によっては霊感商法や霊視商法になってしまうんじゃないか? と不安になる方もいると思います。

繰り返しますが、霊感商法や霊視商法になり得る献金の要請は、献金をしないことで死後の裁きや不幸に遭うと脅したり、献金をすることで病気の治癒や成功がもたらされると謳ったりすることです。

また、献金の有無や金額で人格否定をしたり、本人が望まない金額の献金を強制することも問題です。もちろん、一般的な募金やカンパの呼びかけと同じく、「どうか献金をお願いします」と呼びかけただけで、違法にはなりません。


いわゆる「宗教二世」問題

なお、先ほど「宗教二世」という言葉も出てきましたが、これは、宗教団体に属する親が、法令に違反する行為や人権侵害を容認する教えや指導に従うことで、尊厳を傷つけられてきた子どもたちのことです。

その中には、同じ組織の者以外と遊んだり、交流を持ったりすることが制限され、社会の常識や共通認識を身につける機会を奪われて、成人しても、世間とのギャップに苦しみ、自立困難な道を歩まされている人がいます。

また、親が属する団体を「カルト」と呼ぶ人たちへの不信感や恐怖心を刷り込まれ、容易に周囲へ相談できない状況が作られています。 さらに、自分の団体を「カルトだ」と言った瞬間に、親と断絶させられてしまう人たちもいます。

そのため、同じ境遇の子どもたちが支え合えるよう、「カルト二世」ではなく「宗教二世」という言葉が使われています。そこで、カルトの被害相談を受けている専門家の間でも、当事者の置かれている現状に配慮して、「いわゆる宗教二世」という言葉を使うようになっています。


いわゆる「宗教二世」問題を新たに作らないために

実は、二世問題に関しては、キリスト教会も無縁ではなく、同様の問題を起こしてないか、今後新たに起こさないか、自らを振り返りつつ、注意していく責任があります。

そこで、このような問題を新たに作り出さないために、それぞれの信徒、教師、教会が、子どもたちに対して「何をしてはならないと考えているか」を表明する、約束と宣言が日本基督教団カルト問題連絡会で作られました。

この約束と宣言は、誠実な信仰継承の仕方について問い続けるための叩き台であり、各教会、各地区、各教区で話し合って、この問題に対する、それぞれの姿勢を表明する際、用いていただくことを願うものです。一から八番まで順に読んでいきたいと思います。

① 私たちは、子どもたちの「信じる自由」と「信じない自由」を尊重します。本人の意志を無視して会員になるための信仰告白をさせること、勧誘などの伝道活動を強要しません。

② 私たちは、いかなる理由でも、子どもたちへの暴力は許されないと、繰り返し、確認し続けます。「教育」や「しつけ」と称する虐待、ハラスメントを支持しません。

③ 私たちは、宗教的観念で子どもたちを脅しません。裁きや罰、地獄や終末への恐怖を用いて自由にものを言えなくし、疑問を拒絶して、大人の指示に従わせることを行いません。

④ 私たちは、子どもたちの医療へのアクセスを制限しません。子どもたちに必要な通院、入院、投薬を妨げません。

⑤ 私たちは、生活が破綻するような献金や、子どもを長時間放置するような奉仕を支持しません。子どもの健康、成長、進学に必要なお金と時間を奪いません。

⑥ 私たちは、子どもたちが、同じ組織の者以外と遊んだり、交流を持ったりすることを制限しません。子どもたちの友人関係や交際相手を規制しません。

⑦ 私たちは、信仰を持たない子どもたちと家族との関係を破壊しません。信仰から離れた家族との接触を禁じたり、コミュニケーションを制限したりすることを行いません。

⑧ 私たちは、子どもたちの教育を受ける権利を侵害しません。教会活動へ従事させるために、子どもたちの進学、就職を妨害しません。


私たちの教会でも、今回の研修会を通して、改めて二世問題と向き合い、教会として、この約束と宣言を一緒にさせていただければと思っています。


カルト(化)教会とは?

