善悪の区別と個
チョロい自分
幼少期、筆者は惚れっぽかった。
忍たま乱太郎の土井先生に始まり、弘道お兄さん(NHKで体操のお兄さんを務めた佐藤弘道氏のこと)、保育園の担任、クラスメイトの女子、近所のお兄さん…といった具合に、興味の対象は短期間で移った。
惚れっぽさの理由は、好奇心と感受性の強さ、対象に自分勝手な理想を重ねていたことだろう。
いま考えると、これらは恋愛感情ではなく単なる興味だったのだろうが、年齢1ケタ台の筆者は「これが恋か」と自己陶酔気味だった。
自分でいなくなること
年齢を重ねるにつれ、対象は絞られた。
はじめほど移ろうことはなく、やがて特定の対象に固執するようになった。
対象をいわゆる「ロールモデル」とし、言動を真似、あたかも自分発のように振る舞った。
ロールモデルとは特定の分野・状況において模範となる人物や、目標とする行動・価値観を持つ人を指す。
通常、ロールモデルを真似ることに一定のメリットはあるはずだが、筆者の場合、自己成長に繋がることはなかった。
なぜなら、筆者の目標は「その人になること」だったから。
逆に言えば、「自分でいなくなること」を目標として掲げているので、文字通り、自分が死ぬまで叶うはずがない。
勝手にロールモデル認定された相手からすると、何でも自分を真似る筆者の存在はとんでもなく不快だったことだろう。その証拠に、相手から「どうしていつも真似をするの?」と問われたこともあった。
ここで「あなたに憧れている」と素直に白状すればいいものを、筆者は否定しただけでなく、あたかも言われて気づいた体を装った。
何とも白々しく、この上なく滑稽で哀れな生き物だが、相手から向けられたのは憐れみではなく、軽蔑の眼差しであった。当然の結果である。
ひとりは淋しい
小学校も高学年に差し掛かると、クラス内のグループは固定され始めた。
特に、女子は数名で固まることが多かった。
傍から見ると、いずれのグループも似たもの同士で構成され、可愛い子は可愛い子同士、地味な子は地味な子同士がくっついている。
筆者はといえば、どこに属するでもなく本を読んで過ごし、気が向くと自分と同じように1人で過ごす子に話しかけ、自己満足に浸る。
ちなみに、当時の自分は1人で過ごすクラスメイトに話しかける動機として、「1人で淋しそう」を掲げていた(※掲げたといっても、対外的に公表したのではなく、胸中にとどめていた点は不幸中の幸いである)
お察しの通り、現実には自分が淋しかっただけであり、相手からすると押し売り状態だっただろう。
ふたり
けれど、ラッキーパンチが当たることもあった。
気まぐれで話しかけたクラスメイトの親御さんから、「沙奈ちゃんのお陰でうちの子が楽しそうに学校に行くようになった」と感謝されたのだ。
似たような事案は1件にとどまらず、直接言われることもあれば、担任等を通して間接的に伝えられることもあった。
その度に、筆者の胸はチクリと痛んだが、当時の自分には理由がわからずヘラヘラと笑って流すしかなかった。
気づくと、筆者はいつも「ふたり」だった。
相手は不定期に入れ替わるが、必ず2人になる。
そんな状況が気に入っていたので理由を考えたこともなかったが、今にして思うと、無意識に3人以上になることを避けていたのかもしれない。
バブ
義務教育を終え、騒がしい高校時代を経て、筆者はキャバクラに入店した。
当時、小悪魔agehaという雑誌が全盛期で、頭が大きく、殺傷能力がやけに高そうなネイルを装備したド派手なお姉さん方に囲まれ、地味なりに必死に尖っていた。
そんな環境下、思いがけず友達ができた。
同じ店のキャストの1人だ。
彼女とは6歳離れていたが、年の差を感じさせない陽気なキャラクターとざっくばらんな価値観に惹かれた。
いずれも筆者が持たぬものだったし、彼女もまた、自分にないものを筆者に見ているようだった。
「あたしら、大親友よな。」
オール明けの朝、彼女に言われて繰り返す。
「うん。大バブよ。」
弾けるように笑い転げる彼女を前に、ようやく自分の言ったことに気づく。
親友を「マブ」と呼称することを知らなかった筆者は、改めて彼女に聞いて「へぇ」と思った。
この日から、我々は親友になった。
以心伝心
1度仲良くなってしまうと、あとは早かった。
暇さえあれば親友と連絡をとり、何から何まで報告し合い、時には過去の話も打ち明け合った。
それまで自分だけだと思っていたことが一致することも多く、私たちはよりいっそう仲を深めた。
そのうちに、わざわざ言葉を発しなくても互いの考えが予測できるようになった。「いま、こうじゃろ」と言い当てられることもしばしばで、隠し事はできないなぁと思った。
一匙
妊娠を機に、親友は店を辞めた。
妊娠の報告を受けたとき、胃の辺りがもやっとした。
結婚報告のときは手放しで祝えたのに。
彼女の悪阻はひどかったようで、よく「お腹の子に殺される」と嘆いた。
電話口で聞くしんどそうな声にはいたたまれない気持ちになったが、胎児への悪口を聞くとつかえていた何かが和らぐ。
「昔さぁ。」
ご主人が夜勤の晩、長電話の中で思い出話を聞いた。
彼女の学生時代、教育実習にいった幼稚園でのことだった。
実習中、可愛くない子の頬を思いきりつねり、泣かしたことがあるという。
似たようなエピソードをいくつか聞くうち、やはり何かが和らぐのを感じていた。
同時に、自分の中に渦巻くどす黒い何かを悟られるのではと怖くもなった。
このときにはわからなかったが、虐待を受けてきたなりの価値観で善悪を測っていたのだと思う。
ひとしきり話した後、「引いたじゃろ?」と不安げな声を発する彼女に対し、「全然」と答えるにとどめた。
事実、当時の筆者は盲目的で、彼女に行動には手放しで賛成だった。
彼女という成分を一匙加えただけで、簡単に狂うような倫理観にさえ気づかない愚か者だった。
数年後、一方的に親友と縁のを切った。
個
34歳の現在、友人が1人いる。
彼女は「親友」ではないが、親友の定義に該当したとして、わざわざ親友と呼ぶことはない。
これまで、友人との間でいくつもの間違いを犯してきた。
取り返しの付かないものも多く、関係を継続することの難しさは誰よりも身にしみていると思う。
いつの間にか、1人を「淋しい」と感じる機会はほとんどない。
学生生活と異なり、強制的に他人との関係を強いられる社会人だからこそ培われる感覚なのかもしれない。
付き合う相手で価値観にブレが生じる現象について、自分が気づかぬだけで起こっている可能性もあるが、過去ほど顕著ではないことを祈る。
筆者の価値観はそのまま、筆者の人生なのだから。