もっと気になるキリスト教(6)【キリスト教ABC講座】
聖書の内容やキリスト教に関する知識をQ&A方式でザックリ説明している講座です。
旧約聖書に関する質問
Q. サムエルはエリと違って息子たちを善良に育てられたんですか?
A. サムエルは、自分が年老いたとき、イスラエルのために裁きを行う者として、自分の後継に、長男ヨエルと次男アビヤを任命しました。しかし、サムエルの息子たちは不正な利益を追い求め、賄賂を取って、裁きを曲げてしまいました。そのため、イスラエルの長老(民の指導者)たちは、サムエルと彼の息子たちに代わって、自分たちのために裁きを行う王が立てられることを求めました。サムエルは、人々が、自分や自分の代わりに王を求めたことを「悪」だと思いましたが、その原因の一部を作ったのは、自分の息子や後継をきちんと育てられなかった彼自身でもありました。
Q. 人々が王を求めたとき、神は乗り気じゃなかったんですか?
A. イスラエルの人々が、他の国々のように、自分たちにも王を立ててほしいと願ったことは、サムエルの目には悪と映りました。神も、人々が王を求めることは、本当の神である自分を捨てて、他の神々に仕えることと変わらない態度と受けとめました。また、人々の望みどおり、王を立てれば、王は、彼らの息子、娘たちに労働を課し、最上の農地を没収し、穀物や家畜も徴収して、人々を苦しめることになると警告しました。しかし、それでも、人々が王を求めると、神はサムエルに「彼らの声に従い、彼らに王を立てなさい」と命じました。そして、人々が諸国の敵から守られるよう、サウルやダビデを王として立てていきました。
Q. 聖書の中で、油を注がれる人が出てくるのはなぜですか?
A. 油は古代社会における貴重品で、食用、医療、美容など、様々なことに使われました。聖書においては、神の祝福や聖別の象徴として用いられました。聖別とは、人・物・場所などを神のためにささげること、聖なるものとして区別することです。そのため、祭司・王・預言者など、神から特別な使命を授けられた人物に、度々、油が注がれました。また、新約聖書では、キリストの弟子たちが病人のために油を塗って、癒した話が出て来ます。そのため、現代でも、洗礼を受ける人や、聖職者になる人、病人などのために油を塗ったり、新しく建てた会堂のために清めた油が用いられることがあります。
Q. サウル王とはどんな人ですか?
A. サウルは、サムエルによって油を注がれ、イスラエルの最初の王に任命された人物です。イスラエルで最も小さな部族、ベニヤミン族の中でも最小の一族でしたが、背が高く、美しい容姿であったと言われています。自分が王に選ばれると、荷物の間に身を隠したり、「こんな男に我々が救えるか」と侮られてしまうものの、イスラエルを攻めてきたアンモン人に勝利を収め、アマレク人やペリシテ人にも打ち勝っていきました。しかし、サムエルを通して命じられた「アマレクに属するものは一切滅ぼしくつくせ」という神の命令を守らないで、値打ちのないものだけ滅ぼし尽くし、上等なものだけ取っておいたため、サムエルと対立するようになりました。その後、神から悪霊を送られるようになり、しばしば苦しめられますが、竪琴の音色を聞くことで気分を落ち着かせ、竪琴の名手で、勇敢な戦士でもあった、ダビデが召し出されるようになりました。サウルはダビデを高く評価して、側近として取り立てますが、彼に人々の人気が集まると、自分の王位を脅かす存在として、命を狙うようになりました。やがて、サウルはペリシテ人との戦闘で死んでしまいますが、途中でダビデと和解したり、自分の廃位を受け入れようとしたり、最後まで揺れ動く姿を見せています。
Q. サウルの息子ヨナタンは、王にならなかったんですか?
A. ヨナタンはサウルの長男で、後に王として即位するダビデの親友になった人物です。彼は、ペリシテ人との戦いで指導的な役割を果たしますが、王である父に黙って戦闘を仕掛けたり、「敵に報復するまで食べ物を口にするな」と兵に誓わせた父親を正面から批判したり、父親との関係は、あまり上手くいっていませんでした。また、サウルがダビデの命を狙った際は、必死にダビデのことを庇い、父の動きを彼に知らせて、あらゆる手段で助けようとしました。最終的に、ヨナタンはペリシテ人との戦闘で、他の兄弟と共に攻撃を受け、死んでしまったため、王位を継ぐことはありませんでした。