さて、ここまで聞いて分かるように、「私は伝統宗教を信じているから、カルトとは関係ない」と思っている人も、実際には関係してきます。たとえ、その宗教一般における正統的な教義が語られていても、その教会の指導や運営に問題があれば、カルト問題として取り上げられる可能性が出てくるからです。

たとえば、正体や目的を隠した勧誘が行われているか? 適切な会計報告や役員会が行われているか? ハラスメントの常態化や隠蔽があるか? 献金の強要や奉仕の強制が行われているか? 医療拒否や虐待を支持する指導があるか? 進路、職業、転居の自由を侵害しているか? カルトを扱うところでは、こういった指導や運営の問題が問われます。

最近、身内もどこかの教会へ行くようになったけれど、キリスト教だから大丈夫……と考えてしまう人は、「キリスト教だからカルトじゃない」とは言えないことを押さえておく必要があります。

また、様々な大学のキャンパスで、活動している宣教団体の中にも、キリスト教の背景があることを隠し、リーダーシップの育成や文化交流の目的を看板に掲げ、学生たちを集めて、宣教活動のリーダーに育てようとするところがあります。

現時点では、金銭的・身体的・精神的被害が見られなくても、「正体や目的を隠した活動」という破壊的要素を今後も放置し続けるなら、カルト化していく可能性があります。学生の子どもやお孫さんがいる方も、被害に巻き込まれないよう、正体や目的を隠した勧誘について、時々、家で話してみるようにしてください。


カルトに囚われる理由

それでは、こういったカルトやカルト化教会にどうして入ってしまうのか、どうして離れられなくなるのか、簡単に説明したいと思います。実は、ある人がカルトにハマって、離れられなくなる構造は、ある人がDVの加害者に捕まって、離れられなくなる構造と似ています。DVが「一対一カルト」と言われる所以です。

どんな人でも、最初から、理不尽な支配を受けると分かって、パートナーと付き合う人はいないように、最初から、問題のある団体と分かって、カルトに入ろうとする人はいません。DVの加害者が、本性を隠して、良い人を装って、ターゲットへ近づいてくるように、破壊的カルトも、正体を隠して、目的を偽って、ターゲットへ近づいてきます。

DVの場合は、加害者と付き合い始めると、まずはとことん好意を伝えられ、大切にされますが、徐々に「お前はダメだ」「何でこんなこともできないんだ」と責められるようになります。急に怒られては、優しくされてを繰り返し、「自分はダメなことばっかりで、この人がいないと生きていけない」と思わされます。

破壊的カルトの場合も、最初はラブシャワーと呼ばれる歓迎を受け、夢や悩みをとことん聞いてもらえますが、徐々に、自分で考えることは間違った常識に基づいていると思わされ、「リーダーの言うことを聞かないと幸せになれない」「正しく生きることができない」と思わされるようになります。

どちらも、最終的には、他の人の言うことを聞いてはダメだと、周囲の人間関係を制限され、他に居場所をなくされて、離れることができなくなります。被害者は、自分の意志で、そこに留まっていると思っていますが、実際には、加害者からコントロールされ、そこに留まる以外の選択ができないようにされています。

これが、DV や破壊的カルトに見られるマインドコントロールの構造です。


正体や目的を隠した偽装勧誘

このように、カルトに入ってしまう理由の多くは、最初に、正体や目的を隠して接触されることです。そして、多くのカルト団体は、フロント組織やダミーサークルを持っています。一見、カルトと関係ない、普通のサークルやイベントのように見えますが、後から仲良くなって、メンバーへ取り込むために、連絡先や個人情報を獲得する入り口になっています。

たとえば、以下のようなテーマで人集めが行われます。

家庭教育、性教育、子育て、環境問題、社会問題、人権問題、平和運動、ボランティア、SDGs、起業、副業、自己啓発、自己分析、手相、アロマ、ハンドメイド、コンサート、英会話、文化交流、スポーツ、ゲーム、留学、就活、婚活、妊活、心理相談……

これらは実際に、複数のカルト団体で人集めに使われているイベントや集会のテーマです。人を集めるなら、左派に多いテーマでも、右派に多いテーマでも、流行のテーマでも、何でも使います。

