
「プロローグ」僕は今日もシルバーを磨く|01
#プロローグ
僕の朝は1杯のラテから始まる。
少し冷えたリビングでミルに豆を入れ丁寧に挽いていく。豆を挽いていると、頭が整理されていくのだ。Bialettiのマキネッタは購入して6年以上経つが、使い込んでいくほど珈琲の香りと油分が馴染んでくる。自分が育てたマキネッタで淹れるエスプレッソは格別だ。
氷を入れ、エスプレッソをグラスに注ぐ。
仕上げに牛乳だ。エスプレッソに牛乳を加えた時に出来るグラデーションの層。あれが綺麗に作れた日には、なぜか得意げな気持ちになる。
しばらくすると、妻の理穂が起きてくる。
「おはよう~。今日も良い香り」
黒髪のショートカットでスラっとした理穂はコットンのワンピースを着ている。いつも朝はTOMFORDのメガネ姿だ。
「おはよう。理穂も飲む?」
「うん、飲みたい!あ、私は温かいのがいいな」
「了解」
理穂はだいたいいつも温かい飲み物を好む。
彼女のラテを淹れる事が僕の最初の仕事だ。
朝起きて、2人でラテを飲む。会話をする時間もあれば、しない時間もある。たった15分程度の事だが、この暮らしは僕が僕自身でつかみとった生活だ、という事が実感できる大切な時間だ。
渋谷区・千駄ヶ谷に購入したヴィンテージマンションでの生活を、僕はとても気に入っている。全室リノベーションをしたこの家は、僕の好きなものであふれている。カール・ハンセンのYチェア。Louis PoulsenのPH 5。窓から見える代々木のドコモタワー。
「そろそろ僕は準備するよ」
仕事が始まるのは僕の方が早い。ファッションデザイナーの仕事をしている理穂の朝は比較的ゆっくりめで、スマホを見ながらまだラテを楽しんでいた。
「うん。あ、敦!今日はお店に20時40分だからね」
「あぁ。忘れてないよ」
今日は仕事終わりに理穂が行きたがっていた焼鳥『とり茶太郎』でディナーの予定だ。
髪をジェルで整えて着替える。ディナーなので、きれいめな恰好の方が良いだろう。僕はブルックス・ブラザーズのシャツにニットを合わせ、パンツはUNIQLO。コートはMACKINTOSHのウールコートを選んだ。靴はParabootにしよう。
そして僕の相棒。シルバージュエリーのブレスレット、HERMESのシェーヌダンクル。最初は慣れず、つけるのに時間がかかっていたが、今やお手の物だ。
「じゃあ、いってきます」
僕が出かける頃には理穂もメイクが終わっている。
「いってらっしゃい。あとでね」
メイクをした理穂は、もう「よそ行きの顔」になっていた。理穂はメイクをするとスイッチが入るようで、凛としたたたずまいになるのだ。結婚してから2年が経とうとしているが、僕は未だに理穂の持つ独特な雰囲気にドキッとする事がある。
軽くキスをして家を出る。
朝に日が差し込むこの廊下も、僕が好きなところの1つだ。隣には自転車好きの男性が住んでいて、僕は廊下に置いてあるその自転車の横を通り過ぎる。
ー今日の予定は作家との打ち合わせが1件、社内ミーティングが2件か。
エレベーターのボタンを押す。僕が住む7階に到着するのはもう少し時間がかかりそうだ。
時間を持て余した僕は、左手首のシェーヌダンクルについた小さい傷たちを、なんとなく眺めていた。
僕は今日もシルバーを磨く
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