Q. ダビデ王とはどんな人ですか?
A. ダビデは、イスラエルの二代目の王で、神に背いたサウルに代わって、サムエルが新しく油を注いだ人物です。エッサイの8番目の息子で、獅子や熊から羊を守り、竪琴を巧みに奏でる少年でした。サウルが悪霊に苦しめられた際、ダビデが竪琴を奏でると、サウルは心が安まって気分が良くなり、悪霊は離れていきました。また、ペリシテ人との戦いで巨人のようなゴリアトを倒し、その後も多くの敵を滅ぼし、勝利を重ねていきました。やがて、ダビデは、王位を脅かす者として、サウルに命を狙われるようになりますが、ヨナタンの助けで危機を回避し、サウルとも和解に至りました。サウルの死後、ダビデが王に即位すると、イスラエルは強大な国家になりました。後に、王国が分裂し、他国に支配され、イスラエルが深刻な危機に陥った際、ダビデのような救済者が、再び神から遣わされ、イスラエルを救ってくれるという「メシア待望」が生まれました。そのため、救い主メシアは、ダビデの子孫、ダビデの故郷ベツレヘムから生まれると考えられ、新約聖書では、イエス・キリストの誕生が、その成就として記されています。
Q. ダビデは少年の頃、どうやって巨人のようなゴリアトを倒したんですか?
A. ダビデは少年であったため、兜や鎧をつけて動くことや、剣を扱うことに慣れていませんでした。そこで、それらは全て脱ぎ去り、川岸から滑らかな石を5つ拾って、羊飼いの投石袋にしまい、石投げ紐を手にして、ゴリアトに向かっていきました。石投げ紐による投石は、羊飼いが、獅子や狼から羊を守るため、よく用いていた手段です。ダビデは石投げ紐を使って、ゴリアトの額へ正確に小石を撃ち込んだため、ゴリアトは一発で倒れてしまいました。そこで、ダビデは倒れたゴリアトから剣を取り、鞘から抜いてとどめを刺し、首を切り落として見せました。
Q. ダビデは不倫をしたんですか?
A. ダビデは、ある日の夕暮れに、王宮の屋上を散歩していた際、ウリヤの妻バト・シェバが水浴びしているところを目に留めます。バト・シェバは大層美しかったので、ダビデは人をやって彼女のことを尋ね、それがヘト人ウリヤの妻だと分かります。そして、彼女が結婚していると分かった上で使いを送り、呼び出して、床を共にしてしまいます。間もなく、バト・シェバは妊娠し、それを知ったダビデは、彼女と寝たことを隠蔽しようとしますが、上手くいかなかったため、ウリヤを危険な戦地へ送り、わざと死なせてしまいました。このことは神の意思に反していたため、預言者ナタンが遣わされ、ダビデに罪を指摘します。ダビデは死の罰を免れますが、自分とバト・シェバの最初の子どもは死んでしまいました。
Q. ダビデは息子たちを善良に育てられたんですか?
A. ダビデには、多くの息子たちができました。バト・シェバとの間に生まれたソロモンは、イスラエルの3代目の王になりました。彼は、民の訴えを正しく聞き分けるための知恵に秀でていたと伝えられますが、一方で、神の言葉に背いて、多くの外国の妻を娶り、偶像礼拝が入り込むのを止めなかったため、死後、王国を分裂させる原因になったと言われています。また、ダビデの長子アムノンは、異母兄弟の妹を愛し、無理やり犯してしまいました。三男のアブサロムは、それをきっかけにアムノンを殺し、父親にも反逆してしまいました。四男のアドニヤも、父親から一度も「なぜこのようなことをしたのか」と咎められたことがなかったため、勝手に王位へ着こうとして、過ちを犯してしまいました。祭司エリ、サムエルに続き、ダビデも、自分の息子たちを善良に育てられたとは言えない人物の一人でした。