「カルトに入りやすいのは、左の人だ」「右の人だ」とよく言っている人もいますが、右も左も、保守もリベラルも、関係なくカルトにハマります。賢いかどうかもそんなに関係ありません。カルトにハマりやすいのは、「自分がカルトに入るわけない」と思っている人です。


様々な偽装勧誘の手口

では、こういった正体や目的を隠した勧誘がどういう場面で行われるかと言うと、実に多岐にわたります。外出時であれば、アンケート調査や無料の手相診断ですと声をかけ、悩んでいることや困っていることを自然に聞き出し、連絡先を交換しようと言われます。

ネットであれば、無料で悩みを聞いてもらえる「心の相談室」や資格講座の案内などを介して、教祖が待ち構える組織へ誘導されていきます。X(旧Twitter)、Instagram、FacebookなどのSNSであれば、「いいね!」や拡散をしてくれた人へのプレゼント企画などに、商業カルトが紛れています。反応すると、悪質業者のカモリストに入ったり、特殊詐欺の受け子に利用される恐れが出てきます。

高齢者の中でも、「神秘的な画像をシェアして、幸せを拡散しよう」といった投稿を見て、善意から、神秘的な景色の画像や植物の画像をSNSでシェアしたり、LINEで他の人にも送ったりしてしまう人がいますが、あれも、反応すると「この人は騙せそうだな」「この人のフォロワーは、友達は、こういう入り口で騙せる人が多そうだな」と判断され、時間をかけて、スピリチュアルビジネスに取り込まれるきっかけになってしまいます。

シェア、拡散、いいねを求める投稿に反応するときは、一旦立ち止まってください。また、ある時期から、自分の投稿に「いいね!」をつけたり、シェアしてくれるようになった人が、メッセージを送ってくるようになり、仲良くやりとりをしていたら、カルトのダミーサークルへ誘われた……という手口もあります。

友人から誘われる場合は、最初は目的を隠してお茶や飲み会、ゲーム大会に誘われて、「ぜひ会ってほしい人がいる」と、おしゃれで賢そうな人を紹介され、徐々にサクラのメンバーがいるホームパーティーへ誘導される……というケースもあります。

医師や教師など、先生と呼ばれる立場の人からは、「これ良いよ」と紹介してもらった健康食品や民間療法を試していくうちに、「その分野に関するすごい先生が、今度講演するんだ」というふうに、カルトのイベントへ誘われるようになります。

ちょっと触れるだけでも、あらゆるやり方で、カルト勧誘が行われているのが分かったと思います。そして、正体や目的を隠した勧誘から、メンバーになった被害者は、お金と時間と労力を搾取されながら、自分自身も誰かを勧誘し、加害者へ変えられていきます。


勧誘の率先力として狙われる人

また、カルトから勧誘の即戦力になる人間として狙われる人たちもいます。たとえば、医師、看護師、助産師などの医療従事者です。日々、たくさんの患者さんと接し、世間からも信頼を受け、待合室に関係団体のパンフレットなども置いてもらえるので、けっこう狙われます。

また、保育士や学校の教師、大学教授なども、保護者や学生から信頼されるので、カルトの傘下の講演やセミナー、イベントに案内する者として取り込まれている人たちがいます。PTAの会長なども、PTA主催の講演会や勉強会にカルト団体の講師を呼ぶことができるため、あちこちで即戦力として狙われます。

地域の人たちから相談を受ける立場の民生委員やケアマネージャーも、カルトに取り込まれ、勧誘に加担させられることがあるので、よく注意が必要です。市議会議員や県議会議員、国会議員なども、カルト傘下の講演にきてもらうと、組織の信頼性を高め、メンバーをコントロールし続けることに役立つため、接触を受けやすいです。

中小企業の会社の社長や料理教室の先生なども、部下や生徒に対してカルト団体が出版している本や販売しているサプリメントなど、ばら撒くのに都合がいいため、あわよくば取り込もうとしてくる人たちがいます。当然ながら、教会やお寺で信者や檀家さんからの信頼を受けている牧師、司祭、住職なども、上手く取り込めば、教会やお寺ごと乗っ取ることができるため、しばしば接触を受けます。

