自立か自決か
判断は難しいところである、何せ、今まで、
ほったらかしにしてきた面が大きいからだ、
何にしても自分の運命を自分で終わらせる覚悟がいる。
恐らく、今後受けられるサポートは限られてくるだろう、
僕が絵を描きたいといくら思っても、それは叶わないだろう、
どれだけ絵を描いたとしても報われることはないだろう、
それは分かりきっていることではある、
でも納得はいかない、人間は自由な生き物なはずなのに、
その地涌が拘束されて、何もできないまま日々を過ごすことになる、
それには、絶対に納得がいかないし、納得してやらない、
僕は、自分の才能を知ってるし、その才能を今日まで発揮させてきた、
たとえ、人の目がこちらを向いていなかったとしても、
数や質や量が、自分の身について、いつだって求めているんだ、
自分の作品の分量をだ、となると僕は自分の絵を見るたびに勇気を得る。
だが、それをわかっちゃくれない、わかっちゃくれないんだ。
相手がしたいサポートは自立に向けてのサポートだが、
僕は死ぬほど絵を描いた経験から、自分の実力以上、
限界を越えてやることは死につながると知っている、
けど相手からしてみたら、絵を描くことなどへでもないことだ、
だから、いくらでも描かせてみようとなる、死ぬまでだ。
正直、納得がいかない、障害者枠で働いてる個人に対して、
絵を死ぬほど求めたら、死ぬしかないのである。
自由に絵を描いてもいいという状態ではなく、
仕事に繋がる絵をひとつでも多くとなれば、余計にハードルは上がる、
元来、障害のある人が出来る作業量は限られている、
それを人並みに引き上げようとすればおのずと限界を越えて作業する、
そのことになる、そうなるとこちらの病状が悪化しようが、
おかまいなしに、沢山の業をつめとなるのだろうが、
もう僕は自分のストレス耐性が限界な所まで来てるのを知っている。
そのストレスを肩代わりしてくれる対象は存在しない、
どれだけ多くの絵を背負って、どれだけの主にを持って生きるのかという、
その話になった時、果たして僕は生きていられるのだろうか?
生きていられやしないだろう、存命であることが難しい世界なのは、
絶対に確かなのだ、救ってくれる気持ちがあれば、僕も、その、
救済策に乗ることが出来るが、恐らく僕は死んでしまうだろう。
もう耐えきれないのだ、限界まで来ている。
絵が日常的に描けるかと言えば、そんなことはない、
毎日を疲労感を覚えて過ごすことになっている、
自分がしたかったことをもっともっとと追いかけていた時は帰ってこない、
いまは言葉の奴隷になって生きている、そんな感覚である。
おしまい
いただけるなら、どこまでもおともしますとも!