Q. ソロモン王とはどんな人ですか?
A. ソロモン王は、ダビデの息子で、イスラエルの3代目の王になった人物です。「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と神に言われた際、長寿や富や敵の命を求めることなく、民の訴えを正しく聞き分ける知恵を求めたことが賞賛され、そのときに求めなかった富と栄光も与えられました。有名なシェバの女王の来訪においても、その知恵と繁栄ぶりが讃えられています。また、聖書に収められた「箴言」や「コヘレトの言葉」の一部は、ソロモンの著作や語録と見なされています。そして、エルサレム神殿の建設は、ソロモンの偉業の一つとして数えられています。一方で、700人の王妃と300人の側室がいたと言われるほど、多くの外国の女性を娶り、心を迷わせてしまったため、だんだんと神から離れていき、イスラエルの王国を分裂させる下地を作ってしまったとも言われています。
新約聖書に関する質問
Q. キリストが百人隊長の部下を癒したのは、どんな奇跡だったんですか?
A. マタイによる福音書8章では、イエスがカファルナウムを訪れた際、ローマ帝国に仕える百人隊長の部下を癒した話が記されています。この百人隊長は、体の麻痺した自分の部下が、ひどく苦しんでいることを伝え、助けてほしいと訴えます。また、ルカによる福音書7章では、ユダヤ人の長老たちも、「あの方はそうしていただくのにふさわしい人です」ととりなします。このとき、イエスがその人の家へ行こうとすると、百人隊長が「わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます」と言ったことが、信仰深い態度として、よく取り上げられています。
Q. キリストが体の麻痺した人を癒したのは、どんな奇跡だったんですか?
A. 聖書には、中風(ちゅうぶ)という体の麻痺した状態の人がよく出て来ます。現在で言う脳出血や脳梗塞で、体を動かすことができなくなった人と思われますが、それらも、罪を犯した結果、罰を受けていると見なされたり、汚れていると見なされました。そのため、彼らが癒しを求めると、「この人はどんな悪いことをしてこうなったのか?」「ちゃんと罪を悔い改め、反省しているのか?」と問われる場面が多かったと考えられます。けれども、イエスは、体の麻痺した人が自分の前に連れてこられると、「どんな罪を犯したのか?」「ちゃんと悔い改めたのか?」と言って、その人をさらに苦しめることなく、「あなたの罪はゆるされた」と宣言して、彼らを安心させ、起こしていきました。
Q. キリストが目の見えない人を癒したのは、どんな奇跡だったんですか?
A. イエスが、目の見えない人を癒した話は、聖書のあちこちに出てきます。目が見えなくなった人は、本人か、その両親や先祖の誰かが、重い罪を犯したため、罰として見えなくされたと思われることが一般的でした。そのため、誰かに助けを求めると、「あなたはどんな悪いことをしてこうなったのか?」「罪を悔い改めたのか?」「助けてもらうのにふさわしいのか?」という問いかけを受けることになりました。けれども、イエスは「ダビデの子よ、わたしを憐んでください」と叫ぶ盲人に対し、「どんな悪いことをしたのか?」ではなく「何をしてほしいのか?」と問いかけ、最初から望みを聞いていきます。そして、「見えるようになりたいのです」と言われると、「あなたの信仰があなたを救った」と言って、見えるようにし、安心して人と関われるようにしていきました。
Q. キリストが重い皮膚病の人を癒したのは、どんな奇跡だったんですか?
A. 重い皮膚病は、見た目が大きく変わるため、最も人々に忌み嫌われた病でした。この病にかかった人は、祭司から綺麗に治ったと認められるまで、神に犠牲をささげる祭儀(礼拝)に参加することが許されず、隔離された場所で暮らさなければなりませんでした。さらに、人前へ出てくるときは、「私は重い皮膚病の者です」と叫びながら、ベルを鳴らして移動することが求められ、それを破ると死刑の対象になりました。律法には、重い皮膚病になって共同体から隔離された人々が、再び共同体へ回復されるための手順も書いてありますが、大抵はみんなから避けられ、関わらないように扱われました。しかし、イエスは重い皮膚病の人たちも、その手で触れて癒したり、彼らが暮らしているところへわざわざ訪れたりして、自ら関係を作っていきました。