まさか、自分が狙われることはないだろうと思っている人たちこそ危険なので、自分の大切な人たちを守るためにも、ぜひ注意してください。


カルトが行うコントロール

こうして、知らず知らずのうちに、カルトのメンバーになった被害者は、種々のコントロールを受けて、自分で考える力を弱められ、その集団に都合の良い人格へ作り替えられてしまいます。

マインドコントロールとは、そこで見られる様々なテクニック、心理現象の総称で、宗教カルトのように、あるリーダーによって、意識的に指示されて進められることもあれば、陰謀論系コミュニティのように、集団の中で、無意識に、自発的に進んでいくこともあります。

たとえば、不安や正義感をあおって仲間意識を作り、離れたら恐ろしい目に遇うなど恐怖を刷り込む「感情コントロール」……あらゆる情報や出来事を「霊のせいだ」など特定のパターンで捉えさせ、指示に従わせる「思考コントロール」……教えの拡散、メンバーの勧誘、批判者の撃退などに加担させ、周囲や家族から孤立させていく「行動コントロール」……都合の悪い情報は見せないか、フェイクとして自ら切り捨てさせる「情報コントロール」……といったものが、例として挙げられます。

これらのコントロールが進むことで、もともと冷静で、責任感のある人も、周りの意見を聞かなくなって、カルトの言いなりになってしまうんです。もちろん、マインドコントロールは魔法ではないので、常に、誰もが、ハマるわけではありません。

雨に降られて、ずぶ濡れになっても、絶対風邪をひくわけではないように、マインドコントロールも、絶対にかかるわけではありません。しかし、どうしたら風邪をひきやすいのか、知っておくことが大切なように、どうしたらコントロールを受けやすいのか、知っておくことも大切です。マインドコントロール論とは、そのような理解を進めるための理論です。


教会の信徒に対する偽装勧誘

ちなみに、既にキリスト教会の信徒だからと言って、カルト勧誘を受けないわけではありません。キリスト教会にも、様々なタイプのカルトが接触してきます。カルトは善意や正義感を利用して、たくみに人を取り込んでいくので、教会はけっこう魅力的な狩場になっているんです。聖書を用いるキリスト教系のカルトなら、なおさら私たちを、取り込みやすいとも言えます。

たとえば、非宗教団体を装う「カルトのフロント組織」や、同じ信仰仲間を装う「引き抜き型カルト」、新来者や転入希望者を装う「乗っ取り型カルト」に、接触した教会をカルト化させる「侵食型カルト」、健康や子育てに焦点を当てた「マルチ商法」や「スピリチュアルビジネス」もあります。


非宗教団体を装う「フロント組織」

まず、非宗教団体として、教会に近づいてくるカルトのフロント組織は、一見、問題がない団体のふりをして近づいていきます。たとえば、平和運動やボランティア、環境問題や町おこしに取り組む行事を装って、参加者の呼びかけをお願いし、青年や保護者をカルトのダミーサークルやフロント組織に巻き込んでしまうのです。

教会付属の幼稚園や保育園の保護者が、知らずにビラを渡されて持ってくることもあります。繰り返しますが、良い活動をしているように見えても、偽装勧誘の入り口かもしれません。関わる団体は慎重に精査しましょう。

「怪しいな」と思った場合は、「団体名/主催者/講師」+「名称変更/被害/危険/裁判/訴訟/カルト」などで検索し、偽装勧誘や被害の報告がヒットしないか、調べてみることが大切です。怪しいと思わなくても、情報があまり出てこない団体との接触には慎重になってください。


信者を装う「引き抜き型カルト」

次に、仲間を装う「引き抜き型カルト」は、その名のとおり、既成教会の信徒や牧師を引き抜きに来ます。「私もクリスチャンです」とSNSで接近したり、新来者のふりをして教会の人と仲良くなったり、潜入先で勉強会やセミナーに誘って、徐々に自分の団体へ誘導します。ママ友やサークルのメンバーを引き抜くマルチ商法の手口とよく似ています。

