憧れは「おもちゃのピアノ」
三人兄弟の長女だった私は、
「おねえちゃんなのだから我慢しなさい」
という呪文に縛られていた。
欲しいものがあっても、なかなか言えず、
母と一緒に買いものに出掛けても、
その商店街にあるキラキラと賑やかな様子の
おもちゃ屋に立ち寄りたいと言えず、
少し離れたところから、おもちゃ屋の様子を見ていた。
クリスマスに、まるい大きなケーキを買い、
持ち手にアルミホイルが巻かれている
ローストチキンを食べることがあっても、
親からクリスマスプレゼントをもらったことはなかった。
地方から出てきた若い夫婦が、
三人の子どもを育てるのが大変なことは、
子どもであってもわかっていた。
ケーキとチキンだって、相当頑張って用意してくれたのだ。
末っ子である妹が生まれた年のクリスマス。
いつもの商店街に母と買いものに出かけた。
この日は珍しく、母から
「銀行に行って戻るまで、あのおもちゃ屋で待っていて」
と言われた。
おもちゃ屋の入り口に立つと、その店内は、
いろんなおもちゃが奏でるさまざまな音であふれていた。
さるのおもちゃがシンバルを鳴らしている。
プラレールの電車が店内を走っている。
私を見てといわんばかりに並ぶおしゃれな人形たちや、
積み上げられた車や飛行機のプラモデル、
ガラスケースに入ったちょっと高そうなおもちゃ。
その中で、キラキラと輝いて見えたおもちゃがあった。
それが「おもちゃのピアノ」だった。
黒色のピカピカのボディ。
白鍵だけでなく黒鍵も押せるようになっている。
お店の人が「鳴らしてみてもいいよ」と言ったので
そっと触れてみると、コロコロとした音が鳴った。
「わっ!」
楽しくて思わず声が出た。
もう一度、鳴らそうとしたとき、
少し離れたところから
銀行の用事が終わった母がおもちゃ屋に
向かってくるのが見えた。
おもちゃのピアノを見ていたことを
知られないほうがよいような気がして、
違う場所にそっと移動した。
その年もいつものように、まるい大きなケーキと
アルミホイルが巻かれたローストチキンを食べた。
でも、私の頭の中は、おもちゃのピアノのことでいっぱいだ。
他の音も鳴らしてみたかったな。
黒いところも鳴らしてみたかったな。
そんなことばかり考えていたから、
その日はピアノを弾いている夢をみた。
翌朝起きて、自分の枕元を見たが、
サンタさんはこの年も来ることはなかった。
少し離れた妹が寝ている場所の枕元を見ると、
なんと赤いおもちゃのピアノが置いてあるではないか。
よく見ると、おもちゃ屋で見たものとは違うものだ。
黒鍵を押すことはできず黒色に塗ってあるだけ。
18鍵しかない。
でも、たしかに、そこにはおもちゃのピアノがあった。
その赤いおもちゃのピアノにさわろうとすると、
それは妹のために買ったものだと父が言った。
おまえは小学生なのだから、こんなおもちゃで遊ばないだろうと。
ちょっと悲しそうな顔をしたのがわかってしまったのか、
いつものセリフが返ってきた。
「おねえちゃんなのだから我慢しなさい」
なぜ、妹におもちゃのピアノを買ってきたのだろう。
なぜ、私は遊んではいけないのだろう。
私だって、小学1年生だし、まだ子どもなのにな。
その後、家で留守番しているとき、
おもちゃのピアノをこっそり触った。
でも、「おねえちゃんなのだから我慢しなさい」と
言われたことが頭にあるからか、
おもちゃ屋で鍵盤に触れたときとは違い、
悪いことをしているような気持ちになった。
鍵盤を押した音は、寂しい音色だった。
あれから、ずっとピアノは憧れだ。
子どものころの経験が、余計に憧れを強くしている。
大人になってからもピアノが弾けるようになりたい、
キーボードが欲しいと思っているが、縁がない。
いまだに、あのときのまま、憧れのままだ。
もしも、あのとき。
おもちゃ屋で鍵盤に触れた
あの「おもちゃのピアノ」にもう一度触れたなら。
もしも、素敵な音色を奏でたなら。
私をしばりつける
「おねえちゃんなのだから我慢しなさい」
という呪文から解き放たれたのだろうか。