Q. キリストが汚れた霊を追い出したのは、どんな奇跡だったんですか?
A. キリストが、人々に取り付いた「悪霊」「サタン」「汚れた霊」を追い出す話は、聖書のあちこちに出てきます。今で言う、精神病だと解釈したり、実際に、取りつくものがいると考えたり、キリスト教の中でも、悪霊の捉え方には幅がありますが、苦しんでいる人にとって、自分にどうしようもできないものであることは確かでした。悪霊に憑かれた人々は、裸で暴れて叫び回ったり、引き付けを起こして泡を拭いたり、床を転げ回ったりして、周りとの意思疎通をまともにできない状態でした。しかし、イエスは、これらの悪霊を「叱りつけ」たり、「黙らせ」たりして、本人とのコミュニケーションができるように変えていきます。聖書を読んでいると、イエスと悪霊のやりとりに焦点を当てたくなりますが、むしろ、イエスは苦しんでいる本人とやりとりするために、悪霊を黙らせ、追い出して、みんなのもとへ帰れるように助けていきました。
Q. キリストに癒された人たちは、信仰があったから癒されたんですか?
A. イエスに癒された人たちの中には、「この人こそ自分を救ってくれる」と信じる態度を見せた人も、イエスがどんな人かよく分かっていない者もいました。イエスが誰かを癒す前に、「信じなければ癒さない」と条件をつけることもありませんでした。ある箇所では、汚れた霊につかれた息子を持つ親が、「おできになるなら、わたしどもを憐んでお助けください」と言ったとき、「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる」とイエスが返事をする場面が出てきます。この出来事は、イエスが「私を信じなさい」と促す場面であって、「私を信じなければ救わない」と脅した場面ではありません。むしろ、その前に、「なんと信仰のない時代なのか」とはっきり言っているにもかかわらず、もう一度、信仰を持つよう励まして、彼らを助けた話になっています。
Q. キリストに癒された人たちは、善い人だから癒されたんですか?
A. イエスが癒した人の中には、「このことは誰にも話してはならない」という言いつけを破って、あちこちに話して回った人がいました。それも、一人や二人ではありませんでした。そのことによって、恩人であるキリストが、ファリサイ派や祭司長から目をつけられ、危険にさらされることもありました。あるとき、イエスは10人の重い皮膚病を癒しましたが、そのことに気づいて、お礼を言いに戻ってきた人は、たった一人だけでした。また、イエスに癒してもらった後、仕事をしてはならない安息日に、自分を助けた人はイエスであると、告げ口してしまった人もいました。このように、善い人だから、イエスに助けてもらえたとは言い難い人もたくさんいました。
Q. キリストは病の癒しをアピールして、たくさんの人を集めたんですか?
A. イエスは、自分が病を癒せることをアピールして、話を聞いてもらおうと、人を集めたことはありませんでした。むしろ、大勢の病人を癒したあとは、たいてい姿を隠し、人目のない所へ退きました。多くの人が奇跡を体験した直後、さらに多くの人を集められる機会であっても、癒された人々の体験を利用することはありませんでした。現代の教会でも、会衆に病の癒しをアピールさせて、多くの人を集めようとすることは、健全な伝道とは言えません。
Q. 人々が自分を王にしようとすることに、イエスは乗り気じゃなかったんですか?
A. イスラエルの人々は、自分たちを支配するローマ帝国から解放し、敵を打ち倒してくれる軍事的な王を期待していました。しかし、イエスがやって来たのは、国と国との戦闘で勝利をもたらすためではなく、全ての国の人たちが、永遠の命を受けて、神の国へ迎えられるためでした。そのため、自分を王にするため、担ぎ上げようとする人たちのもとへ、軍馬ではなく小ロバに乗って登場し、軍事的な王ではなく、平和の王としてやって来たことを示しました。
Q. 奇跡という名の「しるし」をほとんど見なくなったのは、信仰が足りないからですか?
A. 信仰者が奇跡を起こせないことを悪いことと捉えている人もいますが、分かりやすい「しるし」がなければ信仰を保てなかった共同体から、目に見える「しるし」なしで信仰を守れるようになった共同体へ、成長してきた証にも受け取れます。それは、「しるし」がなければ信じない人々を悲しんで、「見ないで信じる者は幸いである」と言われたキリストも、願っていたことではないでしょうか?