引き抜かれると、その活動に生活の全てを注ぐようになり、他の教会を激しく否定するようになります。「サタンによる呪い」という概念が強調され、不安や恐怖をあおられて、職場、家庭、地域へと伝道の範囲を広げていき、周りに迷惑と思われる行為も辞さなくなります。そうして関係性の破壊が進み、離婚や別居に至る人もいます。


新来者を装う「乗っ取り型カルト」

新来者や転入希望者を装う「乗っ取り型カルト」は、メンバーを送り込み、宗教法人を丸ごと乗っ取ってしまいます。たとえば、教会に来た途端、様々な奉仕をすすんで担い、友人を次々と連れてきて、数年後、みんながやりたがらない役員も引き受けてくれるようになる……そんな理想的な人物が、役員の過半数を仲間内で占め、法人を乗っ取ろうとする工作員の一人だったりします。

新しく来た人が、すぐに受洗・転入・転会を希望してくる場合や、役員・執事・長老になろうとしてくる場合には、それを受け入れる前に、教会として正しい判断かどうか、よく吟味する必要があります。安易に、信徒の獲得や奉仕者の確保に流されると、こういった「乗っ取り型カルト」の被害を防げなくなります。

数年前に、この教会で役員の人数を変更する際、被選挙権を厳しくしたのは、こういう被害を避けるためです。乗っ取り被害に遭った教会では、「救われる人数には限りがある」と教え込まれ、信徒はその枠へ入るために、互いに競い合わされます。周りに嘘をついてでも組織のために活動することを優先し、学生は勉強する意味を見出さなくなり、社会人は働く意欲を失って、家庭も顧みなくなります。


牧師をターゲットにするカルト

ちなみに、引き抜き型カルトや乗っ取り型カルトは、既成教会の信徒だけでなく、牧師が勧誘のターゲットになる場合もあります。

「あなたも説教の学びに参加しませんか?」と超教派の集会・セミナーに誘って「熱心で真面目なグループだ」と宣伝させ、周りの警戒を解かせたり、「うちの聖書講義に出ている受講者を託したい」「そちらの教会へうちの若者をつなげたい」と甘い言葉をささやいて、シンパを増やそうとする手口です。

参加すると、「◯◯教団の牧師も参加しましたよ」「○○教会の先生も出ています」とアピールに使われかねないので、冷やかしでも出席することは避けないといけません。「所属は公開されません」と言われても、他の人へ電話や口頭で誘う際に使われてしまう危険もあります。

また、中には直接教会へ訪問して、献金やプレゼントを渡そうとしたり、聖書講座やセミナーの案内、機関紙や本を置かせてもらおうとするところもあります。中学、高校、大学の教師と親密になってから、生徒や学生を自分たちのダミーサークルやフロント組織へ誘導させる宗教カルトや思想・政治カルトとよく似た手口です。

ここ最近、全国の教会で、所属や背景を明かさない神学生や牧師の接触を受ける教会が増えており、私自身も電話、メール、手紙で何度も接触を受けています。


教会をカルト化させる「侵食型カルト」

最近、キリスト教会に接近する危険なムーブメントとして取り上げられるようになった「侵食型カルト」は、乗っ取りや引き抜きに遭うわけではありませんが、接触したグループの影響を受けて、自ら教会がカルト化していきます。

現在は、超教派の集会が色んなところで行われ、各教会でも、同じ地区や教区で一緒に活動する単立・他教派・他教団のグループが増えてきましたが、それら既存のキリスト教団体の中にも、マルチ商法などの商業カルトと同じ手法を採用しているところがあります。

たとえば、「正体や目的を隠して教会に連れてくる」「『祈れば治る』と薬や医療を遠ざける」「『信じなければ地獄に落ちる』と不安を煽って伝道する」「『教会に来れば癒される』『成功する』と強調して人を集める」……こういった傾向が強く見られる団体は危険です。

正体や目的を隠して連れてくることは、マルチ商法のブラインド勧誘と同様、違法性を問われます。「祈れば治る」と薬や医療を遠ざけるのは、多くのニセ科学やニセ医学の商品で問題視されている「これさえすれば治る」というキャッチコピーと同様、医療拒否事件を起こす危険があります。

