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夢の余地

 弟にも夢があるようだ、ゲームが好きでアニメも好きで、
創作にも興味のある弟は、アニメーターを目指していたが、
途中で違うことをしだして、今はアルバイターというところ、
彼を見ていると、安心できるところがあるから、あまり良いのか、
安心して良いのか分からないけれど、心の支えになっている。

 僕の夢は? って?
僕の夢は障害者や省かれ者たちのために居場所がもっと出来て、
活躍の場がもっと増えることである。 それが何よりの夢で、
自分で媒体を作って作品発表をどんどん押していけたら、
もっときっと自分を知ってもらえるきっかけになると考えてる、
でもそれが難しそうなんだ。
  通所している作業所の社員さんは協力的ではあるけど、
絵に関して理解を示してくれるというよりも、
僕のことを信頼してってところが大きいので、
本当に絵の居場所を作ってやれたり、そういうことに関しては、
まだ、初手の段階でそこまで深く入り込んで行けてない、
そう、もっと支援の手が必要になる。
 人が絵で生きて行くには確実にその人の生活を助ける、
サポーターが何より重要なのがわかるし、
その人の作品を発表して世の中に広める役割の人も必要になる。
 絵は想像以上に人の手を介在して広まるもので、
絵をもっと幅広く、世界に向けて見てもらおうとするとき、
自然と絵を理解してもらう必要が出てくるのだが、
その絵を大事に出来る環境がまだまだ出来てない状況だ。

 そう、あらゆる人を福祉や支援の段階で、
きちんと立たせて歩かせるには補助が必要になるのだが、
個人の働きを求めて、絵描きを自分から売り出す人間に、
しようとしてないだろうか? それ間違ってると思う。
 絵描きは制作の時間を取るのも苦労しているわけで、
その存在にさらに発表の為に必要な、
ありとあらゆる負荷を掛けてしまえば、
作品発表の時間を奪うだけでなく、
その人が自然に絵を描いている時間にさえ割り込んで、
絵を尊重して描かせてあげれない状態になる。

 僕も編集は発表に多大なコストを支払っているのに、
そのコストは回収できないどころか日に日に募っていく、
そんな苦労をしてるのに分かってくれる理解者が少ない、
描いたものを見てほしいという心は確かにあるし、
その心をもっと深く知ってほしいから描いている。
 一心不乱に絵を描ける状態を維持したいとさえ思ってるのに、
心を迷わせるその他のことまで手を回さないといけないとなると、
僕のやってる全てのことに対して、どんどん、
悪化の一途をたどることは目に見えてる。

 僕が生きてるうちに助けてほしいというのに。






おしまい

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ぼっけんさん
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