通っていた店の店主が2週間で亡くなった話
先日、通っていた珈琲豆専門店が臨時休業を発表した。
その翌日、「当分の間」休業する旨が発表されたと思ったら、翌週には「閉店する」との発表があった。
突然の知らせに驚き、困惑し、身勝手な心配を胸に、世話になった店主とご家族の幸せを願っているところへ、訃報が入った。
臨時休業の知らせから、たった2週間後の出来事だった。
オススメの店
去年、11月。友人が言い出した。
ラーメンをこよなく愛する友人。その友人の口から珈琲の話題が出ようとは夢にも思わなかったが、ハンドドリップをはじめて間もない筆者を気にかけ、勧めてくれたのだろう。その気持ちが嬉しく、すぐに場所と名前を聞き、当日中に訪れた。
目的の店はすぐにわかった。
なぜなら、店の2ブロック手前から珈琲の香りが漂っていたから。
筆者の貧相な胸は高鳴った。
筆者にとって、初めての対面型。
右も左も分からぬド素人が入って良いかと足がすくむ。
しかし、それも一瞬だった。
ガラス戸の向こう側にいる男性と目が合い、軽く会釈をしながら自動扉の隙間を滑り込んだ。全て開くのを待っていられないほど、珈琲の芳醇な香りが漂っていた。
白髪の男性はすぐに対応してくれた。
店内には、大きな木樽に入った生の豆がぎっしり。レジ奥のコンロではシャラシャラと豆を焙煎する音がしている。
自分が無知なことを告げ、このように頼むと、彼は少し困った顔をした。
どのような豆が好きか、どんな器具を持っているのかを尋ねられ、ぽつりぽつりと答える。きっと、珈琲業界に身を置く相手からしてみれば、ちんぷんかんぷんで迷惑な客だったと思うが、相手は筆者の言葉1つずつに頷き、丁寧に説明してくれた。
例えば、酸味。
珈琲豆は浅煎りであるほど酸味が強く、フルーティーな香りが楽しめるいっぽう、深煎りにするほど酸味は消え、苦みが増すそうだ。
それだけでなく、挽き方によっても調整できるらしい。
粗挽きだと酸味が強く、ライトな味わい。細引きだと苦みが強く出て濃厚な味わい。中間の中細挽きは最もバランスが良く、酸味・コクともに適度に味わえるという。
既知の方にとっては「何を今更」と思われるかも知れないが、筆者は感動していた。それまで、珈琲豆の種類や鮮度だけが味を左右する要因とばかり考えていたからだ(いま思えば、なんと浅はかだったのだろうと恥ずかしくなるが…)
言われたとおり、筆者は少しずつ色々な豆を試してみることにした。
そして、この日は「当月のオススメコーヒー」だった「オルキデア」をオススメの焙煎度でお願いした。
帰路、煎りたてのコーヒーの香りが漂い、ずっと幸せな気持ちだった。
良い、1年でしたか
クリスマス直前に購入したばかりの豆があったが、年末にもう1度、珈琲豆を購入しようと足を運んだ。隣接するスーパーはすっかり正月の様相だったが、珈琲豆屋は相変わらず、渋い出で立てで幸福な香りを漂わせていた。
豆を受け取る際、少し話をした。店内には筆者と店主の二人きり。
咄嗟に思い出したのが親知らずの抜歯だなんて、筆者の人生、平和である。
「そうですか。」と少し笑いながら、店主は自身が受けた治療の話をしてくれた。命に別状はないが苦痛を伴うことで有名な疾病であり、うかがいながら想像し、筆者までその部位が痛む気がした。
明けましておめでとう
2月になり、頼んでいた珈琲豆を受取りに行った際、ようやく新年の挨拶をした。
通う度、乏しい語彙で感動と感謝を伝え続ける筆者に対し、店主は笑いながらこう告げた。事実、珈琲豆屋で焙煎してもらった豆はどれも美味しく、時間が経っても美しい色をしている。
筆者にとって、これが、店主との最後の会話である。
我が子
1度、もっと近所の珈琲屋に通ってはどうかと言われたことがあった。筆者の自宅と店まで、それなりに距離があることを知った時だ。
嫌味や厄介払いのような空気はなく、親切心からの教示だとわかる優しい口調だった。
しかし、筆者は「嫌です」と即答した。
珈琲豆を購入しに通っているが、本当の目当ては、店主とのお喋りだからだ。
少しはにかむような笑みを浮かべながら、しかし、しっかりとした口調で彼はこう言った。
我が子を眺めるような横顔を見て、筆者は黙って頷いた。
人が本当に亡くなるとき
人は、死ぬと終わりだ。
ただ、何をもって人の死とするのか、判定基準や定義づけは様々である。
筆者が思う人の死は、誰からも思い出されることがなくなったときだと考えている。
店主の訃報は、ご家族からの公式発表によるものではなく、人づてに知った事実に過ぎない。
だから、こうして記事にすることは、ご家族に迷惑かも知れない。
もしかすると、誤報なのかもしれない。
けれど、いずれにしても珈琲豆屋閉店時点で、店主と客(筆者)の関係は終わっており、生死に関わらず、ただその身を案じ、幸福を祈ることしかできないのである。
筆者は毎朝、コーヒーを淹れる。
珈琲豆屋で購入した豆はとうに尽き、今は別の店で買い求めた豆を飲んでいる。
けれど、カップを温め、豆を蒸らし、ドリップ時のコーヒーブルームの虹色を見る度に、店主の言葉を思い出す。
ずぼらで、せっかちな筆者だが、この先も店主と共に珈琲を楽しんで行けたら良いと思うのだ。
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