同時に、現在まで積み重ねられてきた医療や薬も、多くの人が神様に祈って、与えられてきた成果の一つです。医療や薬に頼ることが信仰の否定であるかのように扱うことは間違っています。

そして、「地獄」や「終末」の恐怖を煽ったり、「献金すればするほど豊かになる」と強調するのは、最初に説明した「霊視商法」や「開運商法」の手口です。

「癒し」や「成功」を強調した人集めは、社会問題になった自己啓発セミナーやスピリチュアルビジネスで使われてきた手法で、「治らなければ、成功しなければ、その人の意志が、祈りが、足りないせい……」という過剰な自己責任を突きつけます。

「教会成長」や「青年伝道」をテーマに、これらの手段を用いるグループと接触し、仲良くなって、影響を受けていく教会もありますが、放置していると、牧師の独裁化や金銭トラブル、健康被害などが生まれていくので、こういった傾向が見られるグループとの接触は慎重にならなければなりません。

教勢を伸ばし、たくさんの人を集めているフレンドリーな教会として、メディアでも好意的に紹介されたりしますが、裏で金銭トラブルや不祥事を起こすところが後を絶ちません。悪い人ではなさそうだけど、正体がよく分からない、背景がよく分からない団体から接触を受けたときは、交流や伝道協力を求められても、安易に同意してはいけないんです。


マルチ商法・スピリチュアルビジネス

また、健康や子育てに焦点を当てた「マルチ商法」や「スピリチュアルビジネス」の狩り場として、教会は格好のターゲットにもなります。その入り口になりやすいニセ科学やトンデモ医療は、既に、どの教会でも高齢者や子育て世代を中心に広がっています。

たとえば、「免疫力アップ」や「○○が治る」と謳うサプリやアロマオイルなどは、マルチ商法や悪質な代替医療だけでなく、心や魂のケアを謳うスピリチュアル・ビジネスの温床にもなりやすいので、注意してください。それらに使われている「治る」「効く」「効果がある」という謳い文句は、薬機法や景表法すれすれか、普通にアウトなものが多いです。

勧めてくる人も、看護師、助産師、民生委員など、世間の信頼を集める人が、先に取り込まれているケースが多いので、誰が勧めてきたかで判断するのは避けてください。

これらを信じて、まともな病院へ行かなくなったり、薬を飲むのを拒否したり、ワクチン接種をやめたり(やめさせたり)して、健康被害や死亡事故を起こしてしまう人もいます。検証不十分な治療や療法に時間と労力を注いで、何年も無駄にしてしまう人もいます。

最も深刻な被害を受けるのは、子どもや高齢者や病人など、身内に抵抗する力が弱い人たちです。こうした信者ビジネスの多くは、「助けたい」「役に立ちたい」という善意や正義感を利用して広がるため、私を含め、誰でも片足を突っ込みやすいです。よく注意してください。


被害を防ぐポイント

被害を予防するために、注意するポイントとしては、以下の点が挙げられます。まず、主催者、責任者、問い合わせ先の明記がない集会やイベントに行ってはいけません。それらは正体隠しの典型です。次に、団体名が何度も変更されているところも危険です。被害の実態がクチコミで広がり、その度に、以前の名称から変更している可能性があります。

また、「開催日時や会場を知りたい人は、連絡先を記入・入力してください」と案内しているところは、絶対に近づいてはいけません。高確率で危険な団体であるため、安易に連絡先を渡さないようにしてください。最後に、あまり聞いたことのない団体で、検索しても背景がよく分からない団体は、一旦、参加を考え直しましょう。

「団体名」+「別名」や「名称変更」で検索して、正体を偽っているところでないか調べたり、「団体名」+「被害、裁判、訴訟、事件、カルト」などで検索して、問題がヒットしないか確認してください。一見、どこかにありそうな肩書きや名前の団体でも、カルトが偽装している可能性もあります。

