家の中での土足文化を考察する

突然だが、私はいまヨーロッパ圏のある国に留学している。
見知らぬ土地での生活は、もちろん慣れない習慣や文化でいっぱいだ。
その最たるものが、「家に土足で上がる習慣」だと思う。
私は純日本人で、海外生活は今回が初めてである。そのため、「家に玄関がなく、ベッドに着地するまではずっと土足」という習慣にはまだまだ慣れない。

そこで、ふと考えた。
なぜ、私は靴を脱ぎたいのだろうか。

家にそのまま入ったら不潔… とか、
足が休まらない… とか、
色々な理由はすぐに思い浮かぶが、もっと奥深いところに意識の違いがあるような気がする。
そして、ある日カフェにいたときふと一つの結論がでた。

まず、そのカフェでの出来事を先に書く。
私の隣の席には、ヨーロッパ人らしき女の子が楽しそうにおしゃべりをしていた。
その子の座り方をふとみると、靴を履いたまま片足をおしりの下に敷いていた。
説明が難しいのだが、右足の裏が左ももの裏にぴったりとくっつくような座り方。
なんとなく想像してほしい。

そのとき、「ンン…?靴の裏が衣服に付くのって、嫌じゃないのかなあ」と感じた。
でも、すぐにそうじゃないことに気がついた。

おそらく、彼女は「皮膚感覚が靴まで拡張してる」のではないか??という考えに至ったのだ。

は??と思った方ももうすこし我慢して読んでください。

まず、「皮膚感覚の拡張」というのは私が適当に作った言葉であるが、ここでは「衣類などを自分の皮膚の一部のように感じる」ことだと定義する。

つまり簡単な話、私たちが日々下着や服を身につける中で「あーーー今下着着てる!!着てるよ!!」という感覚を四六時中抱いてるわけではないということだ。
パンツを履いたその時から、パンツは私たちの皮膚になじみ、自分の皮膚の一部であるかのようにふるまう。
これを私は「皮膚感覚の拡張」と呼ぶことにしている。

その皮膚感覚が「どこまで拡張するのか」というのは、育った文化によって違ってくるのではないか?という話だ。

私たち日本人は、家に帰れば靴をぬぐ。それは、「靴を自分の皮膚の一部のように感じていない」ためである。

一方、土足文化がある国では、「靴も自分の皮膚の一部のように感じている」のではないだろうか。
そうなれば、靴が不潔という考えは「靴を脱ぐ文化特有の考え」であろう。

このように、土足文化というものに、常々疑問を抱いてきた。失礼な話、「清潔さとか、あんまり気にしてないのかな」などと感じていた。
しかし今回、やっと納得の行く答えにたどり着くことができた。

留学はいろんな発見があっておもしろい。

読んでいただきありがとうございました。

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