特に、専門とする領域がやたら広いとき……医療、教育、法律、経済、宗教など、複数の分野にまたがって肩書きが羅列されている場合、だいたい、まともな専門家ではありません。専門的な知識や訓練をどこで積んだのか調べても分からない相手は、安易に信用しないでください。


身内がカルトに入ったら

そして、もし、身内がカルトに入ってしまい、救出を目指す場合には、以下の点に注意して取り組んでください。まず、カルトに入ったことを怒ったり、叱ったり、説得して、脱会させようとしないことです。

多くのカルト団体は、何かあったら事細かく、報告、相談、連絡をするようメンバーに指導しています。家族から脱会するよう言われたことも、すぐに組織へ相談されます。最悪の場合、家族との接触を断ち切るよう命じられたり、脱会したふりをして、知らないうちに行方をくらまされたりします。

そのため、まずは専門の窓口に相談をして、どう対応すればいいか聞いてください。次に、身内を救出するためには、カルトのコントロールについて詳しく学ぶ必要があります。専門の窓口から紹介された相談会やカウンセラーのもとで、基本的な理解を深めてください。

そして、連携できる他の家族を増やしていくことも、救出に不可欠な要素です。これが一番難しいですが、支援者と相談しながら、家族の連携を進めてください。

カルトからの脱会は、アルコール依存症の身内と向き合うようなもので、短期間で、簡単に進めることはできません。本人との信頼関係を再構築しながら、時間をかけて進めていきます。

カルトに入っても、怪しいと分かったら、すぐに抜けられるだろう、すぐに辞められるだろうと思っている人は、認識を改め、しっかり予防に取り組んでください。


カルト問題の相談窓口

カルト問題の相談窓口には、次のようなところがあります。全国霊感商法対策弁護士連絡会、統一協会被害者家族の会、国民生活センター、日本基督教団カルト問題連絡会、などです。

教団の場合は、各教区も窓口になっています。ここに挙げている相談機関は、以前から、弁護士、臨床心理士、ジャーナリスト、学者、宗教者などが連携して、被害対策に取り組んできたところです。それぞれの名前で検索すると、ホームページに、電話番号や問い合わせフォームが出てくるので、受付時間を確認した上で相談してください。

相談窓口の中にも、カルト団体が偽装しているものや、適切な対応がされていないところもあるので、必ず、複数の分野の専門家が連携している機関に相談してください。この教会の場合は、私に相談してくれれば大丈夫ですが、私に相談しにくい場合は、こういった公の機関を頼ってください。


カルトにならない健全な伝道とは?

以上、カルトについてザッと話してきましたが、これらを踏まえた上で、健全な伝道というものも、同時に考えていかなければなりません。「私たちはカルトじゃない」と主張するだけでは、カルト対策にも、カルト化対策にもなりません。

私たちの教会も、不健全な集団になってないか? 悪質な運営になってないか? 無防備なコミュニティーになってないか? 自らをチェックし続け、改善し続ける姿勢がなければ、胸を張って、健全な教会とは呼べません。

健全な伝道とは、正体や目的を隠して誘ったり、不安や恐怖をあおったり、法や人権を軽視しないで、信じているものを誠実に伝えることです。宗教を信じる自由だけでなく、信じない自由も尊重して、周りとの関係を大事に築いていくことです。献金に何かの効果があるように謳わないで、「救いの条件」ではなく、「感謝の応答」であることを伝えて、みんなで支え合うことです。そして、信者同士、信者と牧師が、互いに疑問を共有できる、信頼関係を築き続けていくことです。

目的が手段を正当化しないように、信仰は手段を正当化しません。神様の教えを伝えるために、神様が悲しむ手段を使ってはいけません。信仰を理由に、伝道を理由に、間違ったことをしているんじゃないか?……と思うときは、その感覚を大事にしてください。本当に、健全な信仰なら、手段も誠実な形に整えられていくはずです。

他人事ではなく、自分はどうか? 私たちの教会はどうか? 見つめ直しながら、カルト問題について、これからも一緒に向き合えたらと思います。長くなりましたが、以上で、私からの発題を終わります。ご清聴ありがとうございました。


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柳本伸良@物書き牧師
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